(*  ̄▽ ̄)v- それでは御嶽山を臨む展望台の後ろから搦手道へ。搦手道とはお城の裏に作られる道で、こちら側は鬱蒼としています。



 まずは整備された「十兵衛坂」を下る。明智光秀の通称のひとつですね。大河ドラマ「麒麟がくる」でメジャーになったかと。ここを下っていくと山城らしい遺構が多く、搦手道の出口付近から「桔梗坂」になりお寺や駐車場に出られます。全部下りると城山の反対側になってしまうので、私的な見どころまで行くことにしました。


( ; ̄▽ ̄)v- こちら側はなかなかの山っぷり。この日はまだ腰に鈍痛がある程度でしたが、土曜の出勤がトドメになりました(涙)  代打で入浴介助が続いてて、利用者さんの浴槽の出入りを介助した後に「これはアカン」に。もともと腰椎すべり症というのを持っていて、2年前にも「アカン・・・」が来ましたが、また来たかと。職業病ですね。今はここを下れる気がしません。


 下っていくと湾曲した谷間になり、山城の遺構が集まった場所に出ます。ここは水の手で、今は地面が湿ってるくらいだけど昔は沢があったのかな? 籠城戦の際に水を得られる場所だったそう。


 同時にここは腰曲輪という場所で、大きな曲輪から一段下がったところに通路のように作られるものだそう。ここは谷間が緩いカーブを描いてて、それも人工の崖(切り岸)なのかな? 最初に着いた二の丸付近はいまは宅地開発で遺構が失われたようですが、こちらにはいろいろ残ってます。


 人工の切り岸も敵兵が斜面をトラバースして登ってくるのを阻むための工夫ですが、さらにそこに堅堀も掘られてました。切り岸にSASUKEみたいに挑む敵兵を、さらに深く垂直な堀で防いだのですね。真上には城兵がいて投石や弓矢や槍で狙い放題。標高が低く攻められやすい立地でも、そこは美濃国初代守護の十男が建てた城。典型的な中世の山城だそうです。


 多少の起伏があり、熊はともかく猪は確実にいる雰囲気。これも曲輪のひとつじゃないかな?って土塁の脇を下ります。



 ここは斜面に堀切があり、切岸とどう違うのかなと不思議でしたが、堀切とは自然の山の尾根を一部だけスッパリ掘り切るものだそう。これも敵兵が攀じ登ってくるのを防ぐためで、切岸より大がかりな土木工事になるのかな。やはり城兵が上から迎撃するポイントなのだそう。山城攻めって命懸けだなとしみじみ思います。


 道が狭くなりここが分岐点。確かこの道を進むと搦手門(城の裏門)に出たと思います。ここに右手に登る分岐があり、あと少し行ってみました。


 ここから上は乾曲輪という場所で、本丸から見て北西(乾)の方角にある曲輪だそう。奥に行くと見張り台跡で行き止まりになりますが、階段を上ったところに明智城独自の興味深いポイントがあります。


 初めて来た時はちょうど大河ドラマの「麒麟がくる」が終わった頃で、偶然にここで保存会?の方にお会いしました。これらの解説板の傷み具合を見に来たとの事で、出演者のナイナイの岡村さんとかが来られて案内したとか、時代考証の学者さんに堅堀を確認して頂いたとかお聞きしました。


 この階段は整備されて作られたものですが、ここが虎口の後。道に直角の急カーブをつけて敵兵の勢いを削いだんですね。中山道の宿場町にも見られます。


 ここが堅堀の上にあたるのかな。鬱蒼とした木立だけど、木洩れ日が斜めに射して綺麗でした。


 この日のゴールが見えてきた。虎口の上に小さな祠があり、これが六親眷属幽魂塔。私が行った事のある山城は少ないですが、他ではまだちょっと見た事がないものです。