全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。長野県の風景になります。


安宮神社参道 長野県筑北村坂井真田    (2019年7月撮影)
海抜1,037mにある安宮神社の創始年代は不詳ですが、万延元年(1860)ここに住みついた修那羅大天武(しゅならだいてんぶ)という山伏によって開かれたと伝えられています。

参道
大天武は明治5年に亡くなりますが、その間に社殿を創建し、多数の末社を勧請しましたそうです。
安宮神社
さらに、信者から奉納されたたくさんの石神仏が神社の境内から裏山にかけて祀られているので、チビと散策して来ました。
山犬
この山犬像は三峰山信仰に基づいて造立されたものと考えられる。三峰山(埼玉県秩父市)は,鎌倉時代の初期、修験者によって開かれた山で、山上に三峰権現を祀る三峰神社がある。権現の眷族は山犬とされ、「お犬様の札」と呼ばれる神札は火難、盗難をよけると信じられている。長野県では三峰講も多く組織され、今でも広く信仰されている。この山犬像は神札などを元にして彫られたものと考えられる。
対神
対神と名付けられている、対(つい)、すなわちペアで並んでいる神の像が何体か見られる。信州ではペアの神の石像としては道祖神が知られているが、修那羅には所謂、道祖神に見える像は見当たらない。しかし、男女とみられる対神もあり、道祖神信仰との関わりは考えられる。しかし、この対神は道祖神とは縁のない像で、侍烏帽子に大袖付胴丸の鎧を着けた典型的な侍の像である。向かって左の像は両手で刀を構えた像で、「大切皇神」の銘がある。向かって右の像は刀を抜こうとしている像で「大銑皇神」の銘がある。「大切皇神」については「病根切神」の銘のある(39)の鎌持神と同じく病根を断ち切ってもらうために祈った神であるのかもしれない。
洟垂(はなた)れ地蔵
修那羅には様々な姿の童子地蔵が見られる。亡き子どもの追善供養としてつくられたり、子宝に恵 まれるように願ったりして造立されたもので、常識的な仏教美術の枠から離れた、バラエティーに富んだ像が多くある。その内の一つが、修那羅の石神仏を世に知らしめた三石武古三郎氏が洟垂れ地蔵と名付けた像である。明治22年に奉納された像で、普通の延命地蔵と違って右手に宝珠、左手に錫杖を持つ。宝珠は手鞠のように見える。洟垂れ小僧を思わせる童顔のほほえましい地蔵である。
オートバイ神社
オートバイ神社は、 一般社団法人 日本二輪車 文化協会が認定し、 安宮神社は全国で4 番目の神社として認定されたようです。
獄卒の鬼
生前にウソをついた者は閻魔に裁かれ舌を抜かれるるという話はしばら前までは知らぬ者がない話である。その舌を抜く獄卒の鬼を表したもので釘抜きのようなものを持つ。恐ろしい顔つきであるがどことなくとぼけた感じの鬼である。
子育観音
観音菩薩は地蔵菩薩とともに現世利益を説く菩薩として庶民の信仰を集めている。修那羅の石神仏の多くは個人の祈願として奉納されたものが多く、女性や子どもの思いが込められている。修那羅には聖観音・千手観音・十一面観音など多くの像がある。特に目立つのは子どもを抱いた子育観音と思われる像である。子育地蔵と区別がつきにくいが、子育地蔵と同じように、子宝に恵まれるように願ったり、子どもの無事成長を祈って奉納されたものである。
説明文は「石の仏ネット」より
朝の風景 長野県飯山市下木島    (2019年8月撮影)
稲の青さと、モヤのかかった家々、山の上の朝焼けが何とも言えない風景だったので撮影したような感じです。
県道257号 長野県塩尻市木曽平沢    (2019年8月撮影)
旧中山道のこの通りは漆器店が数多くたち並ぶ通りですね。
特急しなの 長野県塩尻市木曽平沢    (2019年8月撮影)
奈良井川を渡る電車です。
木曽の大橋 長野県塩尻市奈良井    (2019年8月撮影)
総檜造りの太鼓橋は、橋脚を持たない橋としては日本有数の大きさだそうです。
この橋は、国道19号と奈良井宿を繋いでいます。
平成3年に架けられたこの太鼓橋は、長さが33m、幅6.5m、水面からの高さは7mの大橋です。樹齢250年~300年の地元の木曽ヒノキを使用した豪華総檜造りの橋です。