今日の透析ちゃん 15 | orizarot

今日の透析ちゃん 15

最近なにか忘れている気がしていたわけだが、思い出した。
ブログ更新してなかった。
ということで久しぶりの透析ちゃん15。

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退院間近の日、透析ルームのスタッフさんに
オレは自分の単行本を贈った。
「わー岸さんの本なんですか!」
「すごーい」
ここに入院した時から、退院する時に「単行本を渡そう」と決めていた。
漫画家である自分を病院スタッフに示すということが、

オレにとって再起を意味すると思っていたからだ。
ここに来た時のオレは、しょぼくれて死にかけの、ただの男に見えたに違いない。
でもここを出る時は、未来に怯えるのではなくきちんと期待をして、

出たい。
その日は、振り返ってみれば意外と早く来た。
いろんな人と仲良くなったけど、それももうすぐ終わりだ。

外出許可が降りたので、歩いてすぐのダイエーに血圧計と計量カップを見に行った。
ちょうど店の前に100均ショップが露店を出していて、

そこにイイ感じのカップがあったので2つ買う。
お店の人、すいません。僕はこのカップで尿を計るのです…!
血圧計はリストバンド形のシンプルなヤツがあったのでそれを購入。
今まで血圧計なんてちゃんと見たこと無かったよ。
ちなみに、主治医の外出許可は取ったものの、

外出届けを出していなかったために、

病院内ではオレが行方不明になったとして大騒ぎになってました笑

そして、退院の日。
あらかじめ、当日なにを着て帰るかは両親にリクエストしていて、

それを持って来てもらう。
オレが持っている中で当時一番高かった、バーバリーのコートを着た。
ちゃんとした格好、できるだけかっこつけた服装で帰りたかったんだよ。
パジャマではない服を着るのは久しぶりだ。
オレはこれを着て、今から帰るんだ。
自分の家に、そして社会に帰る。
不安は無い。
まあ、多分、大丈夫だ。

父の運転する車に乗り込む。
これに最後に乗ったのは、ここへ入院する時だ。
あの時はとにかく吐き気と戦ってたっけな。
寒くて仕方なくて、上に4枚、下に2枚着て、
まーどうしようもなくダサいヤツだったよ。
これからどういう診断が下されるのか、不安で仕方なかった。

「でも、今はそうじゃないぜ。かっこいい障害者(の予定)だぜ」

車窓からの景色が、だんだん見慣れた景色になってくる。
いつものように車がガレージに入った。
オレは、帰ってきた。

玄関に立ったら感動で泣くかもーなんて思ったけど、
意外とそんなこたーなかった。

隣家に住む祖母のところへ、帰宅の報告をする。
「あらまあ、おかえりなさい」
そういって92歳の祖母はしわくちゃな笑顔になった。
祖母は、オレが腎不全であることを知らない。
だからいたって普通に、ちょっとそこらまで行って帰ってきたような、
そんな言葉だった。
それでいいのだ。
なんとかオレは、祖母より先に死ぬという結末は迎えずに済んだ。


家に戻って、自分の部屋に入ってみる。

あの時のままだ。

1ヶ月前、明日は治ると信じ続けて天井を見ながら、寒さに震えて、

吐き気に飛び起きていた部屋。
苦しみの温床だった部屋は、べつに何事もなかったみたいに普通だった。
机に向かうと、まるで今までのことは全部ウソだったみたいだ。

今日から、もう眠る時に怖がらなくていい。

明日起きて、また体調の悪い自分と向き合わなくてはいけないことを、
もう恐れる必要はない。

寝てる間に脚がつることもないし、
舌を噛んで口の中が血まみれになることもない。

多分、寝てる間にトイレに起きる必要もないね笑

PCを起動したら、メールがたくさんたまっていて
そこで初めて時の流れを感じた。
確かにオレは、入院してたんだな。

まだそこそこ尿は出るので、トイレに行った。
年中カップで計量する必要も無いっちゃ無いんだが、
自分の状態を把握しておくことは習慣化しておきたいので

毎日計ると決めた。
明日から、尿は全てカップに取る。
便器に、普通の人のように用を足すのは、一応これが最後だ。
そう思って、なんか若干しみじみと放尿したオレであった。

夜。
風呂に入る。
浴槽に浸かりながら、思ってみる。
入院した時は、1ヶ月という入院期間が永遠に感じた。
一刻も早く退院したかった。
家に戻ったらきっと、感涙するんじゃないかしら。

ところが帰ってきてみれば
なにもかもが当たり前で。
懐かしさも新鮮さも、高揚感もない。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。そんなもんなんかな?


でもオレはこうも思う。
腎不全なんて結局、オレにとってはその程度のことなのだ。
危惧したほどの、未来への切迫感もない。
それこそ風邪が治った時みたいに、
オレはいたって普通に、
元の日常に戻ったんだ。
なにも変わっていない。
まあちょっとは変わったけど。
以前を懐かしむような、ノスタルジックという名前の悲哀なんてない。

オレはこれからも、オレだ。

岸虎次郎という人間は決して楽観主義者ではない。
むしろ石橋を叩いて壊すタイプだ。
ただ、どれだけ悩んでも、考えても、反省しても、
それでも元に戻らないことに対して
限られた人生の時間を浪費するという行為は馬鹿げていると思う。
今のオレにとって揺るがない真実。
この病気は、治らないということ。
腎不全という病気を受け入れるには数年かかるとか本に書いてあったけど、
治らないことを、「もっと早く病院にいっていれば」「なぜオレが」
そんな風に悩むのは意味がない。
無駄だ。
そげなことに時間使ってるヒマなんてないずら。


オレは「腎不全を抱えた」のではない。
腎不全だけど「生きている」。


だから今日もオレは、マンガを描いているんだよ。