ベルギー・おなかの上に猫・・日記

ベルギー・おなかの上に猫・・日記

ベルギー・ブリュッセル在住、この地での日本カルチャー・アンティーク洋食器・我が家の猫たちetc 日々を綴る気まま日記です。

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新年が明けて10日以上が早くも過ぎましたね。
こちらは暖冬で庭先の植物の芽が膨らんできているホントに変な気候です。

花粉アレルギーが超早めに来てクシャミ・鼻グシュ、グシュになっている人が結構います。

我が家のニャンコ達は ”春眠暁を覚えず・・” の体勢にすでに入っていて(年中ですが・・・)、ズ~ッとそれぞれお気に入りの場所でダマになってます。

去年3月に我が家にもらいニャンコになった猫・・・

我が家に来た経緯を思うと ”我が家によく来た、よく来た・・・、幸せになってね!!” と心から思う。
元飼い主は70才代のご夫婦、双方ともとても活動的で年金生活後も右へ左へ飛び回り人生を謳歌していた。
周りを気づかい、私達も折に触れてお世話になってきた。

その奥さんの方、名前はリリアン、リリアンは去年3月、安楽死で亡くなった。

その前の年、2014年の秋ごろから ”髪を梳かすのが何か思い通りにできない・・” という症状から始まって、思い通りに話せない・・その内、小さな段差につまづいていて足首を骨折・・手が動かせなくなる等々・・の症状が現れ、”筋萎縮性側索硬化症(ALS)”との診断が下された。

診断が付いてすぐにリリアンは、安楽死を願った。

偶然なのだが、2014年の夏にリリアンは区役所に届け出ている安楽死希望書類の5年毎の更新に当たるので私の旦那に証人の一人(5人必要)としてサインしてくれないかとの希望でサインをしたばかりだった。

リリアンは、亡くなる前に飼っている2匹の猫の行き先として一匹を我が家に託した。
もう一匹は、お向かいの家の人が飼ってくれることになった。

ご主人の方は、一人では生活できない(軽い痴呆症あり・・)ので老人ホームに入ることになった。

我が家に来てこの3月で一年が経つ、すっかり慣れクークーと眠っているニャンコを見るとリリアン夫妻のことが頭をよぎる。

猫を好きだったのはご主人の方で、この猫もそのご主人の性格に似ている。
頑固で少し融通が利かず、その頑さの
間から垣間見える、実は繊細で少し怖がりで、どうやって人に甘えていいのかわからない・・そんな愛すべき性格。

そんなニャンコは、

● 名前・・は、ある。先家から引き継いだ ”Prunel” プルネルという可愛いネーム。
  でも我が家に来た猫は、みんな ”ムー” と言う名前で最初は呼ばれるのだ。

  ”ムー” の10段活用で

  ムー、ムーニョ、ムーニャン、ムーニョン、ムー太郎、ムーニャロー、ムーの助、ムー五郎  
     等々・・・、
  時と場所によって色々とムーの後ろが変わって、飼い主の声音も変化。

● 雑種のオスで、年齢13才
  見た目はちょっと由緒正しそうな ”ノルウェージャン・フォレストキャット” 風。

Prunel


こんな格好ですみません。


もう一匹の猫 ”Non" ちゃん・・・
”Otchu” の代わりとして最近はアプローチを試みているが、ムーの方は理解できなくてノンちゃんが希望する・・くっ付きあって寝たい・・というのはまだ実現していない。

たぶん、ずっと無理な感じ。

2匹ともずーっと元気で・・・ムーは我が家にいて幸せカイ??・・・一緒にいようね。







  早いもので2016年を迎えました。

去年の師走の時期は少し特別な期間でした。
例年のようにクリスマス・新年イブのにぎやかで華やかな雰囲気は今一盛り上がらず、11月のパリテロの影響でブリュッセルはいまだテロ厳戒体制のレベルが高いまま、街の要所要所に銃を構えた兵士が見張り・・・特にユダヤ人関係の建物前と中心部の人が集まる場所です・・・ポリスが巡回しています。

