文久元年(1861)年、ロシアの軍艦ポサドニック号が

対馬昼ケ浦の芋﨑を占拠しました。当時の絵図によると

宿舎としての本小屋や鍛冶屋、大工小屋、波止などが

作られています。

 そして、台場も描かれている。これまで絵図の存在を

知る人は少なく「井戸」のみが遺跡とされてきた。