私の家に住むようになって半年後くらいに、「彼女」を学童保育所に入れました。
一応、子供たちの遊び相手ボランティアという名目ですが、子供たちと一緒に宿題をしたり、子供たちと同じくらいの躾をしてもらうといいかな、と思って。例の福祉問題に詳しい知人のアイディアでした。
日中不在の私に代わり、比較的時間的余裕のある知人が「彼女」の送り迎えをしてくれました。
学童保育で「彼女」は挨拶を覚え、子供のするような遊びを覚え、算数を覚え、お金の概念を覚え、人付き合いを覚えていきました。
出会って一年後には、相変わらず家事はできないけれど、よくいるような普通の女の子と変わらないくらいになりました。
一緒に住み始めて2年目には、彼女はアパートの近くで単純作業のアルバイトを始めました。
あまり体力はなかったので、一日3時間くらいのバイトでした。彼女は月3万円くらい、稼げるようになっていました。
そんな感じで、私たちは長い年月一緒に暮していました。
「彼女」はとても大人しかったし、私が不在の時に誰かを部屋にあげたりもせず、行き先を言わずに出かける事もなく、私が嫌がることをしませんでした。
私は家には寝に帰るだけだったので、「彼女」を十分かまってあげることはできていなかったと思います。
でも、「彼女」は特に不平を言うこともなく、本当に静かに笑っていて、女二人暮らしをていました。
私の仕事の都合で引っ越す時も、一緒に引っ越しました。
今の古い自宅に引っ越してきて、私たちは初めてちょっと広い家に住むことになりました。
「彼女」は階段のある一軒家に住んだことがなかったようで、とても喜びました。ボロ屋の2階は彼女のスペースでした。彼女は出窓に座って、図書館から借りてきた本を読むのが好きでした。
毎日少しだけ働いて、「彼女」の収入は増えもしないけれど、お小遣いにはちょうどいいようでした。
ずっとそんな生活が続くと、私も「彼女」も信じて疑いませんでした。
ある日「彼女」は階段で転んで、それからうまく歩けなくなりました。
私は「彼女」の病気が本格的に悪化したためだとすぐには気がつきませんでした。
でも「彼女」は自分の病気のことをすっかり理解していました。・・・闘病、はしませんでした。
約3ヶ月、ゆっくりゆっくり、彼女は弱って、そして最後の日を迎えました。
・・・沢山の人に助けられて、彼女は天寿を全うしたと思いたいです。でも、もっと一緒にいたかった、私の大切なひとです。



一応、子供たちの遊び相手ボランティアという名目ですが、子供たちと一緒に宿題をしたり、子供たちと同じくらいの躾をしてもらうといいかな、と思って。例の福祉問題に詳しい知人のアイディアでした。
日中不在の私に代わり、比較的時間的余裕のある知人が「彼女」の送り迎えをしてくれました。
学童保育で「彼女」は挨拶を覚え、子供のするような遊びを覚え、算数を覚え、お金の概念を覚え、人付き合いを覚えていきました。
出会って一年後には、相変わらず家事はできないけれど、よくいるような普通の女の子と変わらないくらいになりました。
一緒に住み始めて2年目には、彼女はアパートの近くで単純作業のアルバイトを始めました。
あまり体力はなかったので、一日3時間くらいのバイトでした。彼女は月3万円くらい、稼げるようになっていました。
そんな感じで、私たちは長い年月一緒に暮していました。
「彼女」はとても大人しかったし、私が不在の時に誰かを部屋にあげたりもせず、行き先を言わずに出かける事もなく、私が嫌がることをしませんでした。
私は家には寝に帰るだけだったので、「彼女」を十分かまってあげることはできていなかったと思います。
でも、「彼女」は特に不平を言うこともなく、本当に静かに笑っていて、女二人暮らしをていました。
私の仕事の都合で引っ越す時も、一緒に引っ越しました。
今の古い自宅に引っ越してきて、私たちは初めてちょっと広い家に住むことになりました。
「彼女」は階段のある一軒家に住んだことがなかったようで、とても喜びました。ボロ屋の2階は彼女のスペースでした。彼女は出窓に座って、図書館から借りてきた本を読むのが好きでした。
毎日少しだけ働いて、「彼女」の収入は増えもしないけれど、お小遣いにはちょうどいいようでした。
ずっとそんな生活が続くと、私も「彼女」も信じて疑いませんでした。
ある日「彼女」は階段で転んで、それからうまく歩けなくなりました。
私は「彼女」の病気が本格的に悪化したためだとすぐには気がつきませんでした。
でも「彼女」は自分の病気のことをすっかり理解していました。・・・闘病、はしませんでした。
約3ヶ月、ゆっくりゆっくり、彼女は弱って、そして最後の日を迎えました。
・・・沢山の人に助けられて、彼女は天寿を全うしたと思いたいです。でも、もっと一緒にいたかった、私の大切なひとです。