先日、このような本を図書館で見つけまして、

面白そうだなと思って借りてみたのですが、やはり面白かったです。

 

 この本では、人々が「学問」を行う意義について詳しく書かれています。

著者の宮野先生は、京都大学で活動されているということもあって、この本は特に大学生に向けて書かれているのでしょうが、

「学問」とは決して大学でしかできないものではありません(実際にこの本にもそう書いてあります)。

 

 「学問」とは、年齢等に関係なく、誰にでもできるのです。

 

 では、「学問」とは? それをする意義とは? について、宮野先生のお言葉を拝借しながら、述べていきたいと思います。

 

 

 学問とは?

 

 「学問」とは、「問いに学ぶ」という事です。

生きていると誰しもが、「なぜ~なのだろうか」、「~とは何か」と、外側の世界に対して疑問を持つことがあると思います。

このような疑問に対して、自分の興味や関心を根源に学ぼうとしていく姿勢はとても大切です。

 しかし、「問いに学ぶ」というのは、そのような事をいうのではありません。

「問いに学ぶ」とは、「なぜそのような問い(疑問)を、自分は持つのか」ということを問うことです。

 

 すなわち「学問」とは、「自分を知ること」であり、もっと言えば「自分という存在を知る」ということなのです。

 

 

 学問を行う意義とは

 

 僕たちは、「自分」という存在から逃れることはできません

外側の環境がどれだけ変化したとしても、「自分」という存在からは決して逃れることはできないのです。

 

 そして、僕たちは誰しもが「幸福」を求めて生き続けます

 

 よって、僕たちは「自分」という存在から逃れられない以上、「幸福」を定義するのも「自分」であるということになります。

 

 すなわち、「幸福」を求めて生きるのであれば、「自分」という存在について知ろうとすること、「自分」とは何かということを問い続けることが必要不可欠であるのです。

 

 したがって、僕の考える「学問」を行う意義というのは、

「あなたが幸せに生きるため」ということになります。

 

 

 今、より一層「学問」を行う意義がある

 

 現代は、より一層人々が「学問」を行う必要がある時代であると僕は考えています。

 

 なぜかというと、外環境の変化が目まぐるしいからです。

 

人々は日常からたくさんの情報に触れることを余儀なくされ、価値観の変容も激しい時代です。

外環境の変化についていくのが精一杯の人がたくさんだと思います。

 

 しかし先ほども述べましたが、どれだけ外環境が変化したとしても、あなたは「自分」という存在から逃げることはできないのです。

 

 現代というのは、人々が外側の世界に無意識でも翻弄されてしまう世の中であると言えます。

だからこそ、「自分」という存在を捉え直す「学問」こそが、現代の人々にとって、より一層必要であると言えるのです。

 

 だからこそ僕はこう言いたいです。

このような混沌とした世の中で、本当の「幸せ」を見出して生きていくために、「学問」をしませんか? と。

 

 

 最後に、「学問」をしたいのであれば、一人でのんびり出来る時間を嫌でもとりましょう。

「学問」とは、自分との対話です。

静けさというものが無いと、自分との対話なんて出来ませんから。

 

 

 

 本日も記事をお読みになってくださり、本当にありがとうございます。

読者のみなさんに、この混沌とした世の中で「幸せ」に生きるための気づきを何か少しでも提供できるよう、ベストを尽くして書いていきますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。