2014年10月27日(月) 17時52分35秒

緊急警報放送受信機

テーマ:保育所
今日、緊急警報放送受信機を設置しました。

保育所では月に一回の防災訓練を義務づけられているのですが、訓練をする度毎に地震に対しては揺れてしか動けないことにもどかしさを感じていました。で、今日、受信機を保育所に三台設置した訳です。

数秒後に震度五弱以上の地震が起こることが予測された場合に出される緊急警報放送を感知して自動受信する機械です。

たかが数秒、されど数秒。

この数秒間にすべき事をしっかりと検討していかなければ行けません。

この警報機が作動しない方が良いのはもちろんですが、でも、その時のためにしっかりと備えていくことはとても大切なことですから、園児にも、「この機械がなったら地震が来るからね」と今日より教えはじめました。

でも、厳しい災害が起こらないように祈りつつ…。
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2014年10月25日(土) 15時50分04秒

李下に冠を正さず

テーマ:ブログ
【李下に冠を正さずの解説】
【注釈】 スモモ(李)の木の下で曲がった冠をかぶり直すと、スモモの実を盗んでいるのではないかと誤解を招く恐れがあることから。
「正さず」は「整さず」とも書く。
【出典】 『古楽府』君子行
【注意】 -
【類義】 瓜田に履を納れず/瓜田李下/李下の冠瓜田の履
【対義】 -
【英語】 He that will do no ill, must do nothing that belongs thereto.(悪事をすまいと思う者は、悪事と思われることをしてはならない)
【用例】 「あの業者の接待を受けるのは遠慮したほうがいいだろう。李下に冠を正さずだ」

新しく就任した宮沢新経産相は「『李下に冠を正さず』で、少しルールより厳しいことをしっかりやることを、われわれ全員が考えるべきと思っている。その辺はしっかりやってきている」と言っていますが、文面通りに考えるなら、「『誤解を受けるので』、少しルールより厳しいことをしっかりやる」という風になる訳ですが…。

そもそも、問題は「宮沢会の2010年分の政治資金収支報告書によると、同年9月6日に「交際費」の名目でバーに1万8230円を支出していた。」事が問題なのです。

そのバーが「どんな嗜好によるものか」等が問題ではなく、バーなどでの費用を「交際費」…更に宮沢氏はいないにもかかわらず「事務所関係者が誤って政治資金として支出してしまった」だとすれば、その事が問題なのです。

「李下に冠を正さず」の本来の意味は、「(冠をかぶって)李下(スモモ木の下)には行くな、もし、行ってもそこでは冠を治すな、そんな事をすると泥棒と間違えられても文句を言えないぞ」と言う意味です。そもそも「疑われるようなことはするな」と言うことです。

ですから、そう言う店を「政治活動における交際」なんだか「私的な交際手段」何だか知りませんが、そのことそのものが、どうしようもない事だとも思う訳です。

何ともかんとも…。
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2014年10月20日(月) 17時37分23秒

私に任せて

テーマ:子供たち
妻が寝不足で寝込んだので私が代わりにお昼ご飯の準備をしようとしていたら娘が横から颯爽と割り込んできました。

そして「私の女に任せて」と…






「女の私に任せて」と言いたかったらしいです。

さてはて、もうすぐ5歳になる娘、一生懸命背伸びしています。5歳前後になると、子供は大人になったと言われることがとても嬉しいようで、何でも手伝いたがり、大人と対等であろうとします。だからこそ、そんな言い間違いも起こる訳ですが…。

しかし、その一方で大人は「子供は大人に従うべきだ」と思い込んでしまいます。

子供は、教えられるよりも何よりも見様見真似で学んでいきます。

たとえ、口先で教えたとしても、子供達は大人の背中を見ています。

何をしているかを見ています。

「子供の世界が乱れている」と言う前に、彼らを取り囲む私たちが乱れていることに思いを巡らせなければ、教育はただ子供を罰するだけのものになってしまいます。

今、子供に対して罰を求める声が大きくなってきていることに危惧を持ちます。

大人同士が互いを尊重し、互いに助け合っているからこそ、子供達はそうなろうと努力するのです。

今を捨てて未来を取るという様なものではなく、今を良くすることにより未来は明るい物に変えられていくと思って歩みたいものです。


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2014年10月12日(日) 00時41分02秒

青色発光ダイオードがノーベル物理学賞を受賞した訳

テーマ:ブログ
今週は、青色発光ダイオードの開発をした名城大学教授の赤崎勇(あかさき・いさむ)氏(85)、名古屋大学教授の天野浩(あまの・ひろし)氏(54)、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の中村修二(なかむら・しゅうじ)氏(60)=米国籍=の3人ノーベル賞物理学賞を受賞することになったニュースで持ち切りでした。

三人の教授の受賞理由で「赤崎勇教授、天野浩教授、中村修二教授は”効率的な明や映像機器でいまや不可欠になった、青色に輝くLEDを考案し、実用化した。三教授は1990年代初めに、窒化ガリウムで青色LEDの半導体を発明し、インジケーターとしてしか使えなかったLEDを、照明として使えるようにした。今や携帯のバックライト、巨大スクリーン、信号やイルミネーションなど様々な場所で使われ、消費電力も少ないことから寿命も長く、省エネにもなることから環境にも良いとされている。青色LEDは20年前の発明だが白色光の実現に貢献しており、私たちは多大な恩恵を受けている」とありますが、これは、「人類に最大の利益をもたらす発明」というノーベル賞の受賞基準に合致するものであったと言う事になります。

