差別と排他と非寛容(1) | 徹通塾・芝田晴彦のブログ

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民族自決 戦後体制打破
基地問題を考える愛国者連絡会 / 自由アジア連帯東京会議

※本記事はH13.10.29『cafe oscar』よりの転載です。

http://www.geocities.jp/oscarexpress/text10.htm


その1・ユダヤ人問題に見る差別の構造

 

「ユダヤ人」という存在があります。

それは由来を旧約聖書に持つ、ダビデの王国の子孫ということになりますが、実は形態学的な特徴を持ち、その種の起源を異にする人種としての「ユダヤ人」なるものはどこにも居ません。世界各地で過去何千年もの間に行われた混血が、大まかな分類(例:コーカソイド、ネグロイド、モンゴロイド)を別として、人種というものを打ち消してしまっているからなのです。

したがって「ユダヤ人」とはユダヤ教を信じ、独自の戒律と生活様式を持つ人達の総称ということになります。例えば、こういう呼び方はしないのですが、カトリック教を信じる人達の総称を「カトリック人」と称するのと同じようなことです。

時折「日本人とユダヤ人の・・・」などというタイトルの著作物を目にしますが、一方は国籍による、またもう一方は信仰が起源の呼称なのです。ですから国籍を基に「○○人」と称するのならばあくまでもユダヤ人は「ユダヤ教徒」ということになります。



人間のある一定の特徴をつかみだして、「これは何々人種である」ということを近年最も力をいれて行ったのはほかならぬナチスです。

彼らは「ユダヤ人種」に対抗する概念として、「アーリア人種」なるものを捏造しました。これはもともと言語学上の考え方で、古代インド語であるサンスクリット語とギリシャ語・ラテン語・ゲルマン語等が起源が同一であることが判別し、これらの言語の共通の祖語に「アーリア語」と名づけられたことによります。

ですから「アーリア語族」というのはあっても「アーリア人種」などというものは存在しないのです。しかし、ナチスは金髪・碧眼、そして堂々とした体躯の、世界で最も優秀な人類の支配者「アーリア人種」(=ドイツ人)というものを作り上げ、対するユダヤ人を「遺伝的な最低の劣等民族」(!)としました。

正常な頭とまともな考えを持つ人ならば決して取り合わないようなこの思想が、ある時代にある場所で熱狂的に受け入れられてしまいました。

言うまでもなく第2次世界大戦前後のドイツです。



従来よりいくつかのキリスト教国内においてユダヤ教徒は嫌悪の対象でした。なぜならキリスト教社会においてはユダヤ教徒こそが、主イエス・キリストを裏切ったユダの子孫であるとされていたからなのです。教会の力が現代とは比較にならないほど強かった当時、教義によって彼等ユダヤ教徒は一切の生産的な職業に就くことを許されませんでした。

そして彼等はもっぱらキリスト教が禁じる職業に従事することになりました。例えば「他人に金を貸して利息を得る」という行為はキリスト教では許されませんでした。結果、シェイヒクスアの「ベニスの商人」に出てくる悪徳金貸しのシャーロックよろしくユダヤ人がその任を行いました。もともとキリスト教の元祖でもあるユダヤ教でも利息をとる行為は禁止されていたのですが。

彼達ユダヤ教徒の多くは、ヨーロッパの国々で、外部からの強制や、またある時は自分達の意志で「ゲットー」という集団居住区で生活をしました。

宗教・信仰・ゲットーでの生活・特定された職業・キリスト教徒からの迫害・・・こういったものが要素となり、ユダヤ教徒は「ユダヤ人」という一民族を形成しているのです。

これに類するものは日本でもありました。

仏教の影響を受け、その戒律の「非殺生」が古来よりの神道の「穢れ」の概念と結びつき、主に人や動物の生き死にに関わる職業を営んでいる人達をやがて、「穢多・非人」という一種族として捏造し、差別していった問題です。もとよりブッダは終始「法(ダルマ)」の前には全ての人間が平等であると唱え、実践したのですが、教義を解釈するのもまた人間であり、その解釈により正反対の結果を招くというのは後の様々な問題にも共通することと思います。

