今日の透析ちゃん 10 | orizarot

今日の透析ちゃん 10

彼女が帰った後。
いつものように彼女が帰宅するまで、何通もメールを交わしたその後のこと。
オレはひとつ心配事があった。
彼女自身はオレの腎不全を受け入れてくれたとして、

彼女の両親はどうなんだろう?
オレがもし親の立場だったら正直、反対すると思う。
だからこそ心配だった。
オレとの結婚を考え直すよう、説得されちゃったりしないだろうか。
「帰ったよー」という彼女からのメール。
大体その後、1時間半もすれば
「お風呂あがったよー」というメールが来て、

寝る前のメールを交わしたりするのだが
今日は1時間過ぎても2時間過ぎてもメールが来ない。
「……おかしい…」
オレの予感が当たってしまったのか?
いや、でも、単に風呂が長引いてるだけかも知らんし。
もうちょっと待とう。

待っても待ってもメールは来ない。

落ち着かねえ!

ついにオレからメールを送ってしまう。
「お疲れさま。ちゃんとご飯は食べましたか?

もしかしてお母さんと話してるのかな?

(彼女の父親は当時海外出張だったので日本にいない)
ゆっくりお風呂に入って、のんびりしてください」

全くなーにが、『もしかしてお母さんと話てるのかな?』だ!
カマかけになってません。こんなメールは0点です。
そしてそれから約20分後。
彼女からメール。
オレは正直、ちょっとそのメールを開くのが怖かった。
『お母さんと話をしました。それで結婚のことなんだけど、やっぱり…』
なーんて書いてあったらどうするどうする?


「お母さんと話してたら遅くなっちゃったよ。
それでね、やっぱりお母さんには反対されちゃったけど、
でもわたしはもう結婚するって決めたので、

見守っていてほしいと伝えました。
お母さん分かってくれたよ」



ああ。そうか。
ありがとう。
一瞬でも、彼女の気持ちが揺らぐ可能性を考えてしまったことを

オレは申し訳なく思った。
彼女は決して一過性の気持ちの高ぶりなどではなく、

冷静な気持ちとして、腎不全の身障者となる選択肢を進もうとしているオレを

選んでくれている。
オレは頑張って、お礼を書いた。そして、もう一度聞いた。
「オレはもしかしたら一生腎不全になるかもしれないんだ。

それでも本当に、いいの?」

「もう、○○がいない人生なんてあたしは考えられないのよ」

ありがとう。
オレにも、お前がいない人生ってのはもはや考えられない。
こりゃー全くのノロケだな。申し訳ねーなー。
それでも。
なんだかオレたち2人は、この病気を通してすこしづつ、

気持ちのつながりのステージをランクアップさせていった気がする。
この病気を通じてすこしずつ、オレたちは夫婦になっていった。
とはいえ、オレはまだ、信じていたんだ。
「オレは急性。急性の腎不全」



翌日も透析。
カテーテルからの透析は順調。
しかし、いい事がひとつあると悪いこともあるものだ。
例の、聞きに行かなかった検査結果は、芳しいものではなかった。
両親が病院を探し出して検査結果を手に入れてきてくれたのだが、

この時点ですでにオレは腎不全の兆候を見せていた。
またひとつ、慢性へのコマが進んでしまった。
あとはこないだの胃カメラ等の結果をふまえ、先生がどう判断するかだ。
そして、今日からカテーテル部分のガーゼが取れた。
それはいいのだが、『通常版』の方法は、

透明な湿布みたいなシールを一枚ぺたんと貼るだけなのだ。
えーうそーん、なんか心細いー
トイレに行くと、透明なフィルムごしにカテーテルが見える。
イソジンで消毒され、茶色にぐちょぐちょした中に、

