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昨日は終戦記念日でした。

本来ならば、昨日も自虐史観撲滅日記を書きたかったのですが、時間が取れず本日になりました。


僕は、戦争賛美はいたしません。

戦前日本の価値観が、最も美しいとは思いません。


ただ、日本兵士の戦死者は、300万人にも及ぶとお聞きしています。

その内、餓死したり病気で亡くなった兵士は、6割にも及ぶともお聞きしています。


そのような劣悪な環境を、現場に押し付けた軍部上層部の判断の甘さらは、当然批判されるべきでしょう。

しかしそのような劣悪な環境下において、兵士たちが渾身の働きを見せたからこそ、連合国は日本の占領を諦めました。


それほどまでに、日本は怖かったのです。

映画にもなった硫黄島での戦いにおいては、アメリカ軍は日本軍よりも大量の戦傷者を出しました。

硫黄島でのデータを元ベースに、日本本土での軍略をめぐらせば、アメリカ兵士の戦死者は、100万人を超えると推測されるからです。

その代わり、あちらは硫黄島や沖縄で行ったような、壕に潜む兵士や民間人も、バーナーで焼き討ちにするでしょうから、日本人の戦死者は1000万人を越えるでしょうけれども。


そのような非道非人道の戦争によって、いったい誰が得をしたかといえば、実はソ連です。

僕はこの日中、そして日米と続く大東亜戦争を画策した、本当の戦略者は、当時のソ連だと思っております。

その話は、また後日。


戦後の世界において、世界で大きく変わった価値観があります。

その第1は、「人種差別はいけないことだ。」という国際世論になったことです。

それが世界から、植民地主義の根底をなす価値観を壊滅させました。

そしてアメリカにおいても、マルティン・ルーサー・キング牧師らの公民権運動となり、黒人ら有色人種の、アメリカ内での人権確保運動となり、今アメリカは、黒人大統領の時代となりました。


自由の大国を自認するアメリカが、人種差別を公的になくしたのは、1970年代になってからです。

アメリカの人権意識は、白人に対してのものだったのです。

つまり有色人種は、アメリカ人にとっては、進化したサルと見ていたということです。


もうひとつ重要な価値観として、「国境を越えて進軍することは、いけないことだ。」というものがあるのです。

今ロシアとウクライナでは、これが物議の中心にあるのですが、この国境を遵守する考え方を、戦前に持っていたのは日本だけなのです。


世界には、国境を遵守する考え方はありませんでした。

世界の国境は軍事境界線・・・つまり、軍事力と軍事力とがつりあうところが国境であって、昔の人間が決めた国境という概念は、事実上なかったのです。


ヨーロッパ人が決めたアフリカの国境線は、定規で引いたようにまっすぐですよね。

アメリカとカナダの国境線もまっすぐです。

またアメリカ国内の、洲と洲との境もまっすぐです。


これらは、現実に定規を用いて決めています。

地図を広げて、定規で線を引かない限り、あのようなまっすぐな国境線にはなりません。

つまり、住民の生活圏を意識した国境の区切りでは、国境線はまっすぐにはならないのです。

生活圏は必ず、山や川で仕切られているので、ジグザグになるのです。


その心は何でしょうか?

そうです。

「国境なんて、無意味さ。」ということです。


まっすぐな国境線は、生活圏を無視していますから、実質無意味です。

適当に決めているので、使えない国境線です。

つまり地図にまっすぐな国境線を引く人たちというのは、軍事境界線が事実上の国境・・・という意識なのです。


そのような世界の中で、日本だけが国境を遵守していました。


これは日本が、江戸時代を経験したからです。

徳川幕府によって、藩という半独立国家が日本中にありましたけれども、その一つ一つは、行き来を禁じられていて、勝手に藩境を超えると、幕府からお咎めがありました。

日本人は、「藩境=国境を越えなければ、文句は言われない。」ということが、国民の当たり前としてあったのです。


これが、日清日露戦争の要因ともなり、また日中戦争の要因ともなり、昭和に至るまで、世界の植民地主義を温存させる要因ともなるのですが、それもまた後日改めて。


ともあれ戦後の世界は、国境を遵守するのが当たり前・・・の世界になりました。

これに関しては、戦後日本人の、血と汗と涙の物語もあります。

戦後の日本は、世界史上初めて、国土拡大を伴わない国力の上昇だったのですね。

これが結局、世界から侵略戦争を無くし、植民地主義復古への流れを止めたのです。


人類の心から、侵略・・・という発想そのものをなくさせたのは、戦後の日本人の努力だったのです。

戦後日本の、国土拡張を伴わない繁栄こそ、侵略の動機そのものを無力化したのです。

つまり日本人は、人類の心から、侵略の必要性を消し去ったのです。


なぜならば、日本型の繁栄は、他国からかっぱらい行為=侵略をするよりもリスクが少なく、確実に利益を得られる方法論だったからです。


肉食獣がえさを取るために、獲物を狙うのは当たり前です。

ですから侵略行為には、「生きるため。」という動機付けがありましたし、言い訳することもできました。


しかしそれには、狩りというリスクがあります。

狩り=侵略行為のリクスなく、獲物が確実に手に入るならば、狩り=侵略をする必要はなくなりますし、他国に迷惑をかける侵略行為は悪・・・ということになりますよね。


なぜならば、「利益を得るためならば、軍事的行動を起こさなくても良い・・・・。」ということが、日本を見てわかっているからです。

「それなのになぜ、あなたの国は、軍事的行動を起こしますか?」ということですよ。


この国境遵守の価値観は、日本だけが持っていた価値観なのです。

そして戦後日本は、その本来民族が持っていた価値観を実践し、自国を豊かにすることで、世界を変えたのです。


日本国民の皆様、我々が当たり前に持っている価値観は、世界を変える力を持っています。

もっと世界は、日本化するべきなのです。


そのために日本人は、日本を取り戻すことです。

日本の誇りを、日本人は取り戻すべきなのです。


自虐史観など、払拭するべきです。

そんなことをしていたら、世界はまた、争いの時代に戻りますよ。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/