スティーヴ・マックィーン
【 スティーヴ・マックィーン没後25年を偲ぶ!アスベストが憎い!チックショ~ 】
Steve McQueen
(1980年に、わたくしが、彼の死を偲んで描いたものです)
もしも 「昭和時代の “洋画スター” といえば… 誰?」
と、訊かれたら、わたくしの頭の中には、
バイクにまたがって疾走するマックィーンの雄姿が 『ボン!』 と
浮かんで来てしまいます!
そう、あの、「大脱走」 の名場面が、ど~しても 浮かんで来るのです。
タタッ! タタ~タラッタ テテーテ テーテレッテ テッテェ♪
あぁ… エルマー・バーンスタイン作曲の大脱走マーチが、今にも
聞こえてくるようだぁ~!
『スティーヴ・マックィーン』
彼は、わたくしにとって、間違いなく “あの時代” を代表する
銀幕のヒーローなのです!
(わたくしの部屋に飾ってある、パネル写真です)
1980年11月7日。 メキシコのファレスという街の小さな病院で、
彼の命の灯は、静かに消えました。
今年2005年は、マックィーンの没後25年目にあたるわけです。
マックィーンの死因については、多くの文献が 「肺ガン」 と記しています。
確かに、肺ガンと言えなくもない疾患なのですが…
正確には、悪性中皮腫といって、臓器の膜にできるガンだったと言うことが
日本でも、最近になって話題に上るようになりました。
それは、悪性中皮腫の原因の約8割が、アスベスト(石綿) によることが
ようやく認知されてきたからでしょう。
マックィーンの場合も、肺を取り囲む胸膜に悪性の腫瘍ができていたのです。
悪性中皮腫の恐ろしい点は、若い時期にアスベストを吸い込んだ人のほうが
発症しやすいということです。
潜伏期間は20~50年。
ハリウッドの映画俳優だったマックィーンが、どこでアスベストを吸込んで
しまったのか? 2つの説が考えられるといいます。
1つは、海兵隊時代。
1948年、17歳の彼は、海兵隊に入隊。 船内清掃作業にあたっています。
当時の船には断熱材としてアスベストが至る所に使用されていた為、粉塵を
吸込んでいても不思議ではありません。
造船関係の労働者にアスベスト被害が多いと言うデータが、それを裏付けて
いるように思えます。
もう1つは、レーサー時代。
無類のモータースポーツ好きだった彼は、何度となく自動車レースにも参加
していました。その際に着用していた耐火服やマスク、またブレーキ素材に
織り込まれていたアスベストの粉塵を吸い続けたのが原因かもしれません。
1979年12月、マックィーンは 「余命3ヶ月」 を告げられます。 49歳でした。
遺作となった 「ハンター」(1980年)では、 『スタントマンはいらない』 と
危険なアクションシーンにも果敢に挑んでいます。
その姿を、わたくしは、目頭を熱くせずには観られません!
彼の死が、映画撮影時の事故とかではなく、アスベストによるガンだった
なんて… ファンのひとりとしては、なんとも、無念でなりません!
アメリカでは、今でも毎年2000人以上の人々が、マックィーンと同じガンを
発症しているといいます。
恐らく、日本でも、今後、被害実体が更に明らかになり、発症者も増えて来る
のではないか? と心配です。
これも、昭和時代の、開発暴走による 『負の遺産』 が、『ツケ』 として、我々に
まわってきているのでしょう。
(テレビドラマ「拳銃無宿」の一場面です)
最後に、マックィーンの魅力を、語らせてもらうとしたら…
彼の、コンパクトな身体から発っせられる、パワーと深み。
ちょっとシャイで、どこか影のある感じが、イイんです。
それに、大好きなバイクや車を乗り回しているときに見せる、子供のような
笑顔もたまりません!
1930年生まれだから… もし生きていれば、75歳か…
(あら? つうことは、うちの親父とタメじゃん ゲゲ~ 同じ人間とは思えん!)
スティーヴ、あんたは、最後の最後まで 「 King of Cool 」 だったぜ!
最高に、いかしてたよ!
<データ>
Steve McQueen :
1930年3月24日、インディアナ州インディアナポリスに生まれる。
曲芸飛行師だった父は、彼が生後6カ月のときに蒸発。
母方の伯父のもとで、ミズーリの牧場にて幼少時期を育つ。
9歳、12歳の時に母が再婚し、ロサンジェルスに移る。
次第に不良グループとの交際が深くなる。
14歳でカリフォルニアの少年院に1年半収容。
15歳で家を飛び出し、油田の人夫や水夫をしながら各地を転々とする。
1948年に海兵隊入隊。
除隊後はニューヨークにて、テレビ修理工場で働きながら、
ネイバーフッド・プレイハウスで演技を学び始める。
25歳でアクターズ・スタジオに合格。
1956年ついに、「傷だらけの栄光」でデビュー。
1958年、テレビドラマ「拳銃無宿」で主役獲得。これが人気爆発。
その後、「荒野の七人」「大脱走」の大ヒットで一躍大スターの仲間入り。
「ブリット」「パピヨン」では、役者としての真価を更に発揮。
オスカーでのノミネートは「砲艦サンパブロ」1回にとどまった。
レーサーの腕前も有名。また、ブルース・リーの門下生でもあった。
1980年11月7日、ガンの手術後メキシコにて死去。
タフガイの彼も長年の闘病生活で、心臓が手術に耐えられなかった。
遺言により、彼の遺灰は、友人らの手によって、太平洋にまかれる。
『 こんな経歴の大スターが生まれるなんて、今の時代には考えられない!
これも、“あの時代” が作りえた、幻のスター像なのかもしれない。』
スティーヴ・マックィーン代表作品(日本公開のもの)
1956 傷だらけの栄光
1958 ニューヨークの顔役
1958 絶対の危機
1959 戦雲
1960 荒野の七人
1961 ガール・ハント
1961 突撃隊
1962 戦う翼
1963 大脱走
1963 マンハッタン物語
1963 雨の中の兵隊
1964 ハイウェイ
1965 シンシナティ・キッド
1966 ネバダ・スミス
1966 砲艦サンパブロ
1968 華麗なる賭け
1968 ブリット
1969 華麗なる週末
1971 栄光のル・マン
1971 栄光のライダー
1972 ジュニア・ボナー
1972 ゲッタウェイ
1973 パピヨン
1974 タワーリング・インフェルノ
1978 民衆の敵
1980 トム・ホーン
1980 ハンター
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