あれから30年 阪神淡路大震災
2時間あとだったら私も阪神高速の上で被災していた
1995年1月17日午前5時46分、
淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。
死者 6,434名、負傷者 43,792名。
避難人数(ピーク時) 31万6,678人。
大阪生まれの大阪育ち、あの時、大阪で阪神大震災を経験しました。仕事で東京に移住して今度は東日本大震災にも遭いました。両方の巨大地震も中心地から離れていたので命は助かりましたが、今も恐ろしい記憶として残っています。
死者 6,434名、負傷者 43,792名。
避難人数(ピーク時) 31万6,678人。
これは以前の記事を再ポストしたものです。
このブログは、もともとスポーツブログとして始めたので(今はエンタメブログですが)、大部分のスポーツ関連記事は他に引っ越しましたが、関西のスポーツ界やエンタメ界は、あの時どう動いたのか?その視点から振り返ります。
関西圏ではスポーツやエンタメを含め全体的に、活動の自粛が多かったですね。
スポーツ界
がんばろうKOBE
プロ野球・オリックス ブルーウェーブは『がんばろうKOBE』をスローガンに1995年(平成7年)、1996年(平成8年)とパ・リーグを連覇。1996年(平成8年)には日本一を成し遂げ、悲しみに沈んだ被災者の皆さんを勇気付けました。
のちにメジャーでも活躍するイチローや田口壮を中心にそうそうたる選手がいました。今は亡き仰木監督も好きだったなぁ。
サッカーのJFLヴィッセル神戸は1995年(平成7年)1月1日に正式にヴィッセル神戸として始動。日本プロサッカーリーグ昇格を目指し、1月17日に初練習をする予定でした。
しかし、震災により神戸では練習場の確保が困難であるため、岡山県倉敷市での練習開始を余儀なくされ、練習場を転々とせざるを得ませんでした。
このように震災の日にチームが生まれたことを祈念するため、ホームスタジアムでの試合ではサポーター達により、試合前に「神戸讃歌」(「愛の讃歌」の替え歌)が歌われ続けています。
サントリーは、この年のプロゴルフトーナメント「サントリーレディースオープン」を中止。
その開催費用を原資として神戸市消防団に対して手引き消防ポンプ・可搬動力ポンプ積載車を全分団に配置可能な数量を寄贈し、その後も毎年数台を寄贈していました。
映画界でも
正月映画・男はつらいよシリーズの第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』では、神戸市側から松竹へのロケの要請や山田洋次監督(故人)の元に復興に努めていた夫妻からファンレターが届いたことなどがきっかけで、もっとも被害が大きかった神戸市長田区が舞台となり、神戸の「復興とボランティア」がテーマとなりました。
あの日、2時間あとに地震が発生していたら、車で通勤していたので、阪神高速の上で被災していました。毎日、渋滞する阪神高速は大惨事になったと思われます。