先日、Twitterで、一粒万倍日の宣言をしました。

 

一部の友人たちに、「なぜ止めたんですか???」

と質問をいただいたので、

お答えします。

 

年間、約60日間くらいの一粒万倍日にだけ、宝くじ「スクラッチカード1000円分」を購入し、

年間6万円を資金として、夢にチャレンジしてみようと進めてきました。

200円や400円当選する日もありました。そして、その都度、当選金の領収証をお浄め場所に設置し、

いずれの日かに当選金が万倍になる日を夢見て行こう、という試みでした。

今まで平均20%の当選率なので、年間だと恐らく12000円の当選金。それが万倍になると1億2000万ですね。

この夢に向けたゲーム感覚で一年間過ごしていこう、と思ったわけです。

しこしこと、続けてきたルーティーンではあったのですが・・・。

 

先日、ある信頼している友人から、とても勉強になるお話を伺い、

目が覚めた気持ちになりました。

 

「お金は愛をもって、目的を明確に、喜んで支払っていくことが基本である」

「お金=物質 自体を貯め込もうとする考え方は、好ましくない」

 

という考え方です。

 

お金は血液と同じで、循環させていないといけない。

お金=物質 は腐るものなので、貯めるだけの行為は腐っていく。

 

支払う先を応援し、愛情をもって、その相手(商品や活動)に支払うことで、良い循環が生まれ、知らずのうちに自分にも返ってくる、。

 

本来、「お金が無いから出来ない・・・」という考え方は、言い訳であり、 自分の思い、願望は、常に明確に意識していくことで、自然に同志や仲間が集まってくる。その思いへの賛同者が引き寄せられてくる。

 

だから、お金ありきではなく、目的意識や自分の思いありきの人生である、というお話。

 

お金だけを貯めようとすると腐る。

 

耳が痛いお話でした。

 

ご時世的にも、お金は必要だし、貯金も必要。 しかし、単にお金を貯めるためだけの一攫千金狙い、という動機は不純でした。

 

自分は、これからの人生、実際に何をしたいのか??

 

この目標や目的、夢への目的意識が明確にあることが先決で、

お金はその後の話。

 

世のため、人のため、という聖人君子的な考えまでには、まだ至れない、未熟な大人の自分ですが、身近な人たちに喜んでもらいたい、という思いは常にあります。

お金を支払う、という行為は、その人たちへの応援行為。

あとは、本当に応援したいものに支払うことが、無駄遣いを防止することなのかもしれません。

 

宝くじが、一粒万倍日・大安吉日に当たりやすい、という言い伝えを、単純にお金が増える、とだけの認識でチャレンジしていた自分を反省し、悔い改め、気持ち新たに、自分のやりたい事を整理していきたいと思ったわけです。

 

よく耳にする言葉に、、

「金持ちはケチが多い」。

恐らく、彼らは、自分が本当に応援するものにしか、お金を支払っていないんだな、と思いました。

ケチなのではなく、無駄遣いをしていないだけではないかなと。

 

まぁ、その辺は話がそれましたが。

宝くじへの運試し、夢チェレンジ、という、自分の今までの動機は不純だったのです。

 

それで、止めることにしました。

 

やりたいことの夢に向かって、人々に語り、企画書を書いて提案し、思いを行動していくこと。 その行動を続けることが、自然にお金を生むのです。

 

果たして、それはいつになるのかわかりませんが、

継続するしかないんでしょうね。

宝くじでお金を払い続けるよりかは、その方が夢があります。

 

お金は、人々に喜んでもらえるような使い方をしましょう(^^♪