別れの時 | 幼恋。

幼恋。

小さいころの私の、理想の恋愛のかたち。

今日は、プロポーズの返事をする日。

バイトの後、省吾くんが迎えに来てくれた。
「よう、お疲れさん」
いつものセリフ。でも、省吾くんが緊張しているのを感じる。
あのプロポーズの後、初めて顔を合わせる。
お互いに口数が少なくなる。
視線を逸らしてしまう。
省吾くんは私の頭をポンポンと撫で、「うちに来てから、な?」と言った。
省吾くんの車の座席に座って、彼の横顔をそっと見つめる。
こんなに近くにいるのに、今は彼の考えていることが全く分からない。

私は緊張しながら、省吾くんの家に入る。
「お邪魔します・・・」
一歩足を踏み入れると、部屋の中にはダンボールの山。
今更ながら、彼がここを出ていくんだという事実を突きつけられた気がする。
「準備、着々と進んでるね」
私が言うと、
「まぁね。もう明日、引っ越し業者が来るから」
と返事が返ってきた。
明日?そんなに早く?
転勤は9月って言ってたのに・・・。
でも海外だから、早めに行かないと行けないのだろう。

そのセリフを聞いた時、どこかで、彼は私を連れて行くことを現実的に考えてはいないのではないかと感じた。
だって、本気で連れて行く気なら、私にも準備を急かすはず。

リビングが段ボールだらけだからと、寝室に案内された。
寝室も、ベッドはそのままだけど、周りにスーツケースと小さな段ボールが重なっていた。
省吾くんはベッドの上に座ると、ようやく私をまっすぐ見つめた。
私は立ったまま、背筋が伸びる。
心臓が大きく鳴る。私は思わず唇をキュッと結ぶ。
「そんな怖い顔、するなよ」
くっと笑う。私の好きな、省吾くんの笑顔。
少し緊張がほぐれる。
「怖い顔なんて、してないよ」
私は立ったまま、否定する。

「それで、この間の返事は?」
省吾くんの眼が、少し不安の色を帯びた気がした。
途端に私は、胸が痛くなる。
喉がカラカラに乾いて、息もできなくなる。

プロポーズ、嬉しかった。
まだ付き合って間もないのに、真剣に将来を考えてくれてること、嬉しかった。
きっとこの人と一緒なら幸せになれる、そう思えた。
でも・・・。
今、何もかもを置いて、省吾くんについて行くのが正しい選択なのか、自信が持てなかった。
私はまだ日本で、高校で学ぶべきことがたくさんある。家族も友達もいる。
本当に、今すぐついて行くべきなのか?
・・・分からなかった。
決心がつかなかった。

私は俯いて、何も言えなくなった。
だって、省吾くんの求める答えは、“YES“か“NO“だけだ。ごちゃごちゃした理由なんて必要としていない。
永遠のような沈黙。
お互いに動けない。何も言えない。

どのくらいの時間が過ぎただろう。
省吾くんがため息をついて、力なく笑った。
「やっぱり、それが答えってことだよな」
私の態度は、省吾くんを失望させ、悲しませたに違いない。そう思うと、涙が流れた。
「・・・ごめん、なさい・・・」
口元を押さえ、それを言うので精一杯だった。

次の瞬間、省吾くんは笑い出した。
「ハハッ!まぁいいさ。どうせ俺も本気じゃなかったし」
・・・え?
今、なんて・・・?
私がびっくりして省吾くんを見ると、今まで見たこともないような冷たい眼をしていた。
人を寄せ付けないような。
私はビクッとする。背筋が凍る。
何?なんか、怖いよ。
“本気じゃなかった?“
プロポーズのこと?
嘘でしょ?
私はパニックになっていた。

省吾くんはベットの上で伸びをして言った。
「実はさ、賭け、してたんだ。ハルと」
え?賭け・・・?
「俺が女子高生をオトして付き合えるかって。あいつがGWにこっち来た時。アイツはぜーったい無理だって言って、俺が振られる方にかけたんだけど・・・まぁ、上手くいっただろ?」
淡々と語る省吾くんの言葉を、私はよく理解できなかった。
「俺も、一度は女子高生と付き合ってみたかったし。まぁいいかと思ってさ。でも、今時の女子高生はすぐヤレると思ってたのに、ガード硬くて参ったよ」

私は、目の前で話す省吾くんをボーッと見つめていた。
これは、本当に省吾くん?
あんなに私を大切に扱ってくれた、あの省吾くんと同一人物なの?
私は足元が揺ら揺らしてるような感覚にとらわれた。
「だから結婚チラつかせれば、今日あたり簡単にヤらせてくれると思ったんだけどな。あ、ちなみにロンドンに転勤ってのも嘘だから」
え?嘘?
「仕事でヘマして、飛ばされるんだよ。北海道に。ヨーロッパに栄転って言えば、喜んでついて行くって言うかと思ったのに・・・プロポーズ作戦もダメか」

ちょっと待って。頭がついていかない。
省吾くんは何を言ってるの?
私は涙も止まって、省吾くんを見つめる。
省吾くんの放った言葉を、必死に理解しようとする。

全部、嘘だった?
ハルさんとの賭けに勝ちたかったから、付き合ってた?
女子高生とヤりたかっただけ?
・・・そんなの,信じない。信じられない。

「お互い様だよな?そっちも、俺を利用してただけだろ?」
畳み掛けるように続く彼のセリフは、私を混乱させる。
利用?何のために?

