世界三大珍踊り発祥の地三津浜でそのステージに立ったのは2015年の夏。

古い友人が、にぎやかしの一部にしてやろうくらいの気持ちで私にカーニバル衣装で出場することを勧めてきた。

軽い誘いを軽い返事でオッケーしたけれど、今後まさかこの珍踊りのために生きていくことになるなんて。

『青天の霹靂とはこのこと』というフレーズはこういう時に使うの?

 

 今年で8回目を迎えた珍踊り。

過去3度出場し、3年連続入賞(2016年は優勝)したわけだけど実は『優勝』を狙ったことは一度もなかった。

 2015年初めて珍踊りのステージに立つ瞬間まで私は軽く鬱っぽい感覚を身にまとっていた。

追い打ちをかけるように、珍踊りの会場には中途半端な人数で中途半端な年代のギャラリー。

私は「こんな中途半端な場所で裸みたいな格好して躍るために世界をまわっていたわけじゃないのに…」と心が躍りださないままステージに立った。が、次の瞬間、目の前のギャラリー達から「うわぁ~!!」と歓喜の声が上がる。(多分歓喜の声…)

 カリブの国でカーニバルに参加し、肌を露出することにすっかり慣れてしまった私にその声は新鮮すぎて驚き、そしてまさにその瞬間こそが「青天の霹靂」だった。

き、気持ちいい…。歓声の中で踊るって、気持ちい!!

(時々「下品~!」って声も上がるがそれもまた気持ちよかったww)

踊りながら「これ、優勝ちゃう?」と自信つくも結果は2位。

優勝はかぶり物を作り、踊りをしっかり合わせてきた魚屋で働くおばちゃんたちだった。

 

この優勝に政治的背景を見た私は次の年もカーニバル衣装で出場し、「40代でこんなに頑張って肌出して踊っているのに、今年も2位だった」というのを目指した。(が、意と反して優勝してしまう)

 2年連続入賞すると、なぜだろう。「飽きられないようにしなきゃ」という意識が湧きあがる。

誰も期待などしていないのに。

 

 2017年は「ただ脱いで躍る」に変化を加えた。

長刀で演舞した後(けっきょく)脱ぐ。

和とカリブだ!!(力むとこ違う)

 

珍踊り前日、ストリップを観にいった私は踊り子さんたちが身にまとっているものをじらしながら脱いでいることに気がつく。

長刀着を勢いよく脱ごうとしていた私は、この日「じらしながら脱ぐ」という行為を夜中二時まで練習。

 この年も歓喜の声の中踊るが、実はまだ鬱っぽい感覚が抜け切れていなかった私は「入賞できればいいや」くらいに思っていて、踊りも振り切れていなかったのだ。(「え?あれで?」と言われたけど)

そんなんだから(そんなでも)結果は三位。

 3年連続入賞するといよいよ周りから「今年どんなの?」「期待してる~」の声ばかりか、

「出店したいんですけど」「日程教えてください」「キャンベルさんは何時ごろ出ますか」など、問い合わせまでやってくるようになってしまった。

挙句「ミス珍子」という屋号までいただいた。

世界三大珍踊り発祥の地三津浜で、情熱をもって生きていいことを許された。

 

 そして今年2018年。

私は飛び道具を引っ提げて平成最期の夏の珍踊りに挑んだ。(続く)