西本願寺の前、広い道路を挟んで反対側には立派な仏具店が南北に軒を連ねています。大きな門構えがあり、そこを通る東西の通りに「正面通り」という名がついています。当初、これは「本願寺」の正面通りなのかと思ってたのですが、違うみたいです。この通り、渉成園と東西本願寺で分断されているけれど、京の町をずっと横に貫いている道のよう。「方広寺大仏殿」の正面の通りだという由来なのだとか。秀吉さん、やっぱりすごいなあ。

 

ちなみにWikiでこの通り沿いにあるものを調べてみたら・・方広寺、大仏殿跡、豊国神社、耳塚、京都美術工芸大学、渉成園、東西本願寺、嶋原、中央卸売市場、任天堂旧社屋などがあるようです。いつかこの通りも歩いてみたいです。

 

 

 

本願寺の向い側にある立派な社屋の建物。お香のお店のようです。お店の前に立つと品のあるとても良い香りがしました。本願寺とは戦国時代からの縁なのか。

 

 

立派な博物館。龍谷ミュージアムてこんなところにあったの!

 

正面通りの角にある数珠屋さん。ここもきっと長い伝統のあるお店なのでしょう。印象深かったのは軒下部分に嵌められている素敵なステンドガラスと濃い緑色のガラス。

 

 

 

緑色のガラスがとても美しい。晴れた日の陽光を通した屋内は西洋の教会内部みたいな、様々な色が広がる空間になるのかもしれません。

 

 

 

この通り、仏具屋さんが続きます。本願寺近くにお店を構えているということだけでやはり格が違うのかも。

 

 

 

振り返ってみる。車も通り抜けできる広さです。

 

 

 

あ。インドみたいな建物。

 

以前、ブロ友さんが記事にされていたのを思い出しました。伝道院という建物だそうです。

 

明治時代の終わり頃に旧真宗信徒生命保険株式会社の本館として建てられたそうです。当時の会社の株主は本願寺。現在は僧侶の教育施設。インドに行くとこんな建物がいっぱい建っているけれど玉ねぎ型のドームはイスラム様式なんですね。

 

 

ゾウさん。

 

何の鳥?

 

もう少し歩くとどこかで見たような銅像が。

 

二宮金次郎の銅像でした。

 

今は多分ホテルになっているのでしょう、この敷地には小学校があったそうです。そして昔の小学校というのは原則地元負担で建てられたものとのこと。前回、京都の通りを歩いた時に見つけた元小学校も地元の支援で建てられたと説明を読みました。この地の小学校は本願寺から援助があったそうできっと立派な学校だったのでしょう。そんな小学校に通える子供たちも恵まれていたのですね。

 

 

正面通りをまっすぐ歩いたら東本願寺の近くまで来ました。このあと左に曲がって四条烏丸方面に歩きました。歴史のある街歩きは楽しいです。続きます。