どうも、はちごろうです。


我が家の車はもう何年も洗車をしていなくて。
外側を洗ってないわけだから車内の敷物なんか
下手したら買ってからずっと洗ったことがないくらい。
そこで昨日、昼間晴れていたこともあって
一念発起して車の中を掃除し、敷物も洗濯したんだけど、
一生懸命洗って物干しに干し終わったそばから天気が悪くなって、
夕方にはとうとう夕立まで降ってきた。
慌てて地下の洗い場で一晩部屋干しして、
今日も日が出てきた昼から物干しで干してたんですが
まだ完全に乾ききってないので車に戻せないでいます。
梅雨明けまで待てばよかったとホントに後悔してます。
さて、映画の話。




「思い出のマーニー」











日本を代表するアニメ制作スタジオ、スタジオジブリの最新作は、
ジョージ・G・ロビンソン原作の児童小説の映画化。
監督は「借りぐらしのアリエッティ」の米林宏昌。



あらすじ


中学1年生の少女・杏奈は幼い頃に両親を事故で亡くし、
養母の頼子に育てられたが、いつの頃からか周囲に心を閉ざし、
学校でも誰ともかかわらず一人で過ごしていた。
ある日、課外学習でスケッチに訪れた児童公園で
持病のぜんそくの発作を起こした彼女は、医者の勧めに従い、
夏休みの間、釧路に住む頼子の姉・大岩夫妻の元に身を寄せることに。
その家の2階の窓からは、海と繋がっているために
潮の満ち引きを繰り返す湿地帯が広がっていた。
杏奈はそこで好きなスケッチをしながら日々を過ごしていたが、
彼女は夢の中で、湿地帯の向こう岸に見える
通称「湿っ地屋敷」と呼ばれる古い洋館の窓に、
同い年くらいの金髪の女の子の姿を見るようになる。
夏祭りの夜、近所に住む地元の子に暴言を吐いてしまった杏奈は
いたたまれずにその場を逃げるように去り、湿地で独り涙を流す。
するとそこに一艘のボートを見つけ、
彼女は思いついたようにそれを漕いで湿っ地屋敷に向かった。
そこで彼女は夢の中で見たのと同じ姿の金髪の少女マーニーと出会うのだった。




スタジオジブリの終わりの始まり



日本を代表する世界的に有名なアニメスタジオ、スタジオジブリ。
昨年、この会社は一つの大きな転換点を迎えた。
そもそもスタジオジブリは宮崎駿と高畑勲という
二人の天才アニメーション作家の作品を製作するために設立された会社。
昨年宮崎駿監督の「風立ちぬ」、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を発表。
宮崎監督は5年ぶり、高畑監督は実に14年ぶりの新作であった。
そして宮崎監督は「風立ちぬ」をもって長編アニメ映画制作からの引退を発表。
高畑監督は現役続行を言明するも、実質的には彼の最後の作品と思われている。
同時に、二人を30年以上にわたって支えてきた鈴木敏夫プロデューサーも、
GM(ゼネラルマネージャー)に就任し、制作現場から一歩引いた立場に退いた。
さらに、これは鈴木プロデューサーが自身のラジオ番組で口にしていたのだが、
スタジオジブリは日本のアニメ制作会社の中では珍しい
制作スタッフの正社員化というシステムを採用していた。
これは、スタッフを不安定な立場でこき使う日本のアニメ制作の現状を憂えて、
優秀な原画マンを正社員として雇用することで質の維持を図ったわけですが、
宮崎・高畑両名が高齢により作品を量産できなくなったこともあり
会社としてのスタジオジブリの経営は以前から限界に来ていたという。
そこで将来的な会社の解散も現実味を帯びてきた、というのである。




スタジオジブリ2.0への道



そうした現状に対して今回ひとつの答えを出そうとしたのが
本作の監督、米林宏昌。通称「麻呂さん」である。
彼はジブリ生え抜きの作画スタッフの一人として、
「もののけ姫」以降、宮崎監督の元で研鑽を積んできた作画部門のエースだった。
そんな彼に鈴木プロデューサーは次世代の監督候補として白羽の矢を立て、
初監督作「借りぐらしのアリエッティ」は興行的にも一定の成功を収めた。
だが監督を務めてみて、彼の中には内心心残りがあったそうだ。
前作では、自分の監督作品でありながらスタジオには常に宮崎監督がいて、
まるで監視するように彼の仕事ぶりを見ていたという。
しかも「アリエッティ」の脚本は宮崎さん本人が担当していたこともあり、
やはり「自分の作品」を作ったという実感はなかったようである。
「風立ちぬ」制作時も、宮崎監督には体力的な衰えが如実に現れるようになり、
彼の描く鉛筆の線がどんどん弱くなっていくのを
麻呂さんは同じ作画スタッフとして内心忸怩たる思いで見ていたそうである。
そこで彼は今回、自ら監督をやらせてほしいと志願。
それに対し鈴木プロデューサーは本作の原作を紹介したそうだ。
そこで麻呂さんは自分の片腕となる作画監督に
「もののけ姫」の作画監督、安藤雅司を招へいする。
彼は麻呂さんの先輩として一時期ジブリに在籍していたが、
宮崎監督の制作スタイルに嫌気がさしてジブリを飛び出した過去がある。
そんな彼を麻呂さんが今回呼び寄せたことで、宮崎・高畑・鈴木体制とは違う、
新たなジブリの構築を目指した、という経緯があるんですね。




これがジブリの現状



しかし、麻呂さんが新たなジブリを目指そう、
「宮崎・高畑がいなければこんなもんしか作れないのか?」と
絶対に言わせないと意気込んで作られた本作は、
図らずも宮崎・高畑・鈴木体制以後のジブリの現状を
良くも悪くも顕在化させる一本となってしまったように感じる。
麻呂さんはジブリの作画部門のトップに上り詰め、監督になった男。
そういった点でいえば、彼は宮崎監督と同じスタイルの監督といえる。
つまり作画の質、絵のクオリティが武器の監督なわけです。
ということは、物語を作る能力は当然作画能力に比べるとやはり劣る。
今回の作品は北海道を舞台に一人の少女の内面に迫り、心の成長を描くという、
アニメ映画にするには非常に不向きな、動きのない物語。
となれば作画での見せ場を用意することが難しく、
なおさら脚本の質の向上を優先させなければいけないはずなのに、
麻呂さん、安藤さん、そして「ゲド戦記」以降脚本に参加するようになった
丹羽圭子さんの3人体制で書かれた脚本は正直かなり出来が良くないんですよ。




続く