こんにちは
西陣大黒町 織成茶寮
店長 湯口です
この写真は先日紹介した岩上神社になります
西陣の真ん中で静かに町を守っておられます
私も毎日のご挨拶は欠かせない存在です
日々のご挨拶をし、自分たちの足元を固めることが
生活の発展に繋がります
岩上神社の支えで、織成茶寮も日々お客様に恵まれております
別名、岩上茶寮と呼んでもいいほど関係は密接な物になっております
前回お賽銭箱の寄贈があったことをお伝えしました
寄贈された西陣叶屋さんも
ずいぶん前から岩上神社の存在が気になっていたそうで
「こういうものは気付いた人がやらなければ...」と
決心されて寄贈いただきました
さて、今回のブログですが
数奇な運命を辿った岩上神社こと岩神様ですが
調べて行くと新しい発見がありました
それをお伝えします
こちらは長い長いアーケードでおなじみの
三条商店街になります
お店が閉まっている時間帯なので誰もいませんが...
その三条商店街を突っ切り、南下して行くと
中山神社という神社に遭遇します
こちらが中山神社
中山神社と岩上神社
なんのつながりもないように思えますが
鳥居に付けられた神額(しんがく)と呼ばれる
神社の呼び名を示した額の名前が。。。
何と、岩上宮!
中山神社の案内によると
794年(平安京遷都の年ですね)に桓武天皇により建立
二条城造営の際に現在地に遷ると書いてあります
ずいぶんと歴史の長い神社ですね
名前の由来はこの地が
鎌倉時代の内大臣、中山忠親(なかやまただちか)の邸跡に当たることに由来する
と書かれています
中山神社案内
中山内府邸跡を示す石標
中山神社が面する通り名は岩上通といいます
通りに名がつくほど大事されていたことを伺わせます
岩上通に興味を持って北上すると。。。
地下鉄二条城前駅の建物によって通りは分断されていました
それ以前に、二条城が岩上通を取り壊して造られたものでした
もともと岩上神社があった場所は二条城のお堀の中に...
地図(by Google Map)で見ると
きちんと岩上通と表示されます
堀川通の1本西側の通りですね
岩上通は北は二条城で途切れ、
南は西本願寺でいったん途切れるものの、
JR線の線路付近までその存在を確認しています
ちなみに、☆印のところがもともと岩上神社ならびに
岩神様が置かれていた場所と想像できます
現岩上神社の案内には
二条堀川付近にあった霊石が岩上通六角辺りに遷され...
と書かれています
岩上通六角...まさに現在中山神社がある場所です
中山神社の案内には
二条城造営の際に現在地に遷る...
とあり、二条城の敷地内にあったことを示唆します
岩上通と名が残るくらいですので、岩上通の延長線上と
二条通が交わるところが元々の場所ではないかと推測されます
再び岩上神社の案内にもどりますと
二条堀川付近にあった霊石が岩上通六角辺りに遷された後
中和門院(ちゅうかもんいん・後水尾天皇の女御の一人)の屋敷内に遷されると
怪異な現象が起き、気味悪がられて蓮乗院という真言宗の僧に
頼んだところ、その僧によって現在地に遷り「有乳山 岩上寺」と
称して祀られた...
と、書かれています
ここにあるだけの情報を総合すると
地図上の☆の位置から、現在の中山神社に遷され
現在の京都御所内の中和門院の屋敷に遷され
持て余された末、現在の大黒町に落ち着くという流れでしょうか?
それぞれの案内には断片的なことしか書かれておらず
散らばった情報をまとめるのは、自分の頭の中でしかできないのですが
中山神社の存在を気付かなければ、岩神様の変遷に
ここまで興味を持つことはなかったと思います
(岩上神社の案内に中山神社のことが書かれていればもっと早く辿れたのですが
京都市が建てた案内がちょっと不親切な気もします...)
これも岩神様のお導きかしら?
と思えばますます日々の感謝に勤しむ次第です
もし皆様も岩上神社に足を運んでいただき、
その変遷に興味を持たれた方は
中山神社、もしくは二条城の門の前などに行かれて
かつての岩神様の姿を想像してみるのはいかがでしょう?
今回は歴史について書きましたが決して歴女ではありません(汗)
岩神様の存在に惹かれるままにお伝えしたいことを書いたままです
どちらかというと、岩神様ファンクラブみたいな感じでしょうか?
そんな、織成茶寮店長 湯口でした
織成茶寮の位置する西陣大黒町を護る神様として
岩上神社は鎮座しておられます
茶寮へお越しの際は是非、岩上神社へも足をお運び下さい♪