明らかに不当な、制度としての身分でもあり、自己選択の余地の殆どない「穢多・非人」と、選択の結果でもある「ユダヤ人」に根本的な差異はあります。しかし、宗教上の教義が遠因となり、特定の生活習慣・職業を持つ人々を迫害し、住居・職業を制限し、特に生産的な職業である「農業」を行うことを禁じられ、やがては一つの「種が異なる属性」と社会的に信じられ、認識されるに至り、嫌悪と差別の対象となった点、共通するものをいくつか見出せます。

つまりはどちらも、「血統」であるとか「純潔」であるとして優劣を競う対象になるものではないのです。それはナチス的思想そのものなのです。



やがて西洋で生産の主体が農業から工業へとシフトし、商業・経済が発達すると、彼ら金融を業とするユダヤ人の中に成功を収める者も出現しました。もともと勤勉な性質の彼らはさらに許された職業、弁護士とか出版、医学でも多数の者が成功し、財を成しました。

今日の金融、為替、保険といったシステムを作り上げたのは、ユダヤ人が世界の各地に散らばり、先々で迫害や差別を受けたため、そのネットワークを生かした独自の安全保証システムを作り上げたことが大きく影響しているとも言われています。

一方、第2時世界大戦前のドイツは先の敗戦の後遺症で、失業者、不満分子を数多く抱えていました。

そんな折、極端な排他的民族主義者に影響を受け、感化されたアドルフ・ヒトラーは、「ドイツがこのような状態に陥ったのは全てユダヤ人の陰謀である」という自説を展開しました。これが当時のドイツ国民に熱狂的に受け入れられてしまったのです。

ナチスはマスコミ・文学・演劇・音楽等あらゆる場面で、ドイツ国民に繰り返し叫びました。「彼等(ユダヤ人)が狡猾な手段で富を一人占めしている」「ユダヤ人はドイツ娘を凌辱し、血を汚す」「ドイツは戦争に負けた。これは背後から裏切者のユダヤ人が突き刺したからだ」・・・。

この宣伝活動によって多数の容易に影響され易く、嫉妬心で左右される思慮の浅い数多くの大衆を感化していきました。人間誰でも境遇を自己の努力不足とするよりも他へ責任転化する方が遥かに楽なのです。

これと同じ種類のことに日本も近年関わりました。それは先の「日米貿易戦争」と呼ばれたヒステリックな騒動です。デトロイトの自動車工場の前で「悪いのは日本」と叫びながら日本車に火をつけたりした件です。

もし当時、米国の自動車業界が活況を呈していたならば、もちろんこんなことは起こりませんでした。しかし、次々にレイオフされ、日々を不安の中で過ごす彼等に物事を冷静に見る余裕はありません。一方で好況の日本の自動車メーカー、ひいては日本人そのものが彼等から見ると、ヒトラーの言う「狡猾なユダヤ人」のように見えたのでしょう。貧しい者、不安な者の多くは何かのきっかけで容易により富める者に対し嫉妬心を抱きます。しかしこれは人間の持ち合わせた偽らざる性質の一つです。これをヒトラーは利用したのです。

そして大戦中、ナチスの口車に乗せられた多くのドイツ人が、ユダヤ人達の商店を叩き壊し、追い出していきました。

さらにナチスはユダヤ民族の絶滅を本気で考え、実行に移しました。ホロコーストと呼ばれる国家体制側による最悪のテロです。ナチスはユダヤ人を次々と「保護拘束」と偽って、収容所のガス室に送りました。結果、当時のユダヤ人の総人口の1/3にあたる600万人以上の生命が奪われました。この事が、オスマン帝国の時代に始まった、ユダヤ教徒によるユダヤ人国家を作る運動(シオニズム)を大きく前進させるきっかけとなったのです。(13.10.29)

差別と排他と非寛容(2)へ続く。