ポランニーがいうまでもなく、未開社会には双分制と呼ばれるものがある。物理学の中にも、この地球上の人間を陽とすれば、エネルギー的に見て、宇宙のどこかに陰の個体が存在するという考える説があるが、それと同じく、政治組織から個人的な存在まで、光に対する影の如く等価の反対物があるのである。

そもそも、人間に雌雄両性があって、これが単純に光と闇だというのではない。一見したところ、人間の雌雄は、そういう意味の相互補完物ではなさそうである。性行為において、男が供犠の執行人、女が被執行人という役割配置は、相互補完というよりつよい緊張関係があるように見える。結局は、人間の両性も、性行為という死を垣間見る聖なる行為以外では、擬制の相互補完的配役を満たしている。けれども、それが、両者の合意的、相補的、互酬的な関係であるかといえば、大きな疑問が残る。生物学的には、Y染色体上にTDFという精巣決定遺伝子があって、胎児の性の分化をつかさどる。これが働くと、膣のまわりに前立腺ができて男性として生まれるのだから、間違いもなく男のもとは女である。これは進化の核心問題でもあるが、進化とは、ひょっとしてオスを突き動かし、作り出すことをきっかけとして行われることかもしれない。だから、男女は、単に二つ並んでいるようなものではないのである。

われわれの近代社会では、男女の役割は分業分担になっているが、ダホメの社会では、そのようなレベルをはるかに超えて、社会のほぼありとあらゆる場で、男女がペアになって社会組織に組み込まれていた。ダホメ王国で働くすべての全役人(男)は、首都アボメの宮殿に住む自分の闇の「影」としての女と一対にされていた。これらの女の総称としてナイエと呼ばれていたが、それぞれ対応する仕事を行う男の<母>と意識されていて、具体的な仕事をする男の役人を統率、管理したのである。

たとえば、王国支配下の海岸地方の塩業に全責任をもって統制していた役人はヨボガといったが、<ヨボガの母>すなわちヨボガノが先ずヨボガからの具体的作業に関わる報告を受け取るのである。挙句に、彼女は、塩業の実情を調査する隠密のような役人の報告をも受ける位置にあり、かかる意味で完全にヨボガを管理していたといえる。

大臣にさえも、彼の<母>がいて、<母>は彼が宮殿で報告する際にはいつも同席して、しかも上位の席に座った。まさに最高位の役人=宰相から、下は一兵卒にいたるまで、女性の「影」を背負っていたのである。男は、女の「影」を背負い、そこから世に生まれ出でて立ち働くのであろうか。

軍隊でさえ、そうであった。精強をもって知られ、19世紀末年まで、徹底的にフランス軍(といっても主軸は質の悪い傭兵隊、すなわち外人部隊だが)に抗戦し、戦闘それ自体では決して敗北したわけではなかったダホメ軍は、左右両翼に分かれ、右翼は宰相たるミンガンに指揮されるが、左翼は女ミンガンに指揮される女性軍なのだった。この女性軍は、実際、戦闘において強力で、アフリカのアマゾン軍としてフランス傭兵隊を震え上がらせた。ダホメ王国は、最後はフランスに王城を占領され敗北するが、それは虚偽の平和協定を結ばせるのに成功したフランス側のだまし討ちだったのである。19世紀末のことであった。

ところで、宮殿に住む女性たちは、大体、実際には王の妻妾だと考えていいとも言われるが、アマゾン軍5000人を除いても2000人もいたのである。全部を本当に相手にしていたら、いくら王でも身はもたないだろう。

男性軍のミンガン右翼軍より、女ミンガン左翼軍の方が上位である。女ミンガンは、軽い戦闘では男の宰相ミンガン系の軍隊に任せきりで、宮殿に居残っている。もともと、宮殿にいて管掌をするのが闇の「影」としての女性の役割だからである。だから、女性軍は近衛師団でもあって、王を守っていた。そして、当の王でさえも<母>を持っていたのである。

ダホメ人の一貫した精神的態度は、王と王権、そして王の住む首都をも双分制の拡がりの中に置いていたのである。つまり、王は一つの物理的身体でありながら、「叢林の王」と「都市の王」の二重の役割を持っていた。

「都市の王」とは、いうなれば、王自身の内部に存在する「母なる王」でもある。そして、その「母」は闇であり、影であり、突き詰めれば神話的宇宙、他界を代表する。つまり、王さえも双分制の中にあり、光と闇の対照を一個の物理的身体に体現し、かつまた自らの「影」としての<母>を持つのだが、その複雑怪奇で無限につながる投影が見えてはこないのだ。これは一体、何なのであろうか。

(p30-32)

1981年刊

光の都市 闇の都市/栗本慎一郎
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