wikipediaより
三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家。
戦後の日本文学を代表する作家の一人である。
晩年は、自衛隊に体験入学し、民兵組織「楯の会」を結成。
右翼的な政治活動を行い、新右翼・民族派運動に多大な影響を及ぼした。
1970年11月25日、前年の憂国烈士・江藤小三郎の自決に触発され、 楯の会隊長として隊員4名共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現:防衛省本省)に東部方面総監を訪れ、その部屋で懇談中に突然日本刀を持って総監を監禁。
その際に幕僚数名を負傷させ、部屋の前のバルコニーで演説しクーデターを促し、約一時間後に割腹自殺を遂げた。
この一件は世間に大きな衝撃を与えた(詳しくは三島事件を参照)。
筆名の「三島」は、日本伝統の三つの島の象徴、静岡県三島の地名に由来するなどの説がある。[1]
三島の持論
改憲論
改憲に当たっては同条第2項だけを削除すればよい、という意見に対しては「第九条第一項の規定は、世界各国の憲法に必要条項として挿入されるべき」はずなのに日本国憲法だけがそれを謳うのは「不公平不調和」であり、「敗戦憲法の特質を永久に免かれぬことにならう」と批判し、第9条すべての削除を主張した。
また同書では、改憲にあたっては第9条のみならず第1章「天皇」の問題と、第20条に関する神道の問題と関連させて考えなければ日本は独立国としての体面を回復できず、アメリカの思う壺にはまるだけであると警告している。
その上で、日本の体面回復のためには憲法9条を改正し、日米安保を双務条約に改正するだけでは足りず、日本国軍を設立して憲法に「日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信倚と日本国民の信頼の上に健軍される」という建軍の本義を規定するべきであると主張している。
また三島は、憲法9条について「完全に遵奉することの不可能な成文法の存在は、道義的退廃を惹き起こす」と闇市の取締りを引き合いに出して批判し、「戦後の偽善はすべてここに発したといつても過言ではない」と断じた(「『変革の思想』とは--道理の実現」の一節より)。
すばらしい憲法改正論である。
大日本帝国憲法に近づける改正論だ。
また、天皇の「神聖にして侵すべからず」は
昨今の週刊誌やネットの現状を見れば必要な条項だ。