今の僕たちの日常は、プロ野球やメジャーリーグを筆頭に、Jリーグや海外サッカー、NBA(アメリカ最高峰のプロバスケットボール)などの様々なプロスポーツにおける情報であふれています。
また、ボクシングなどの格闘技も一般的にスポーツとして認識され、これらのプロ産業についてもお茶の間を賑わせています。
今回は、僕たちの日常に大きな影響を与えている「プロスポーツ」という存在について、僕視点からの考察を行い、読者のみなさんに問いかけをしていこうと思います。
・プロスポーツの功罪について考える
物事には必ず「陰」と「陽」があります。
プロスポーツの在り方について考察するために、プロスポーツにおけるこの両面について、僕の視点での考えを述べていきたいと思います。
①プロスポーツの「功」
僕の考えるプロスポーツの「功」は以下の通りです。
・僕たちの日常やお茶の間を熱狂的で楽しいものにしている
・スポーツや、それを真剣に取り組むことへの魅力を人々に与えている
・身体を動かすことへの関心を人々に与えている
・アスリートの自律的な生き方は人々の自己啓発を促す
まず、エンタメとしての性質で社会に価値を与えているというのが最も一般的な要素としてあると思います。
また、スポーツという一つの文化を社会に大きく発信しており、そのプロレベルのパフォーマンスを魅せることで、人々にスポーツそのものの、またそれに真剣に取り組むことへの魅力を与えているとも考えられます。
さらに、深い考察の部分では、人々の健康意識の助長について特に運動という視点で貢献していることや、プロアスリートの生き方に触れることで、自律的でプロ意識を持つ生活を行うことへの重要性について学ぶことができるという素晴らしい点もあると考えます。
では次に、「罪」の部分について考えていきましょう。
②プロスポーツの「罪」
僕の考えるプロスポーツの「罪」は以下の通りです。
・「勝負」という形式なので、熱狂している分どうしても二項対立が起こる
・エンタメ的要素が強いため、人々の社会的な関心が鈍る
・現代のスポーツは競争的要素が強いため、人々に無意識でも競争意識を植え付けてしまう
・アスリートの恵まれた環境への憧れが、見ている人の「幸福」の基準値を下げてしまう
やはり、スポーツとは「勝負」、「競争」的要素が強いため、無意識でも見ている人に対立や競争意識を芽生えさせてしまいます。また、エンタメ的要素や人々のプロアスリートへの羨望が、庶民の教養低下や利己主義の助長を促しているという見方もできると思います。
以上が、僕の考えるプロスポーツの功罪における考察です。
では、ここで問いかけを行います!
ここまで、プロスポーツという存在について、プロスポーツの功罪という視点で考察を行ってきました。
では、これからプロスポーツが社会にとってより「よい」ものとなるために、プロスポーツがどのような在り方で存在する必要があると思いますか?
あなたの意見を是非書き出してみて、コメント欄にて共有して頂きたいです。
また、これからの在り方についてだけでなく、僕が考察した内容以外でのプロスポーツの功罪としての要素が思い浮かびましたら、それも是非共有して頂きたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
本日も記事をお読みになってくださり、本当にありがとうございます。
読者のみなさんに、この混沌とした世の中で「幸せ」に生きるための気づきを何か少しでも提供できるよう、ベストを尽くして書いていきますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。