毎年の年越しのブリュッセル市主催の花火大会も直前中止になりました。
私は、いつものように年末年始はどこにも出かけず我が家で過ごすので、特に変わりなくノンビリ・ゆったり過ごしましたが・・・。

2015年は、私にとっても忘れられない年になりました。

愛猫の死・・これは半年以上たった今も、仲良しだったもう一匹”Non”ちゃんと一緒に”Otchuがいたらな、恋しいね。”と
毎日のように思い出してます

死んじゃった”Otchu”の代わりになってしまったニャンコをもらいっ子・・・"もらいニャンコ”・・・をしたこと(この猫を我が家に迎え入れてから3ヵ月後に”Ochu"が死んでしまいました)。 どうして我が家にたどり着いたのかは、長~い語りになってしまうので省略!!

そして2000年に膵内分泌腫瘍で手術を受けてから丸5年がたち、今年から定期検査も年一回になりました。

検査の度に肝臓の影を指摘されますが、特に大きくなるわけでもなく転移とは認められず変化なく過ごしています。
内服薬も消化を助けるための膵臓が分泌する消化液成分のカプセル薬を一日に10カプセル前後摂っているだけですが、これを切らすと消化不良でなんとも言えない不快感があるので一生涯摂り続けます。

糖尿病の方も炭水化物を摂らない食事療法で今のところ前糖尿病状態をキープしていますが、炭水化物を摂るとすぐに血糖値が不安定になるのでこれもできる限り・・きっと一生涯・・続けなければいけないと思っています。

2009年12月のある日、友人宅でおいしいランチを食べ家に帰りました。
その後、胃の調子・・というよりもみぞおちの胃の辺りがどうも具合が悪く、いつもの如く料理上手な友人の作ったランチを食べ過ぎたか、でも、2~3日で直るだろうと思っていました。

2010年の年が明けてもスッキリせずホームドクターに薬を処方してもらい様子を見ました。 
同時に腹部エコー検査をお願いしました。

2005年に肝臓の側のリンパ節の腫脹が見つかり摘出OP。 
何故、リンパ節が腫れたのか・・色々検査をしましたが原因不明、リンパ節そのものも悪性ではないので様子見。 
2006・2007年に腹部エコー検査で様子見。

その後2008・2009年と腹部エコー検査はしていませんでした。

2010年3月、地元の公立病院で腹部エコー検査を2年ぶりに受ける。
ホームドクターに届いた結果は、”すい臓頭部に腫瘍あり、要精密検査”。

その後CTスキャン検査をすぐに受け、”典型的な膵内分泌腫瘍の様相を呈している"とのことで大学病院へ2010年4月に受診。
諸々の膵内分泌腫瘍に関する検査を受けた後、6月初めにWhipple術をし現在に至っています。

私の腫瘍のタイプ(非機能性膵内分泌腫瘍)は、これといった特徴的な前駆症状はなく(医学的にも特にあるわけではなく、一般的な消化器症状くらいなのかな?!)、私もみぞおちの胃周辺の不快感のみでした。 

疲れやすいとかは、更年期症状の一つかな位の認識だったし・・・・

ただし、少し思い当たるのは、眠る時に左を向くのがどうもダメで左向きで眠れなかった。
痛みや圧迫感とか、症状は全然ないのですが、左を向くとすぐ体位を変えて絶対に左向きをキープできませんでした。 
以前は全く平気だったのでその内に私自身も気が付いて”変なの??左向きがダメだわ。”と思ってました。
すい臓頭部にある腫瘍のせいだったのだと思います。

もう一つは、食事を摂った後の眠気・・と言うよりは疲労感と言ったほうが良いかもです。
眠れずにはいられない、それこそ電池を抜いたようにガタッという感じで疲れを感じる。
特に油っこい食事を摂った後は顕著でした。

