里が雪に閉ざされる冬、小沼さんは除雪車で地域の除雪作業にも携わる。その合間の待機所で、彼は「夢と現実とは違うって」と語ります。


( ̄∀ ̄) 山に入って熊を追う夢は毎日見てるんだけどよ、現実も考えないとならんし。


冬こそがマタギの狩りのシーズンだけど、思うままに山に通う暇がない。里でやらねばならない事が多く、「行きたいけどしょうがねぇなあ」って心境みたい。心はマタギとして体力的にしんどくて、危険な狩りに行きたいんですね。


( ̄∀ ̄) 流されないでいるのが 俺らよ。

( ̄○ ̄) 流れ。時代の流れ。後継者もいなくなるだろうし、マタギもいなくなるだろうけどよ。


息子さんは引き継ぐ気でおられますが、きっと小沼さんにとっては、もはや自分も熊撃ちで生計を立てるという意味ではマタギではない。マタギの心性を持ってはいるが、「私はマタギですなんて名乗るのは畏れ多くてよ」と言っていた。それは熊撃ちで家族を養ってきたご先祖などの、先人のマタギと我が身の違いからだろう。心性は流されないままでも………


( ̄○ ̄) 手を離したら、何もなくなる。

( ̄○ ̄) 家も 住むところも何もなくなるべ。山の神を祀るのをやめたら何もなくなる。時間の問題なんだろうけど。


日本人はもともと地縁や血縁を大切にしますが、狭い国土でも気候や風土はけっこう違ってて、どこもそこなりの大変さがあるんすね。地域やご先祖を大切にするのはそれに拠る。大日本なんちゃら以前に個人にはルーツがあり、いま自分がいるのは先祖がいたからで、それが続いた土地があったから。最近はえらいこと俯瞰して国全体アゲが流行りですが、いわゆる日本人の原風景はもっと身近で泥くさく、地に足がついたものなんじゃ。


( ̄∀ ̄)v- 流行というのは流され行くと書きますが、気づいたらドコに立ってたか分からなくなるかもですな。思想とかいうモノも高いとこ見すぎて身近な現実から乖離しやすい。要らんとまでは言わず、バランスの問題でしょうけど。


男は黙って〇ッポロビール。声高に自己の正当性をアピるのでなく、胸に抱いて日々やるべき事をやる生き方のほうが私には好ましい。これは同じ日本人でも、各々が自分で選ぶことですが。


( ̄∀ ̄) おいしいか?


家では小沼さんが持ち帰った熊の肉を奥さんが料理して、小さなお孫さんが食べながら頷く。小沼さんは「風邪ひかないからな」と言って目を細め、奥さんとお母さん、お嫁さんとお孫さんと食卓を囲みます。熊の肉は滋養が豊富で、淡白な鹿肉より重宝されます。



いい光景ですね。