全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。千葉県の風景になります。


岬ダム 千葉県いすみ市岬町鴨根    (2017年11月撮影)
岬地区をうるおしている岬ダムは、大成建設により昭和60年(1985)に建設が始まり昭和64年(1989)に完成したダムです。

ダム湖
いすみ市水道局が管理する上水道を目的とする水がめです。
太東崎    千葉県いすみ市深堀
大原海水浴場からの風景です。
日在浦(ひありうら)海浜公園
大原海水浴場に隣接している公園で
日在浦海浜公園
チビと散歩して来ました。
八幡岬    千葉県御宿町岩和田    (2017年11月撮影)
岩和田海水浴場からの風景です。
勝浦灯台    千葉県勝浦市川津    (2017年11月撮影)
勝浦湾の東側に突き出した細長い半島の八幡岬にある灯台です。
養珠院(ようじゅいん)お万の方像
八幡岬公園展望広場にあるこの像の養珠院は、徳川家康の側室で、紀州徳川家の家祖徳川頼宣(よりのぶ)、および水戸徳川家の家祖徳川頼房(よりふさ)の母お万の方です。
お万の布さらしの崖
お万様(養珠夫人) は徳川御三家の紀州(頼宣) と水戸(頼房)二祖の母で、天正5年(1577)勝浦城主、正木左近大夫頼忠の姫君として勝浦城内で生まれました。しかし天正18年、豊臣秀吉に攻略され北条氏が滅亡すると、勝浦城も本多忠勝や植村泰忠らの軍勢に攻められて落城しました。14歳の姫君お万様は、炎上する城を後に母と幼い弟を連れて、八幡岬の東側 40mの断崖に白い布を垂らして海に下り、小舟で館山方面へ逃れたということです。ここを「お方の布さらし」と呼び、後世に伝えられています。その後、お万様は徳川家康に見初められ、17歳の若さで江戸城に入り「陰山 殿」と呼ばれて寵愛されました。
平島
かつては遠見岬神社の境内であった。1601年に津波で社殿が流さた場所に立つ、旧・遠見岬神社の鳥居のようです。
勝浦城跡
勝浦城址は八幡岬の先端三方海に臨んだ断崖にあります。築城時期については様々な伝承がありますが、城郭の形態をなしたのは、正木時忠からではないかと考えられます。正木時忠がいつ侵攻してきたかは不明ですが、おおよそ天文8年(1539年)から天文10年(1541年)にかけてではないかと考えられます。正木氏は時忠から正木時通、正木頼忠と続きますが天正18年(1590年)小田原落城により関東が徳川家康の支配下に置かれるとほどなく植村泰忠に接収されることになります。    (千葉県HPより)
串浜大橋    千葉県勝浦市串浜
国道128号外房黒潮ラインの橋です。
守谷海水浴場    千葉県勝浦市守谷
遠くに見える島は「渡島」です。アップすると
渡島(わたしま)
守谷海岸の沖、およそ150mに浮かぶ赤い鳥居がある『渡島』には、年に数回の干潮時に砂浜と渡島がつながる自然現象を見ることができるそうです。
内房線 千葉県鴨川市江見太夫崎    (2017年11月撮影)
国道128号外房黒潮ラインと平行して走るJRの電車。
黒滝    千葉県南房総市和田町花園    (2017年11月撮影)
長者川の中流にある瀧で、落差は約15m程です。
小向ダム 千葉県南房総市和田町小向
小向ダム周辺には約1,000本の桜が植えられ春にはみごとな花を咲かせているようです。
ダム湖
小向ダムは南房総市の旧千倉町、旧丸山町、旧和田町の水源確保のため昭和52年(1977年)8月に給水を開始したダムのようです。
竜宮様と縁結びの鐘    千葉県南房総市和田町和田
竜宮様は文化年間(1804~1807)には「竜ヶ岬」と呼ばれたと記されております。ここに竜宮様と呼ばれる石宮が祀ってあります。竜宮様は地域から「深海の底にあって竜神の住むと云う宮殿」ということで、海上安全、大漁祈願、商売繁盛、縁結びを願って祀ったものです。地元の人たちは新年の初参りは鎮守の熊野神社へ、初日の出は、近年全国的にもパワースポットとして注目され、この竜客様がにぎあいます。地元和田区の祭りは、十月十日であり、山車の引き回しがありますが、その飾り人形は「乙姫様」です、「浦島子伝」などに伝説的となっている浦島太郎・龍宮城・乙姫様とつながる浦島伝説にちなんだものであります。
※なお、この縁結びの鐘は、浦島伝説にちなんで平成二十二年に設置したものです。    (説明板より)
和田サーフ橋    千葉県南房総市和田町下三原
三原川に架かる橋は、歩行者と自転車専用の橋で、橋の先にある白渚(しらす)海岸のシンボルとなっているようです。
千倉港指向灯    千葉県県南房総市千倉町平舘
指向灯は塔から3色の光を出し、船から見てまん中の安全なコースを白色で示し、コースから右側にそれると赤い光、左側にそれると緑の光が見えるようになって、危険回避をする光のようです。