当時まだ働いていたので職場でのランチは、極々軽く取って午後を乗り切ってました。
あの頃は、働くのが結構辛かったナ・・という思いがあります。

多分、すい臓が分泌する消化液がきちんと出ていなかったのではないとか思います。

● 疲れやすい
● 左向きで眠れない
● 食事後の極度の疲労感

これ位しか自覚症状はありませんでした。

2005年~2007年の腹部エコー検査はすい臓には特に異常ありとは言われていないし・・・
もし、2008年に検査を受けていたら何か見つけられたのか??は、何とも言えません。

膵内分泌腫瘍は成長がゆっくりしているのが特徴で・・・と言うことは2008年~2010年の発見される時までに大きくなったんでしょうね。

私の腫瘍のタイプは肝臓に転移した状態で発見されることが多い中、特に肝臓に異常は無く今こうして過ごしているのですから、とても有難いことです。

病気をして初めて健康の有難さを身に沁みて感じます。
特に人体の不思議と言うか・・
人体の機能は精密・緻密に出来ていて何一つ、それこそほんの小さなパーツでも大切な大切な役目を担っていて,、人間って計算しつくされた究極の生き物なのだなとシミジミ感じます。

好きなものが好きなだけ好きな時に食べられる、そんな普通のことが体一つ一つの細胞が与えられた役割をはたしてこそなんですよね・・・人間は偉大だ!!ニャンコも・・ネ!!

そこで今年の目標・・
ノンビリ、ゆったりと笑顔で毎日を過ごしたいです!!

人体の不思議を説いた後にこの目標です、ちんまりしていて恐縮です。

今年もよろしくお願い致します。




 最近、日本では2020年・東京オリンピックのロゴについてのニュースが毎日のようにありますね。
ベルギーに住んでいる者として、リエージュ劇場のロゴとの関係で成り行きに興味がありましたが、今夜7時のニュースで取り上げられてました。

デザイナー・佐野氏の記者会見の映像と共にニュースになってました。
リエージュ劇場のロゴデザイナーの弁護士が・・商業・商標関係を専門としているとのこと・・東京オリンピックのロゴの使用禁止を求めて行くとの見解を述べていました。
日本についてのニュースは、いつも余りポジティブなものはないので、あぁ、またか・・という感じです。

私個人の意見では、やっぱり似てるじゃん・・(ほとんど同じと言っても良いかな!?)って思わざるを得ないですねぇ~。
以前の桜をモチーフにしたロゴの方が日本的でもあり、見た目がフンワリとして優しい感じがして余程好きなんですけどね・・・。

でも、日本は経済的・文化的・・特に現在はサブカルチャー系かな・・な大国なのに、いまだ極東の一国という位にしか知られていないのは何故なのだろう??と不思議に思います。

”日本は、資本主義なの?、それとも社会主義なの?・・” と髪をカットしてもらいながら、美容師さんに聞かれた時は、こけるどころか開いた口が塞がらなかった思い出があります。
これは、ちょっと極端な例ですが・・・。

一般のベルギー人というか、ヨーロッパの人達の日本に対する認識は、ビックリするくらい低いのは事実です。

いつも思うのは、日本は自国アピールが本当に下手ですね。

ブリュッセルにも大使館付属の”日本カルチャーセンター”はありますが、街の中心から少し離れていて公共交通を使わなければ行けない場所にあり、目的意識を持たない人がフラッと入る・・というのは不可能です。

それに比べ、同じ東洋の一国である隣国、韓国の大使館は中心地より離れていますが、
”韓国カルチャーセンター”は、ブリュッセルの中心地、ツーリストもたくさん行き来する王立美術館の向かいに、一年くらい前にオープンしました。
国をアピールすることに長けているという件に関しては、韓国の方が意識が高いナ・・と感心している次第です。

幸いにも日本文化に興味があるとか、日本に旅行したとか・・個人的に日本を知っている人は、日本・日本人が好きな人が多いので救われますが、もう少しガツガツと国をアピールする気概があっても良いのにな・・と思います。









