3日分まとめて。
日曜日はミラノから帰宅した次の日だったので、電話をしたりのんびり。
月曜日は一日デザインの日。
ミラノサローネに行ったので、その内容を共有してと先生から言われて写真を見せながら即席でプレゼン。
自分の関心ある話題とかだと英語に苦労せず言葉が出てくるなと感じた。案外即席でもどうにかなることを実感。
その日の課題は、ロスキレフェスティバルに向けてシンプルで大量生産がしやすく、サステナブル性も考慮したゴミ箱をデザインするというものだった。
4種類の分別でそれぞれ60L×2と40L×2の袋が支給されるので、それをセッティングする土台をつくる。
私のミラノ旅行中に授業は2回ほど進んでいたので他の生徒はほぼ完成に近づいてる人も。
リング状のものでゴミ箱の口を固定するアイデアや、十字架のような形をつくって四方を固定するアイデアなどがあった。
私は卍型をつくれば、3点で袋を固定できて良いなと思ってそのスケッチを書いていたら
先生に「これの意味知ってる?」とただならぬ雰囲気で聞かれて、何なのか聞くと
どうやらナチスのマークだったらしい・・・ナチスって六角形だと思ってた。。
なのでヨーロッパではこのマークを使うのはタブーとのこと。
これは日本だと寺院を意味していて、、と一応言い訳もしつつ(笑)デザインを変更。
こういうヨーロッパ常識を知らないあるあるが起きると恐ろしい。。
みんなの前で発表とかの前に指摘してもらえてよかった~~
授業のあと、Facebookのマーケットプレイス(日本でいうジモティみたいな直接人とやりとりして中古品を購入するシステム)で、品物を買ったのでそれを受け取りにバスに乗って少し離れた場所へ。
購入者の家の前に行って、ベルを鳴らしても誰も出てこない…16時と約束していたのに。涙
だめかなとあきらめていたところでメッセンジャーが来て、「ごめんなさい、娘の迎えが遅れてもうすぐ着く」とのこと。
数分して夫婦と小さな娘が車で戻ってきた。4時半で夫婦そろって娘のお迎えに行ける国、これがデンマーク。
無事受け取り完了し、帰宅。
昨日は旅行の疲れが溜まってたみたいで夜の8時くらいには寝てしまった。
そして今日は1週間で一番重いサイドサブジェクトの日。
午前中のIdentityではムスリムの恰好で目以外を全て隠した姿の女性が講演。
こういう日本では絶対聞けないような、当事者の話を聞ける機会があるのがこのフォルケホイスコーレのすごいところ。
この女性の話がすごかった。。
話自体も上手なのだけど、ムスリムに対する差別や過去に受けた侵害などに対する怒りの感情がとても伝わってきた。
過去にかつてイスラム教だった土地がヨーロッパの植民地となり、
ムスリムの人々は強制的にニカブ(口を覆っているもの)やヘジャブ(頭を覆っているもの)をストリップショーのように脱がされた出来事とか
今でも差別は残っていてデンマークの一部の地域ではムスリムは子供と一緒に暮らすことができないとか、
国に帰れと野次を飛ばされることがあるが、かつての場所にはユダヤ人が住んでいてそもそも帰る場所がないとか、
ナチスはとても批判されているけど、植民地の方が何倍もの人を殺戮している事実、
ムスリムの大量虐殺の平均年齢は5歳であった、その理由は将来テロリストになるからという根拠のない理由、
ただ信仰のもとに自分の着たい服を着てイスラム教徒であるだけで迫害されることがやるせないといったこと。
日本にいるだけだとこういう事実を知ることすらなかっただろうな。
もちろん話を聞いたことはあっても、当事者から感情を込められて聞くと受け取り方が全然違ってくる。
休み時間にベルギーとデンマークのハーフであるニコライと少し話してみたけど
ムスリムが今でも差別を受ける理由としては、植民地が60年前と遠くない過去であったため人々に差別意識の名残があるということや、社会階級が低いところに位置していることが多いからではないかということを言っていた。
また社会的階級についても仮に同じ給料だとしても、同じ給料の白人よりかは差別を受けやすいといったことも。
ニコライの考えだとこのフォルケホイスコーレに集まっている学生は比較的寛容な人が多いけど
とはいえ全く差別がないとも限らない、とのこと。
この講演会の女性はとてもパワフルな女性で、デンマーク人の学生たちも感心して話を聞いていたけど
植民地や差別の当事者でもあるわけで、どういう気持ちで聞いていたのか本心は謎だなと思いながら見ていた。。
私の見る限り、確かにここである程度の差別はありそうだなとも感じているので。。
LGBTQとか女性の権利とか自分たちも当事者であるものに対しての意識は全員高いけど、
ムスリムへの理解とか外国人差別とか当事者ではないものに対しては関心の度合いは低そう(ある意味当たり前だけど)
私が留学で苦労を感じている何倍もの苦難を生まれてからずっと、しかも半永久的に感じているのだろうと思うと
世界の不平等さを感じるし、無力感も感じる。
日本という島から出て世界におけるいろいろな問題を知れることは大切なことだとは思うけど
一方でそれに対して何もできることがないと思うと、知るだけで何か価値があるのだろうかとも思う…
そしていろいろな物事を知れば知るほど、日本人として日本で暮らすことがいかに快適で安全で守られていることかを実感する。
もちろん日本でも様々な生きづらさはあるし、正直この平和がいつまで続くかもわからない。
既に給料も上がらず物価も安くて競争力も落ちている先行きの怪しい日本の未来として、
今の東京のコンビニで見かけるような私たちにとっては他人事かもしれない移民の人たちに
将来日本人が海外でそうなっている可能性も全然あるような気がして、それも遠くない未来に。
悲観的すぎるかもしれないけど。。
そういう将来への漠然とした不安があるから、海外で通用するようなスキルや言語を身に着けたいと思って飛び出してきたけど、
こちらに来て実感するのは、やっぱり日本に住むのが一番住みやすいのでは、ということ。
多分もっと若い頃に海外に就職してみてたらエネルギーもあったし、今よりもアクティブになれたとは思うけど
学生の頃に何かに挑戦するって大事だなあとひしひしと感じる。。
何歳でも挑戦できるとは言うけど、肝心なエネルギーがなくなってしまうから(笑)
だから、こちらに来てそれなりに大変さも感じつつも何か留学とか大きなことに挑戦できるおそらく最後の機会として
こっちに来てよかったなと感じる。