~匿名的 没人格的 単発的~ 対話無き日々 | 会話が伝わるようになるアプリ「想いやりトーク」 オトデザイナーズ 坂本真一

~匿名的 没人格的 単発的~ 対話無き日々

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対話無き日々 ここまでをまとめ読み

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~今いる学校や職場での立場や地位を失いたくない~ 対話無き日々

 

のつづきです。

 

2. 行き過ぎたリスクマネジメント

現代の日本におけるコミュニケーションは

 

匿名的

没人格的

単発的

 

であり、それが人間関係を希薄にし、人を孤独にさせているとの社会学的な考察がある。

 

これは例えば、昭和と令和の買い物風景を比較すると分かりやすい。


昭和の時代の多くの人の日常の買い物は近所にある個人商店で行われており、そこでは、

 

ほとんどのお客さんがご近所さん、つまり顔見知りであった。


「ちょっと、これ、もう少しオマケしてよ」
「仕方ねぇなぁ、持ってけ泥棒!」

 


といった“対話”が当たり前のように飛び交っていた。

 

私も子供の頃に親に言われて買い物(お使い)に行き、例えば100円の品物を買おうと

 

レジに出すと、
 

「はい、100万円!」
 

などと言われたりするのが日常だった。

 

帰り際に、売れ残った菓子や果物を、「これ持ってきな~!」と言って投げて寄こして

 

くれたりとか。

 

「ありがとー!」と笑顔で受け取って、歩きながら食べたものである。

 

大人は子供を見ているもの

大人は子供を守ってくれるもの

 

子供たちの心の中には、こんな感情が、日常対話によって育まれていたのである。
 

つづく-> ~会話はあるが対話は全く無い~ 対話無き日々

 

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