東京タワーといっしょ! -3ページ目

東京タワーといっしょ!

結婚10年目にようやく恵まれた息子は、333gのミニミニくんでした。仕事と育児と家事にてんてこ舞いの母が、あれこれと書き綴ります。

5年生がスタートしました。
担任の先生は学校の卒業生で、息子の低学年の時の担任の教え子だそうです。私立だとこういう事もあるんですね。
教師として戻ってきたいと思われる学校は素敵だなと思います。息子はとても教員にはなれないけれど、この良き環境を楽しんで欲しいです。

しかし始業式の前日、帰宅したら学校の準備をしなきゃと思いつつ電車に乗っていると、夫からの着信が。
この時間は電車の中なのは分かっているのに、Lineじゃないのは珍しいな、急な残業で息子を実家に迎えにいけないとか? と不思議に思いながら、「今電車の中だよ」と送り、数分して降りる駅についたので、電話を掛け直しました。

すると、「もしもし」と聞こえてきたのは知らない男性の声。
「救急隊です。〇〇さんの奥さまですか」
「主人に何かありましたか?」
「ご主人が帰宅する途中に腹部と腰の痛みで動けなくなって救急車を呼ばれました。今、〇〇病院に搬送中なのできてください。痛みが強くて電話にはでられそうにないです」

えーーーーーーーーーーーーーーっ!
脳裏によぎるのは、四年前の四月。夫は息子の入学式直後に急性腎不全を起こして、医師から危険な状態だと告げられました。
何なの? またなの?
慌てて、実家に連絡して息子を泊めてもらうようにお願いし、とんぼ返りして病院に向かおうと思ったら、「あれ、〇〇病院だったよね?」。アホみたいだけど、ついさっき聞いたはずの病院の正式名称が思い出せません。
仕方なく、夫の携帯にもう一度電話し、救急隊の方に教えてもらいました。

幸い、初めて行く病院でしたが、自宅から乗換2回、1時間かからないくらいの場所だったので、スマホで経路を調べてGO。こういう時って冷静でいようと思っても、なかなか。
乗換駅の10分ちょっとの待ち時間の間にも、「ここからタクシーに乗った方が早く着くかも」
「いやいや道路混んでるかもしれないから、最寄り駅まで電車でいって、そこからタクシーでしょう」
「でも、電車を待ってて遅くなる数分の間に死んじゃったら?」
「急な腹部と腰の激痛だから大動脈解離の下肢型? 心筋梗塞? また腎臓?」
「障害が残ってもいいから、とりあえず意識ある状態で生きてて! 住宅ローンは夫分は免除になるだろうし、生活費と学費はまぁどうにかする」
等など、激しく脳内会話を繰り広げ、手の震えが止まりませんでした。
その割に、やってきた電車がとあるレア電車だったので写真撮りましたけどね。

そんなこんなで最悪なことも考えましたが、夫は大したことなく、いや救急車呼ぶほどだから大したことではあったのだけれど、命にかかわる病気ではなく、大丈夫。
その日、実家に預けた息子は、お父さん死んじゃうの? とおろおろして眠らず、大変だったようですが、翌朝には元気に始業式に行きました。

今時分はころころと気温も変わるし、体調を崩しやすいのかもしれません。もう我が家にとって4月は鬼門です。「また」がないように気を付けます。
そして、こういう事があると、「生きていればそれでいいじゃん」って気になりますね。
最近、夫や息子に求めるレベルが上がっていたので、反省です。
さらに、やっぱり何があるか分からないから、今の仕事は手離せない。給料稼ぐの大事! やっぱり定年まで会社にしがみつこうと思ったのでした。



あっという間にもう4月、息子もいよいよ5年生です。
もう高学年、中学まであと2年しかないのに入試までに勉強は間に合うのかな? 
いくら息子が上にあがりたいと願ったところで、試験で0点だったら無理。
その事を何度も何度も説明しているのに、基礎の問題だけでも解けるようにコツコツやろうと言っても、「うん」は一瞬だけ。
読み書き障害、ADHDがあるとはいえ、じゃあそれが無かったらまともに取り組めるのだろうか? と疑いたくなります。

単元のテストは範囲が絞られて出る問題も分かるので、練習をすることでそこそこ点数はとれます。
宿題もキーギャー癇癪を起こしながらも、全て期限を守って提出しました。

そうした日々の積み重ねで、3学期の成績は、もう少しが2つで、残り7割よい、3割よくできる。
小学生なら全て「よくできる」でもおかしくないだろうけれど、息子にしてはとてもよく踏ん張ったという印象でした。
そこは担任の先生、家庭教師の先生も認めてくれ、とても褒めてくださり、息子にも励みになったと思います。

でも、入試では何の問題が出るか分からない。まず初見の問題が読めるのか、その問題の解き方を思い出せるのか、そもそもパニックを起こさないで試験に最後まで取り組めるのか。不安しかありません。
だから今のうちに、これに似た問題をやったことあるかも? と思えるくらいに量をこなしておかないといけないのに。
もうアホ息子ときたら!
Switch タブレット、叩き割ってやろうかと時々思ってしまいます。そんなことしても反発するだけだろうけど、腹立つわ!

