こんにちはー。(^O^)/

大川隆法ネット後援会長のアモ~レでーす。


昨日書いた記事では、宗教問題の解決・・・という時代的要請を感じて宗教を志した、僕の若かりし頃の、甘酸っぱい思い出を込めて書かせていただきました。

しかし、この問題だけであれば、僕にとっての幸福の科学は、ある意味での、個人的趣味の中のもの・・・であったかも知れませんね。
でも当時の僕は、現実問題として、宗教的な分野に入り込まざるを得なかったのです。

そう、僕の職業は、当時もう看護師であったからなんです。
プロとして、人様の命に触れる職業であったのです。
看護師という職業柄、命・・・とうものに、真摯にならざるを得なかったのですね。

とは申しましても現実的には、どっぷりと人様の生き死にに関わりすぎておりまして、悲しいかな、20代前半においての僕は、人様の死ということに、すでに不感症の域にまで達していたところがあります。(^^;

ただ、23歳の時に、初めて肉親を病気で亡くすという経験をいたしまして、
「これではいけない。」
「今のままでは、看護師として恥ずかしい。」
と、初めて死生観を持つ必要性を感じた次第です。

その時に亡くなったのが、当時45歳だった、若い叔父であったことも、当時の若い僕に、少なからずショックを与えたものと推測いたします。

それまでのある意味での表面的な、宗教学的なアプローチから、本質的な宗教的関心、菩提心を持つことができたのは、大好きだった叔父の、若すぎる死がきっかけだったのです。
命を賭して、僕の菩提心を目覚めさせてくださった叔父には、今も感謝しております。

そして、「命とは何ぞや」というテーマでの、また新たな試みが始まったのですけど、ここで僕は驚愕してしまいました。

なぜならば、「なぜ、生きるのか。」という根本的な問いかけに、どの書籍を読んでも、答えにたどり着けなかったからです。

「どう生きたら良いのか・・・」という書物は、無限にありました。
それはそれで、とても参考になりました。

しかし肝心要の、「なぜ生きているのか」という問いかけには、どこのどなた様も、答えてはいないのです。

幸福の科学的に言えば、【人生の目的と使命】ですね。
この答えは、巷には、どこにも見当たらないのです。
あったかも知れませんが、当時の僕には見つけることは出来ませんでした。

丹波哲郎さんなどの、霊界についての本も読み漁りました。
人間が霊であり、転生輪廻をして、修業していることも理解できました。

では、なぜ修行しているんですか?

これがわからないんですよ。
いつまでたっても、なぜ・・・には、誰も答えてくれないんです。

しかし、これまたあっさりと(笑)、大川隆法総裁先生は、お答え下さっているのですね。

そうです。
人生の目的は、【魂修行】であって、
人生の使命は、【地上のユートピアの建設】ですね。

そして最終的には、元なる仏と一体になることですね。
魂の里帰り運動が、人生なんですよね。

そしてその過程における経験と、有した個性を、神仏は、こよなく愛していらっしゃるんですね。

ですから、人生の目的と使命を提示するだけで、本当は凄いことなんです。
世の中に、それを提示できる人は、他にはいませんから。

もう本当は、これだけで良いんです。
人類史上の快挙・・・と言えば大げさな言い方かもですけど、それが事実です。

しかし、その問いに、答えるだけでなく、それを実証する形で、総裁先生は御努力なさってくださっているんですね。
圧倒的な書籍群を、ご自身で発行することによって。

ですから、世の中には幸福の科学を悪く言う勢力もありますけれども、であるならば、人生の目的と使命を語っていただきたいものです。

ですから、つまらぬマスコミなどの、揚げ足取りチックな批判など、本当はどうでも良いのですね。

「ああ、この世的な些細なことで、本当にお暇なんですねぇ。」(笑)
「その程度で、本当に批判になっていると、まさか思っていないでしょうねぇ?」

と、言うレベルでしかないんです。

なぜなら、幸福の科学は、世界で唯一、人生の目的と使命を、確固たる理論的・実証的確証を持って提示できる、人類史上においても稀有なる団体であるからなんです。

ですから、本気で幸福の科学を批判しようと思うならば、人生の目的と使命が、魂修行とユートピア建設ではない・・・ということを、証明しないといけないんです。

それ以外なら、些細なこと・・・時間の無駄・・・なんですよ。

たとえばある人が、心臓がときどき不整脈とかで、その方にとって理想的でない動きをしたからと言って、「こんな心臓なんていらない。」などと言い出したらどうしますか?

「あなた、死にますけれども。」

という他はありませんよね。(大笑)

昨日書いた、世界の宗教問題解決のための幸福の科学・・・というのも相当しますが、この人生の目的と使命でも、このたとえと同じことが言えるんです。

幸福の科学不要論は、人生に目的も使命もない・・・と、同じ理屈なわけです。

なぜならば幸福の科学は、人生の目的と使命を唯一掲げ、それを証明しようとしているからです。

そして世界で唯一・・・というのは、現代に限ったことではありません。
過去にも、仏陀やイエス・キリストは提示していたかも知れませんが、残念ながら記録に残っていません。

この、人生の目的と使命を、堂々と提示し続けられるお方、幸福の科学大川隆法総裁こそ、まさしく人類の師であるのです。

しつこいですが、

誰も、【人生の目的と使命】という、人間にとっての根源的なテーマは、語ることは出来ていないからです。

だから僕は、幸福の科学信徒になりましたし、今後も信徒であり続けさせていただきたいと、心から願う次第です。 

それでは、またのお越しをー。  (^O^)/