カテーテルがぶっ刺さっている。
よく見ると、心臓の拍動に合わせてびくびく動いております。
やぁーだーもー

このあたりから毎朝、オレはキチンと6時に起きるようになった。
慣れてくるとそれほど早起きは苦痛ではない。
健常者だった頃は、毎晩4時頃まで起きていて、朝11時頃に起きてた。
それが漫画家としての、いわばステイタスだとさえ思っていた。
でも一度やってみると、早起きって意外と出来るのね。
カテーテルのために自力で歩けないオレは、車椅子を用意してもらった。
背中に「岸さん専用」って書いてある!ちょっとうれしい!
オレ専用の車椅子で、オレは毎朝ロビーフロアに行った。
天気がいいと、そこから見事な富士山が見える。
今までここまでまともに富士山を見た事なかったな。
なかなか見事な山だ。
確かに、信仰の対象にさえなるのは理解できる。
その神々しい山を眺めていると、なんとなく神の存在やらを信じる気になる。
「…急性だったらいいな…」
この頃になると、決して諦めという意味ではなく、

しかしもしかしたら慢性なのかもしれないという可能性を、

わりと冷静に見つめることができるようになっていた。
もちろん急性に越したことはないけど、でも、もしかしたら慢性なのかもな…
透析という行為がどういうものか分かってきたというのも手伝って、

恐ろしい闇に見えていたものの霧が、少しだけ消えたのかもしれない。

透析に慣れてくると、透析ルームの中をいろいろと眺める余裕も出てくる。
透析ルームはとても日当りが良くて、晴れた日は大変気持ちがいい。
周りに寝てる同席者は、言っちゃ悪いが死に損ないのようなおじいちゃんばっか。
ルームにいると、ここはまるで天国のような気分になってくるんだ。
周りがじいちゃんばっかなので、看護婦さんもアホほど優しい。
幼稚園の先生みたいなんだ。
男性の看護士さんもいい人ばっか。
ああ、ここで透析させてくれるんだったら、それも悪くないかな。
と、そこへ主治医のM先生が現れた。
「先日の検査結果を見ました。

胃カメラでは問題なかったですけど、

心臓エコーの方ですが、心胸比が非常に高いですね。

いままで夜、苦しかったでしょう?

今岸さんの心臓には水が残ってしまっていて、

いわば体内で溺れているような状態です。

先日いただいた、以前の検査結果もよくなかったですしね。

足のむくみから判断しても、透析の導入をそろそろ考えた方がいいでしょう」



彼はさらっと、本当にさらっと言った。
「透析の導入を考える」。
それはつまり、オレが慢性腎不全であるという告知であり
身障者となることが確定した瞬間。
それを彼はさらっと、言った。

こういうのって、部屋に呼ばれて、もっと深刻に言うもんじゃないのか?
生検もしないで、エコーだのCTだの数値だのそんなもんだけで

オレの体内のことに結論出すのか?
そんな…!

怖いとかショックとか以前に、オレは納得が出来なかった。
ただ「はい」と答えるしかできなかった。
オレはもう、これで身障者なのか…?

部屋に戻ると、いつものように両親と恋人が来ていた。
オレは彼らに訴えた。
「あんなの納得できない!

彼にとってはオレは毎日たくさんいる患者の一人なんだろうけど、

あんなフランクに告知されたって到底納得できないよ」
まるで子供が駄々をこねるようなもんだ。でもオレは真剣。

だって、ここでゴネなかったらそれで身障者確定だよ?
両親もオレの言葉に納得する。
「そうだな。数値だのなんだの、それだけじゃ分からないこともあるだろう。

いいよ、今から先生とみんなで話を聞こう。

それで満足できなかったら、ほら、セカンドオピニオンってのあるだろ?

他の病院に移ってもう一度検査してもらうことだってできる。

まだ諦める必要はないよ!」
オヤジのその言葉にオレは、なんとかまだ『可能性にしがみつく』ことを

許されたような気がして少し安堵した。
先生に面談を申し込み、その場で待つ。
先生は忙しい中、じきに時間を捻出してくれた。
「じゃあ、行こう」
指定された会議室まで、恋人が車椅子を押してくれた。
先生を前に、オレたちの最後の抵抗が始まる。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

つづく