と愚痴はここまで。
次は新しくチャレンジすることを書いておきます。

1☆ロボットプログラミング教室
ずっと前から、プログラミングを習いたいとは言われてました。
でも去年の夏、体験に行った教室で不安から挙動不審になり、「息子さんみたいな子は責任が負えません。教えても身につかないと思います」と断られてしまいました。
事前に障害があり、不安が強いことは伝えていたけれど、予想以上だったのでしょう。
それで私の心が折れてしまい、いつ習わせてくれるの?と言われても放置していました。
でも、先日ブログにメッセージをくださった方から、お子様がプログラミング教室に楽しく通い、お友達もできたと教えてくださり、よしもう一回、チャレンジしてみようと。

そこで2月に学習塾がやっている教室などを体験。すると意外にも、どこでも落ち着いて取り組むことができたんです。
そうする中で、
・オンラインでなく対面。
・できれば一緒に学べる子がいる。
・ゲームも作りたいけど、ロボットを作って動かしてみたい。
・教室の雰囲気が柔らかく、清潔なところ。
と息子の希望に叶った教室があり、そこに3月から通い始めました。
想定していたよりも高くて、本当に習わせるのか迷いましたが、スッと親から離れて楽しそうに取り組んでいたので、思い切りました。
いえ、ちょっと節約したくて、土日が習い事で潰れるし、大変だから創作教室をやめてもいいよーと言ってみたけれど、楽しいから習い事はみんな続けたいと。
いいよいいよお母さん毎日お弁当にして、お金使わないようにするから。ほんと誰か私を褒めてって感じです笑い泣き

2☆放課後等デイサービス
1年生からお世話になっていた民間学童へ、3月末でやめると伝えたのとほぼ同時期に、これも去年の夏くらい?に一度見学に行った放課後デイから、4月から週1回なら空きが出たので通えますと連絡が入りました。
一応待機リストには載せてもらっていたものの、いつ空きが出るかもわからないと聞いていたのですっかり忘れていまして、初め何、なんのこと? と怪しんでしまったくらい予想外。
でも、毎日私の実家で祖父母と過ごすのではお互いに良くない。週に1回でも子供の集団で過ごさせたい。こんなタイミングで連絡がきたのは、神様の思し召しに違いない!
と即、利用したいですと返事をしました。

そこからは、受給者証を取るのに市役所に行き、プランを立ててくれる事業所を探してひたすら電話をかけとバタバタ。
セルフプランでも良い自治体も多いそうですが、私が住んでいる所はダメでした。しかも4年も前のリストを一枚渡して、電話して探してと言うだけ。電話してもしても、枠がいっぱいだと断られて、思わず殺意が。

ようやく1箇所引き受けてくれる所が見つかりましたが、事業所へ行き面談、プランができたら取りに行き、市役所に提出して、受給者証が届いたら再び事業所へ持っていき、本契約? その後は1ヶ月おきに経過報告の面談? なんで? 障害児の親は働いてないとでも思ってんのか?
これって福祉サービスを使わせない為の嫌がらせ? なんでこうも労力使わせるの?
途中から、たとえ息子が嫌がって放課後デイを利用しないことになったとしても、絶対に受給者証はとってやる!
と闘志をメラメラ燃やしてました。

そんなこんなで慌しかったのですが、一昨日、無事に放課後デイと契約を交わすことができました。
学校へのお迎えは無理だけど、学校からバスで一本の駅までは迎えにきてくれるそうなので、何とか通えるのではと期待しています。
学習支援にも力を入れている所なので、少しは勉強もしてくれるかと。
あとは普段少人数で、環境の変わらない温室のような中で過ごしているので、いろんな人と関わって揉まれて、コミニュケーションスキルを養ってほしいと願っています。

3☆オンライン学習
週2時間の家庭教師の先生とのお勉強だけでは足りないので、勉強が苦手な子でもできるというオンライン学習を始めることにしました。
こちらは申し込んだところで、これから。
無学年方式なので、一年生からやり直したいと思っています。

色々とやったところで、それが息子のプラスになるかは分からない。でもやってみます。




















東日本大震災から11年、我が家は私の父方が岩手で夫が茨城なので、どちらの親戚も被災して大変でした。
しかしそれ以上に、大震災と息子の命の記憶がひとくくりになって、毎年この日が来ると何とも言えない気持ちになります。

何度か書いたように思いますが、震災時はちょうど妊娠中で、神保町近くで働いていました。
電車が止まってしまったため、皆で会社に泊まり、翌朝動き出した電車で帰宅。
大変なことになったとは思いましたが、電車が動いている以上は月曜日からまた会社に行くのだと思っていました(地震は金曜日におきました)。

ところが、電車の減便や混雑で都心まで出るのは無理になり、会社を休むことに。
仕方がないことなのですが、数日休むうちに申し訳なさが募り、
「じゃあ今のうちに定期検診にいっておこう。そうすれば会社に行けるようになった時に、休み取らなくていいし」
と思いついて、予定よりも半月ほど早く産婦人科にいったのが、偶然自分の誕生日でした。

そしてそこで、「誕生日に赤ちゃん見れますね」なんて看護師さんに言われながら先生に見てもらった直後、「前回からまったく育ってない。今から僕がいた大学病院の先生に紹介状を書くから、明日ならちょうど先生がいるから必ず行って」と告げられて、絶望することになります。

さらに翌日、大学病院で、「こうなるともうやれることはないんだけど、どうしたい?」と教授先生に開口一番に問われ、「助かる可能性があるなら何でもしたい」と返答した結果、「じゃあ今から入院して」と、着の身着の侭、怒涛の入院生活が始まりました。
そこから3週間で息子は333gで生まれることになります。

あの時、地震が起きなければ次の定期検診までの半月の間に、息子の命は途切れていたかもしれません。
そして被災して大変な中、私と息子を心配してくれた祖父や叔父は、今はもうこの世にはいません。

命に思いを馳せる今日です。