実写化で大切なこと
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7ce70273acea7e326b068b846b1aaa8a5d94178
以前、原作漫画付きの実写ドラマで、原作者の方が自ら命を絶つという痛ましいことがあった。
今回は、テレビ局や出版社と原作者の関係について語るのではなく、
原作に忠実な実写化について書いてみたいと思う。
今回のことに限らず、漫画原作の実写ドラマや実写映画が作られると、必ず話題になるのが、
原作に忠実か、どうかだ。
俳優などの見た目、服装や小道具などのディテール、そしてもちろんストーリー。
原作では中学生くらいの少年少女が、ドラマや映画では何か急に大人っぽくなってたり、原作では明らかに欧米人風なのに、はっきり日本人が演じていたりと、
やはり、原作と実写は違うと分かっていても、違和感というものは出てくるものだ。
では、ストーリーの方はどうだろうか。
結論から言うと、漫画のストーリーをそのまま実写化は難しい。
これは、漫画と実写では、はっきりとテンポが違うからだ。
この画像は、『ワンピース』の結構昔のエピソード、「デービーバックファイト編」の一幕である。
麦わらの海賊団と、フォクシー海賊団が、
デービーバックファイトというスポーツを模したようなゲームで戦い、一回戦勝つごとに、勝った方は負けた方の船員を1人引き抜くことができる、というルールだ。
この中で、ルフィ達麦わら海賊団が一つのゲームで勝ったので、どうするのかという相談をしたとき、
相手の船長である、オヤビンことフォクシーを取って勝利するという提案した場面なのだが、
その提案の穴を突いたロビン。
それに気付くナミ。
オヤビンはいらないと拒否するルフィ達4人。
ショックを受けるオヤビン。
これが一コマの中に入っている。
では、これを実写化しようとしたらどうなるだろうか。
登場人物は7人。
このやりとりを全部やろうとしたら、少なくとも複数の画面切り替えが必要ではないだろうか。
工夫すればその数は減らせるかもしれないが、
間違いなく、漫画よりもテンポは落ちる。
漫画は2次元だが、その奥行きは果てしない。
先程の画像も、上半身が映っている6人に対して、顔だけのアップが映っている一人。
たぶん、実写では一画面で表現できない構図だ。
でも、漫画では自然に受け入れることができる。
漫画と実写の映像では作りがまず違うこと。
大体100分から120分の間に収めなければいけない映画、ドラマなら1時間を12本くらい。
これらの制限の中では漫画のテンポや構成を忠実に実写化することは不可能だと思う。
その当たりは、原作のファンも分かっていると思う。
では原作ファンが何より一番実写化において大切にしてほしいことは何か。
それは、その作品の「世界観」の再現である。
どうも、日本の実写化ドラマなどが時に炎上したりする原因は、勝手に世界観をいじられることに対する怒りのような気がする。
主人公を始めとした登場人物の設定が変わっている(キャラの年齢や職業、生い立ちや置かれている状況など)
原作にはいないキャラクターが追加されている(例えば、漫画『極主夫道』では、主人公には妻しかいないのに、ドラマ版では娘もいた)
実写ドラマや映画からその作品に入った人には良くても、やはり原作の漫画が好きな人にはそのような変更は不満が出るのは当然だろう。
おもしろければいざ知らず、それが余計なノイズになってしまったのでは意味がない。
さらに以前、アメリカでロードオブザリングのシリーズで、黒人の俳優が演じるエルフが出てきたときも、批判が起った。
あの時も、批判の内容は黒人がエルフを演じるなという差別感情ではなく、
元々の原作である指輪物語の世界には、黒人のような肌の色のエルフはいないことになっているから、世界観を壊すということで批判が起きたのだ。
やはり大切なのは世界観なのである。
原作のある作品作りをするのなら、まずその原作の世界の中でどのように魅力を出すかを考えるべきであろう。
勝手に、その世界に無いものを外から持ち込むことはかなり慎重にならないといけない。
逆に言えば、原作を十分に理解して、その世界観を深める方向に行くのであれば、ドラマや映画による原作にはない追加要素などは歓迎されるだろう。
実際、映画『ショーシャンクの空に』や『ミスト』はラストに原作には無いシーンを追加したことで、より評価を得ることになった。(どちらも、原作はスティーヴン・キング、監督はフランク・ダラボンである)
だから、実写ドラマや映画のオリジナル要素が悪いとは言わない。