「アイツのこと、忘れられないくせに」
“アイツ“。
祐ちゃんのことを言われて、ビクッとする。
私は胸を撃ち抜かれたように、動けない。
「俺をアイツの代わりにして、利用してたんだろ。年上で、背格好も同じくらいだからな」
痛い。
心臓が、痛い。
誤解だよ、省吾くん・・・!
代わりだなんて、思ったことない。

祐ちゃんを私の心から追い出すなんて、出来ない。一生、出来ない。
でも私は感じてる。
省吾くんと付き合うようになって、祐ちゃんの影が薄くなったこと。
祐ちゃんを見ても、心乱れなくなった。
ようやく祐ちゃんを一緒に住む家族だと、お兄ちゃんのような存在だと、認識できるようになった。
それは、絶対、省吾くんのおかげ。そう思っている。
それが私にとってどれだけ大きなことか、省吾くんには分からないのかな。

私は口に出せず、心の中でたくさん省吾くんに伝えたいことを話した。
でも、もちろん、それが彼に届くわけはない。

私の沈黙を、省吾くんは肯定と捉えた。
「大したもんだよ。俺も騙されてたって訳だ。とんだピエロだよな」
騙してなんかない。
「そんなつもり・・・!」
そんなつもりなかった。
私は首を横に振る。
省吾くんは急に立ち上がると、私の両手首を掴んで、私をベットに押し倒した。
「きゃっ・・・!」
私の上にのしかかる。
「"そんなつもりなかった“?だったらいいよな?」
省吾くんが唇を重ねる。
でもいつもの優しいキスではなく、早く私を征服したいという激しいものだった。彼の舌が激しく絡む。

怖い・・・!
これが、あの省吾くん?
私に惜しげもなく、好きだと言ってくれてた人?
私に初めて、「幸せになれ」じゃなくて、「幸せにする」と言ってくれた人?
初めて省吾くんに触れられてから、私は覚悟を決めていた。いつか、省吾くんに抱かれることを。全てを捧げることを。
でも、こんなふうになるなんて、思ってもみなかった。涙が溢れる。体が震える。

それを見た省吾くんが、掴んでた手を離して立ち上がった。
「だからガキは面倒なんだよ」
胸がナイフで切り刻まれてるみたいだ。
突き刺さる。
今日、どれだけの冷たい言葉を投げつけられただろう。
でも私は、信じられない。
信じたくない。
どうか信じさせて、私が初めて付き合った人を。

省吾くんはもう私を見ない。
「もう、ガキの相手はごめんだ。帰れよ」

どうして?
どうしてこんなに冷たいの?
私がプロポーズを断ったから?
それとも本当に、賭けのために私と・・・?

でも、私は信じたい。
何を言われても。
私は、省吾くんに分かってほしい。
いつのまにか、私は・・・。
省吾くんが、誰よりも大切な人になっていたこと。
多分、祐ちゃんよりも。
自分でも信じられないけれど。

私は立ち上がる。
背中のファスナーを下ろす。
ワンピースが、音も立てず床の上に落ちる。
下着姿になる。
心臓が早鐘を打つ。恥ずかしい・・・!

私は、いつか省吾くんに抱かれるだろうと思っていた。
こんなシチュエーションは想定外だけど・・・。
涙が流れる。
でも私は。
本気で好きだった。
だから、省吾くんがの望むのなら、覚悟はできている。
こんな結末は望んでいなかったけど。

振り向いて、下着姿の私を見つけて驚いてる省吾くんを,私は見つめ返す。
私は震えていたと思う。
涙が流れる。それでも。
震える手で、ブラのホックを外そうとする。
うまくいかない。
ようやく外れて、肩紐が緩んだ時、視界が遮られた。

省吾くんがバスタオルを被せたのだと、分かった。
「・・・冗談だよ」
と静かに言った。

何が「冗談」なの?
賭けに勝つために、私と付き合ったと言ったこと?
女子高生とヤりたかっただけって言ったこと?
子供の相手はごめんだっていったこと?

私が動けずにいると、足音が遠のき、ドアが空いて閉まる音がした。
省吾くんは、部屋を出て行った。