トダセルクさん激推しの
すずめの戸締り
12/11にようやく観て来ました。
一緒に観てくれる相手もいない僕は1人で鑑賞…。
そして、キックさんのYouTubeチャンネルにトダセルクさんとアッキーさんも出て、
おじさん達が「すずめの戸締り」のネタバレお喋りしていたヤツも観ました。
…トダセルクさん、ダイジン達のお話もオカルト・サイキック的には重要では?
って思ったんですけど。
アッキーさんの神事という視点と、神様側の視点で話を展開して欲しかったなぁっと思いました。
そこで、不完全燃焼な僕はブログに書き殴る事にしました。
なお、僕はスピリチュアルとかオカルトの能力はありませんし、専門家や評論家でもありません。作品を観た作品の世界観と現代日本人に染み付いた神や自然に対する概念で考えるスタンスです。
詳しくもないのに語るように書き殴ってすみません。長すぎてスミマセン!
あと、ネタバレなので、それが許せない人は読まないで下さい。
・東の要石はダイジンが抜いたのか?
抜いてないですね。アレはミミズを抑えきれず抜けちゃってますよ。
イスの宗像の家で古い書物をパラパラめくりながら、説明っぽいセリフがあったので、あの内容から推察されます。
絵巻物で記録を残す時代に、関東の大地震が起きて、閉師たちが要石で閉じた感じでした。
でも、1923年(大正12年)に関東大震災が起きているわけですから、少なくとも要石を置いた後に一回は要石が抜けてしまって巨大なミミズが倒れているはずです。でも、今は大都市・東京です。ということは、再び閉師たちによって要石を直されて地鎮されたからと推察されます。
後半になるとダイジンの冤罪というか誤解も解かれて、ダイジンがそんなことをする猫の神様じゃないと暗に示してもいます。
・ミミズという存在
アレは土の竜、土竜ですね。
キックさんたち、竜の話で盛り上がっているのに、この部分に踏み込まないのは残念です。
「土竜」と書いて「モグラ」と読むでしょ!って思う人もいるのでしょう。
でも、昔の中国では「土竜」と書いて「ミミズ」でした。日本に入ってから誤認でいつからなのか、「モグラ」となっているようですね。
人は死んで、やがて土へと返るわけですが、「負の想い」なのか土に返った人を栄養にしてるからなのか、大きな地震災害があった地域の常世でミミズが大きく育っちゃうようですね。
ヘビが竜になるように、ミミズも竜になるという解釈なのか…作中でそこまでは言及されてはいないと思います。
・ダイジンたち
大神(おおかみ)と呼ばず「ダイジン」と呼ばれる猫の神様。
あえてこう呼ぶのは、日本に大昔からいる神様ではなく、後世になって現れた神様なのでしょう。
仕草や人間に寄り添うネコの姿である事から、ヤマネコではなくイエネコなんでしょうから、やっぱり太古ではなく大陸と交易がされるようになって日本に持ち込まれたネコ、いわばマヌールネコ系の外来猫なわけで後世ですね。そんな外来の神様だから敢えて音読みで「ダイジン」…と、僕は解釈しました。
ヘビが竜になるように、ダイジン達(東と西)は自力で猫から神格化しのか、何者かが力を与えて地鎮のために神様にしたのかはわかりません。
ただ、神様らしく言葉を話せても多くは語らず、人に尽くすのではなく人より偉い立場、人命に対する感覚が人(すずめ)と違って怖い事がある。そして猫なので気まぐれや人より自分優先な気質だから誤解されちゃうんですね。
・「人がいっぱい死ぬよ」だっけ、あのセリフと表情の意味
すずめに、要石になった宗像を早く刺さないと、人がいっぱい死んじゃうよ、さぁ早く!
