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『アズリ峠』は私が持っている遍路道案内ガイドに載っていなかったので、アズリ峠の方に向かわずに、そのまま真っ直ぐ進みます。

 

 

園瀬川の堤防に突き当たりました。

 

 

園瀬川の堤防を左折して、堤防沿いを小松島市の方面に歩きます。

 

 

園瀬川の水面に、鴨がのんびりと浮いていました。

 

 

園瀬橋が見えて来ました。

 

 

園瀬橋北詰を通過して、そのまま園瀬川の堤防上を真っ直ぐ進み、文化の森の脇を進みます。

 

 

安全の為に歩道を歩いています。

 

 

遍路道は堤防から下に降りました。

お守りの落とし物あります。 

 

 

そのまま堤防に沿って歩きます。

 

 

 

堤防に上がり、堤防を横断して川の方へ降りて行きます。

 

 

堤防上に生えている大きな榎の根元にあるお地蔵様が見送ってくれていました。

 

 

堤防を降りて、河川敷を歩きます。

 

 

園瀬川に架かる潜水橋を渡ります。

一番の霊山寺からここまで歩いて来るのに潜水橋は、吉野川、鮎喰川の潜水橋に続いて3回渡る事になります。

 

 

潜水橋を渡り、堤防を上り・・・

 

 

左折して堤防上を歩きます。

 
 

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※ここからはお遍路とは関係ありませんのでパスして下さって結構です。
 
人間にとって『神や仏』とは何か?
 
人は祈ると脳のある特定の部分が活発に活動します。
ユダヤ教とキリスト教の場合は脳の前頭葉が活発に活動します。
前頭葉は会話の時に使う部分です。
即ちユダヤ教信者とキリスト教信者が祈ると普通の人と会話しているのと同じ状態の事が起こります。
脳にとって神に語り掛ける時と普通の人に語り掛ける時との区別は無いのです。
 
ところが瞑想に近い仏教徒の祈りには異なる特徴がみられ、脳の視覚野が活性します。
視覚野はモノを見る時に働く領域です。
仏教の修行では言葉よりも深い瞑想によって霊的な体験をする事を重視します。
 
ところが私のような無神論者が祈っても静かに瞑想しても、宗教的な祈りにみられるような脳の活動が一切起こりません。
つまり幾ら祈っても瞑想しても脳の前頭葉や視覚野は活性化しないし、神や仏について考えても同じです。
無神論者は神や仏を想像しても何も浮かびません。
 
一方神や仏を信じる人の脳は現実世界と同じようにありありと何かを感知しています。
脳の活発な活動を見る限り祈りの体験は現実世界の体験と全く区別出来ません。
それは脳の中にある現実だからです。
 
宗教が人の脳の中に生き生きとした体験を作り出す事は明らかです。
もし神や仏が私達の脳の中にしか存在しないとしても、神や仏が実在しないという事にはなりません。
実在を感じ取るのは人間の脳だからです。
 
人は偉大な何かが存在するという宗教的直観を持ち続けて来ました。
答えが分からなくても、それは私達の心の現実です。
 
人間が神や仏を創ったのか?
神や仏が人間を創造したのか?
 
神や仏は私達が世界を見る窓です。
神や仏は何かと考える事は、人間とは何かと問う事に繋がります。
大いなる神や仏は私達細部に宿り、神や仏を信じる事は最も人間らしい行為だからです。
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