今日は、久しぶりにジムに行って泳いできた。

ここ2ヶ月くらい、体調が今一でジムに行こうという気力がなかった。
300m位泳いだらハフハフして、切り上げてジャグジー・サウナで時間を過ごしてきた。

私が通っているジムは屋外・屋内プールがあって、冬も屋外プールで泳げるので雪などが降っている日は、日本の露天風呂気分をほんの少~し味わう事ができたりする。

私は色々試した結果、水の中でホワンと浮かんでいるのが一番向いている。
泳いでいたら ”あなたは、水の中で眠っているように泳ぐね・・” なんて、見ず知らずの方から声を掛けられた事があったっけ。
ノンビリ、ゆったり泳いだ後、水廻り近辺のみでウロウロしているのが、Myジムでの過ごし方・・として定着している。

今はバカンス時期なので子供たちが日中からジムにいたりするが、普通の日の日中は中年・老年の人達が多い。

ジャグジーなどに入っていて、”ウ~ン、何だかお年寄りスープの中にいるなぁ~。” なんて自分の年齢を差し置いて思う事しきり・・・。

いつも思うのは、こちらは自立しているお年寄りが多いと思う。
ヨロヨロとして杖を付きながらも一人でキャリーを引いて買い物に来ていたり、普段とは違うきちんとした服装をして、一人でレストランに食事に来ていたり・・・。

日本でもお一人様とか増えてきたようだが、こっちはお年寄りがお一人様である事に寛容というか、日本より認められているように感じる。

私もお一人様が全然気にならないタイプなので、年老いて生きるにはベルギーの方が向いて居るのかもしれないと思ったりする。

ジャグジーの中で熟成スープの具に成りきれるまで、ちょっと頑張ってみよう・・・
愛猫 ”Otchu” の姿が、我が家から消えた。

ここ数ヶ月で段々と痩せて行き・・”ダイエットですか??”・・なんて冗談も言えなくなり・・・、食欲は落ちず結構食べていたので、とうとう老猫の域に入ってきたのか・・・、
その内に同時に毛艶も悪くなって、お口の臭いがきつくなり・・・と。

獣医に連れて行った後、あれよあれよという間に2週間くらいで死んでしまった。
この夏で15才、あと5年は頑張って生きてくれると思っていたのに・・・

”死ぬときは、一緒だよ・・一緒の棺おけに入るんだよ。”と、いつも言っていたのにナ。

アァ、もうだめかも・・と思った日、フラフラしながら窓辺に近づいて力を振り絞ってニャー、ニャーと泣き、外に出たがった。

後ろを付いて回りながら外に出したら、庭の垣根の隙間から裏に出て木の根元に座り込んでいた。
猫は死に際を人に見せないと言うけれど、これもその性癖のなせる事なのかと思いつつ、
"風もあるし、肌寒いから家に入ろうよ。” と言って、抱っこして連れてくる・・・こんな事を3度ほど繰り返した。

夜になり、ソファの横で ”Otchu” を見守りつつ過ごしていたら、ずっと横たわっていたのに、顔を上げて私の方を見上げた。
私はとっさに膝の上に抱き上げたら息遣いが荒くなり始め、その後、2回痙攣を起こし呼吸も止まり逝ってしまった。

死んでからの ”Otchu”  は、その毛並みが元気が良かった頃のビロードのような色艶に戻ったような感じがした。
私も気が付いていたが、ダンナが先に ”Otchu” の毛の艶・・・見た??” と私に言い、私の目の錯覚ではないのだと思った。

Otchu 長い間、ありがとう。
黒くてデカくて、ハンサムで・・でもビビリで・・やさしい性格。
ニャーと泣くときはいつもゴロゴロと喉を鳴らしながら泣くいた、その鳴き声が当たり前すぎて
いなくなってから、その音がよく思い出せなくて切なくて歯がゆい。

ホントにホントにありがとう!!