(そして、自分は完全に要石の役目から解放されるんだ)
ですね。作品を最後まで観て振り返ると、そういう風に解釈できます。
映画の演出、成功していますね。
・ダイジンの目線で考える
すずめは常世に迷い込んだことがあるだけに、何か特別な素質を持っているんでしょうけど、特殊な修行とかしてたわけじゃないですから、いわば普通の人。
そんな普通の人が簡単に引き抜けるぐらいに、要石のダイジンは弱っていたんじゃないですかね。
だって、要石になった宗像を引き抜くの無茶苦茶大変そうでしたもん。
ダイジンが「すずめは自分が好きなんだ」と思い込んでいたのは、普通の人間のすずめが命がけで常世に入って自分を引き抜いてくれたように思ったからでしょう。
ダイジンがすずめを好きになるのはしょうがないですね。
そして、いつも後ろ戸を閉じるだけで、自分を崇めるわけでも感謝もしない閉師が嫌いになるのも理解できます。
「お前ら閉師は、要石のボクをなんだと思っているんだ!きらい!どんだけ大変かわからせてやるよ。」って感じで閉師の宗像に要石の力を移しちゃったんでしょうね。
・ダイジンたち神様の力 生命力
要石の状態で引き抜かれてから、すずめにご飯をもらうまで、
ダイジンは痩せて弱った姿の猫でした。
でも、ご飯の後は突然元気になり、毛並みも良くなり健康そうです。要石の力を移したり、人語を話す以外にも身体能力は猫の域を超えた神の力をガンガン使うようになります。
でも、すずめに絶縁宣言されて、
「すずめはダイジンのこと好きじゃないんだ」と理解すると、たちまち弱った姿になって神様の力も失います。
強いて言えば「うるさい!」の一言ぐらいしか言わず、動かず車でずっと寝てます。
一連の変化を見ると、ご飯を食べて元気になったという単純な事が起きたわけじゃないし、すずめが自分を好きじゃないというショックで力を使わなくなったわけじゃないと思われます。
この辺、YouTubeで語るべきだったと思いますよ、トダセルクさん!
神様の力の源泉は何か?
一言で言えば自分を信仰する力です。
神社の神様だって、お賽銭そのものや、人身御供を含む供物など、物質的なモノが力の源泉ではなく、信仰・想いが源泉ですよね。
唯一神は別として、人と関わる神様は、そういう人の想いが力の源泉。
うーん、スピリチュアル的な事を語っているようですが、コレは作品の世界観から読み取れる事であり、現代人の神様の概念だと思います。
ざっくり言うと、イエス・キリストやブッタだって、偉業を成しとげて死んだ時に神様になったと捉えるより、人々の信仰の力で神様のように崇拝されて、神様になっていったと考えた方がしっくりしませんか?
日本でも天神さん(天満宮)の藤原道真とか、人々に慕われ祀られ、信仰されて神様になった人がいるわけで、
人々の想いが神を神とし、神の力の源泉となっているんじゃないでしょうか。
ダイジンの話に戻すと、東の黒猫のダイジンは、東京の神社仏閣で行われる地鎮信仰や、昔の大地震で要石を刺し直した閉師やその末裔の想いがあるから、大きな黒猫だし、いざという時は巨大な化け猫になれたのではないでしょうか。
一方で、南海トラフ等の大地震の地を抑える西のブチ猫のダイジンは人々に忘れられて、信仰も想いも弱まって死にかけていたと思うのです。やがて、「痩せて可哀想」というすずめの想い、供物(エサの煮干し)を差し出すぐらいの感心を得る事で元気になったのではないかと。
でも、すずめ1人の想いだけの力です。要石になれって言われても感情的な「無理」だけでなく、神の力が弱っているから「無理」とも言っていたのかもしれませんね。
また、すずめに明確に嫌われたときは、すずめに引き抜かれて間もないときぐらいに、力を失った状態に戻ってしまったのでしょうね。
・東北に行く途中のサービスエリアの一幕
すずめと叔母さんの衝突。
打ち解け合うために重要なシーンです。
ただし、衝突するまで感情が昂ぶったのは、
叔母さんの後ろにいる黒猫のダイジンの怒りが干渉してたから…
この一幕は、神様の干渉や憑依の描写になっているようですね。
でも、それより気になるのが、西と東のダイジンの喧嘩と瞬時の仲直りではないでしょうか?
東は西が要石をやめた事、そのせいで、自分がミミズを抑えきれず抜けてしまったから西に対して怒っていたのでしょう。
西としては、弱りきった自分から要石の力を宗像に移し、各地を彼らに地鎮させながら関東大地震を阻止しのに叱責されて怒り心頭。
でも、取っ組み合いの喧嘩になったら、西が本当に弱りきって人間の車に乗らないと東北まで行けない、ただの猫に近い状態である事に気付き、東は全てを理解して仲直りしたのではないでしょうか。
人間に比べると神(猫)の衝突はあっさりしています。
こういう神の思考や精神についてYouTubeでは考察して欲しかったかな。
とりあえず、こんなところかなぁ。
最後に…
僕は、教科書どおり、地震はミミズが倒れるんじゃなくて、プレート間の応力歪みの開放現象だと思います!