高知県で「純喫茶CUBA」を営む西森恵美子さん。

89年前、キューバのエスメラルダという小さな田舎町に生まれ12歳までそこにいた。

 

彼女にエスメラルダの町の写真を撮ってくると約束した私は、2年ぶり3度目のキューバに降り立った。

首都ハバナを満喫するでもなく、早々にエスメラルダ方面に向かうカミオン(現地の人間も好んでは乗らないおんぼろバス)の中で、バスに人が集まるのを待っていた。

 

 バスはようよう走りだす。

茶色い枯れた土地に牛を放牧する景色と、

バスやタクシーに交じって馬車も行き交う町の景色が交互に繰り返されていく。

 

そんな時、妙な体感が私を襲った。

曇り空から一瞬顔を出した太陽を見た時、体の細胞が騒ぎだし、私はぶるっと身震いした。

その瞬間

「あぁ、そうか。この旅は写真を撮って終わりではなく、恵美子さんのことを知る人に出会えるのかもしれないんだな…」と予感できた。

こういう体感が時折おこり、私はこれを「旅の前兆」と呼んでいた。

 

エスメラルダは私の知っているキューバの町のどこよりも何もなく、

宿だってないんじゃないかと心配したくらいだった。

 

自転車タクシーの運転手、ロベルトに宿までの道すがら私がなぜこの町に来たのかをつたないスペイン語で話した。

すると彼は、「そんな理由なら俺に任せろ!もう俺たちはアミーゴ(友達)だ」と、

お金もとらず滞在中ずっと町を案内してくれた。

私はパシャパシャと目に映るもの全てを写真に収めていった。

 

エスメラルダ滞在2日目。

ダニアという女性がいつの間にか私の横にいて、彼女の案内で昔この町で牧師をしていた方の息子、オシエルに会いに行った。

この町に日本人がいたことを話し、家族3人が並ぶ写真を見せると彼は躊躇なく言った。

「アンヘルとマルガリータだね」

それは恵美子さんの両親のキューバ名でもあり、オシエルの父が2人に与えたものだった。

 

恵美子さんの両親が営んでいた理容室は今はレストランに、

食料品雑貨店は公園になっていることを彼から教えてもらった。

 

公園の横に立つ一軒の家を思いつきでノックすると中から品のよい白髪の老婦人が出てこられた。

3人の写真を見せると、彼女もやはり躊躇なく「市原さん(恵美子さんの旧姓)だわ」と答えたのだ。

ダニアは両手をたたいてこの偶然を喜んでいた。旅は前兆通りだった。

 
2018年3月14日 掲載
 
 
 
 
CUBAは葉巻の吸い殻が落ちてる。
渋いわ
 
 
 
 
 
ようこそ エスメラルダへ
 
ロベルト。
後に私にとっての猿田彦
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私からみて、ひいおばあちゃんが中国の方で。
私達は同じアジアの血が流れてるから!と言って恵美子さんのことを知る人がいないか一緒に探し始め出した。
なんだか楽しそうだったな。
 
 
恵美子さんの両親のことを覚えていたオシエル。
 
昔理容室だった場所はレストランに。
お家はその横にあったらしい。
 
ダンスホールと食料品店だった場所は今は憩いの場に。
 
その横に建てられていたお家を思いつきでノックしてみた。
何か知ってないかなぁ。と思って。
一番右端の白い扉のお家。
 
そしたら、「あ、市原ね」って知ってた。
彼女から恵美子さんの両親のお話をたくさん聞いた。
だけど私のスペイン語の理解力には限界があった。
けれども、頑張ったよ。
書いてもらって辞書で調べて 書いてもらって辞書で調べて 雰囲気で理解して。