仏の教えは、他者を矯正・指導するための、
理論武装の道具ではありません。
そもそも、論理的な学問でも哲学でもなく、
感情を動かす芸術でもありません。

...

素朴な、出世間の視座、ただそれだけです。
在世間の視座に立って仏教を眺めていたら、
どれほど高尚な知識・理論・正論を
もっていても、それは仏教ではありません。

いやあ、今、おなかに落ちてきました♪

仏ってなに?
「あなた」であり「わたし」そのもの。「たましい」を動かすもの。
言葉でも感情でもなく。「生」そのもの。根源といってもいいみたい。
そして「あなた」の生を通して、「わたし」の生がよりよく観える。
それは、唯一無二の「おのれ」を依拠とする、
いのちの実践。論理を超えたいのちの実践。

もっと簡単に言うと、
己の主張をするときに、
いちいち「だれだれちゃんがどうしたこうしたから」という
理由をつけている以上、「わたし」が観えていないってことでしょう?
仏教のきょうだいたちへ。おのれがおのれの灯明になっていますか?

在家も出家も関係ない。
仏教を学ぶ(つまり、いい意味で真似る)ということに、
立場の違いなんか関係ない。

あー。晴れた。
そっか。こんなに単純なことだったのね♪