今日の透析ちゃん 8 | orizarot

今日の透析ちゃん 8

1月7日 14時30分

恋人からメール。彼女は着々とこちらへ向かっている。
でも、方向音痴な彼女のことだから、迷うんじゃないだろうか。
そんなことを考えているうちに血圧の定期計測が回って来た。

看護婦さんが昨日と同じように、右手でオレの血圧を計る。
点滴も血圧も採血も、全てのことを右手で行う。
左手の血管は傷つけてはいけないらしい。
なぜなら最悪、慢性腎不全により透析を導入した場合、

必要な処置があるからだそうだ。
「シャント」というものを作るとかなんとか。
まあいい、いいんだそんなことは今は。
まだ慢性と決まったわけじゃない!

そして、血圧を計っているその最中に、恋人が到着した。
本当にふとした拍子に、カーテンごしに目が会ったんだ。

まるでいつものように、彼女は溢れるような笑顔をオレに向けてくれた。
あー。
やっぱお前の笑顔は最高だな…。
さっきまでの緊張が解けていくのが分かる。

我慢した甲斐があった。
数分を待たずに、両親も到着。っつーか、弟もやって来た。
オレと弟は、ここ数年大変仲が悪かった。

ろくに口もきかなくなっていた。
正直彼は、オレのこの状況を見てどう思っているんだろう。
ざまあみろ、なんて思ってたりしてな。
でも、そうだったとしても、それはそれでしょうがないのかも知れない…
そう思うぐらいに、まあミゾがあったわけだ。
でも彼は来てくれた。

家族と彼女、みんなで話す。

こんなにたくさんの面会人が来てるのはこの部屋、

いや全フロアでオレぐらいのものだ。
今まで、家族の前で彼女と手をつなぐのは、何となく気恥ずかしかったけど、

今はそんな気はおきない。
当たり前のように彼女と手をつないで、いってみれば家族の一人として、

オレは彼女の右手をつかまえていた。
そんな時もオレは、カテーテルが気になってたんだけど笑
例え目の前に恋人がいても、カテーテルが意識から消えることはない。
ちくしょう。

しばらく話した後で、彼女と2人にしてもらう。
「大丈夫?大変だったね」
ベッドサイドに彼女は座って、オレの頭を撫でた。
正直オレは迷った。
いきなり入院しておいて、大丈夫も何もない。

でも、かと言って「真実」を話すのは気が引けた。
まだ未確定とはいえ腎不全という名前が出ているのだ。
生易しい状況ではない。
そんな話を聞いたら間違いなく、彼女は泣いてしまうだろう。
昨日の今日でまだ決定事項は無く、検査段階なのだから、

適当なことを言ったら逆に彼女を心配させるだけだろうな。
なーんつって、彼女のことを気にかけるナイスガイ的なことを言っているが、

要は、人工透析というハンディキャップを口にすることが、

イコール「敗北」のような気がしていたんだ。
オレはまだ腎不全と決まったわけじゃない。
オレはまだ身体障害者なんかじゃないんだ。
だからその可能性について考えたりしない。
だってオレは大丈夫なんだから…!

それに。

もし、オレが腎不全になったと知って、

彼女はそれでもオレと結婚してくれるんだろうか?
それは、正直、難しいと思った。
今、事の真相を知らずに笑っている彼女の笑顔を壊したくなかった。
いつまでも隠せることじゃないだろうけど…。

オレは、腎不全の可能性について、言及しなかった。

「…なんかね、腎臓がちょっと疲れちゃったみたいで、

尿毒が身体に回っちゃってたんだって。

だから点滴使って血をキレイにしてもらったんだ」
オレは大事な部分はボカシにボカシて伝えた。
「ふうん。痛いことなかった?」
「うん。大丈夫。全然平気だよ」
全然平気じゃなかったクセに、オレはウソをついた。
彼女を心配させたくなかったというのももちろん、ある。
でも、もしここで「痛い。もう耐えられない」などと言ってしまったら、

オレは本当に耐えられないだろう。
これからまだ1ヶ月も入院生活がある。
今後どういう治療があるのか分からないんだから、

ここで弱音を吐くわけにはいかない。
オレは弱いから、まだ強がっていないといけない。

彼女はただ笑っていた。

お前の笑顔は本当に、オレの全てなんだ。
ああ、お前と生きていたい。

それからずっと、ただただ他愛の無い話を、ずっとしていた。
その間もやっぱりカテーテルが気になって、

「ちょっと下着の位置が気持ち悪い」とかしょーもないウソを付いて、

状況を確認した。
血は出てなかった。
もう大丈夫かな…。
でも数分後にはまた気になるんですけどね。

6時になって夕食の時間。
でもオレには夕食は回ってこない。
明日胃カメラがあるからだ。
まあどうせ食欲なんてないけど。
正直、昨日今日の透析ですでに気分はかなり良くなっていた。
でもメシを食いたいとはそれほど思わなかった。
メシを美味く食えなくなってもうずいぶん経つ。
メシの味なんて忘れた。
点滴してるし、別にどうでもいい。

家族は、恋人を残して先に帰宅した。
色々な生活道具を揃えてくれたが、そういうのを見ると

「いよいよここからは出られないんだな」という思いになった。
どうも何かにつけてネガティブになる。
帰り際、家族と握手をした。
弟とも。
お前の手を握るのなんて、マジ久しぶりだな。
つーかなぜお前の手はそんなに汗ばんでいるのか笑


面会時間リミットまで恋人はいてくれた。
彼女の家からは片道2時間かかる。

往復4時間の距離を彼女は来てくれた。
ありがと。
帰った後も、寝るまで2人でアホほどメールをした。
いろいろなことを話した。
「入院が治ったら温泉に行こう」
どっちからともなくそういう話になって、オレの心は踊った。
別に無類の温泉好きってわけじゃないですよ。
「治ったら○○しよう」
この魔法の言葉が、オレを少しだけ上向きにさせてくれたんだ。
「○○にデートにも行こう」
「ここにも行こう」
そんなことばかり、11時に彼女が寝るまでの間に40通近くやりとりした。
そう、早く治そう。
早く治して、温泉に行こう。
彼女は明日も来てくれると約束してくれた。
これから毎日来てくれるって!
彼女をごほうびにしておけば、結構オレ頑張れるかも。

消灯。
オレは今日もまた眠れないんじゃないかと不安だった。
早く寝てしまえばカテーテルを気にしないで済むんだけど、

オレは元々外出先で眠れないタチなんだ。
でも今日は耳栓を持って来てもらったので、

とりあえず同室の方々のいびきは大丈夫だろう。
「あまり動かないように」
という看護婦の指示をオレは忠実に守っていて、寝返りもうたなかった。
身体が変な感じに痛い。
でも動かない。
もう出血は嫌だ。
右足は絶対に動かしたくない。
相変わらず意識はカテーテル一点に注ぎ込まれている。
しかも明日は胃カメラですよ。
胃カメラなんてやったことないけど、苦しいってことは色々聞いてます。
ああ、普通に起きて普通に寝たい。
それだけなのに、なかなか平穏は訪れない。
明日は朝8時から検査だ。


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つづく