光の色の感じ方は、赤、青、緑の三色の発光具合によって決まります。そこで、三原色を発光させそれをミックスすると白色になると言うアイディアが出てくるわけですが、三原色の最期の一色が青色発光ダイオードということになります。でも、それだけでは、他の色の発光ダイオードの開発と全く一緒の価値しかありません。

この青色発光ダイオード、製品化されたのは私が大学生のとき1993年11月のことでしたから、この製品化に貢献した中村修二教授の受賞は21年を経ての受賞となりますし、そのそもの青色発光ダイオードの開発は赤崎勇教授と天野浩教授によって1989年のことですから、25年を経ています。

そもそも、青色発光ダイオードの大本である「発光ダイオード」は1962年、ニック・ホロニアックにより発明されたとあります。そこから考えると52年前ですね。少年時代、発光ダイオードと言えば赤色でした。光もさほど強いものではありませんでした。プラモデルなどに使ってましたけっけ。

その後、西澤潤一・東北大学教授により高輝度の赤色発光ダイオード・緑色発光ダイオードが開発され、いよいよ今回受賞した高輝度青色発光ダイオードの発明と繋がるわけです。

今回の青色発光ダイオードは、発光ダイオードの系譜で考えれば、ニック・ホロニアック教授や西澤純一教授を忘れてのごく一部の受賞と言う事になるかも知れませんが、実は、青色発光ダイオードでの受賞は「三原色の最期の一色」ではない理由によるものです。

多くの人たちは、青色発光ダイオードによって、液晶パネルなどのフルカラー化が可能になったと考えているようですが、それは大きな勘違い。それは、カラー液晶パネルなど別の発明です。

では、なんで、「青色発光ダイオード」の開発がノーベル賞に値するのか。この受賞理由の中で「白色光の実現に貢献しており、私たちは多大な恩恵を受けている」と言うのが、評価のポイントです。

実は、この青色発光ダイオードの技術によって、白色光ダイオードを作ることができる様になったと言う事なんです。

光は波長で、その色合いが決まります。ダイオードは単波長の光しか出すことができません。だからこそれぞれの色の光をどう作るかが重要になってくるわけです。しかし、その一方で、「白色光」の実現には、赤、緑、黄色の光を混合して作る以外にも別のアプローチがありました。それが、蛍光作用による白色発光ダイオードの技術です。

蛍光物質は、波長の短い光を受けると発光します。ブラックライトを浴びると、蛍光部室を含んだ部分だけが強く光るあれです。青色発光ダイオードは、その蛍光物質を発光させる波長を作り出すことができます。これによって、白色光を出すことに成功したわけです。つまり、炎や電球や蛍光灯以外でははじめて、強い白色光を得ることができた事が評価の基準になっています。

そう言えば、私がパソコンをばらして改造していたときには、陰極管(正しくは冷陰極管)が液晶ディスプレイのバックライトとして用いられていました。液晶ディスプレイの淵の部分に細い陰極管が仕込まれていましたが、そのため、ディスプレー部の厚みが現在のパソコンよりも分厚くなっていました。

電球が熱を変換して発光し、蛍光灯が放電による紫外線を蛍光物質によって発光するわけですから、装置が大きくなってしまう訳ですが、この発光ダイオードを使った場合、小さく薄く作ることができるわけで、そのため、液晶ディスプレイのバックライトなどに使われる様になったのです。

「私たちは多大な恩恵を受けている」とありますが、この多大な影響は、私たちが「思ってもみないところで、思ってもみない形で受けている」ということなんですね。
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2014年10月07日(火) 17時41分21秒

you will get Letter

テーマ:千葉家新報
千葉家新報 10月7日付

千葉家広報部は、本日、千葉家長女のYukimi(4歳)が祖母にお手紙を送ったと発表した。お手紙はその後、ポストから回収され、電車に乗せられ、その後、現地の郵便配達員の手で祖母に届けられる予定だという。

Yukimiがお手紙を送った理由を同広報部は、「夏の帰省の時に祖母に買って貰ったレターセットを見つけたのが直接の原因」とし、このお手紙の内容は「ばあちゃんに対する感謝」であるとしているが、詳細は未定。

なお、本人のサイン以外は、父親の代筆と見られ、将来における資料的な価値はほとんど無いものと見られるが、それでも「Yukimiが早くからお手紙に対して興味を持っていたことを裏付ける貴重な資料」という見方もある。

Yukimiの手紙の投函に同行した父親は、本紙の取材に対し「凄くテンションが高かった。言っている事がまるで、ポストとばあちゃんの家が繋がっている様な感じだった。2円足りなかったことで、郵便局まで行って切手を買うことになったが、それが良い結果を導き出したと言える。消費税増税の影響だと思うと複雑な気分」と話していた。

郵便に詳しい母親によれば、お手紙が届くのは早くても明日の夕方とのことで、そのお手紙を受け取った祖母の対応に今から注目が集まっている。



ドキュメントバージョン「初めてのYou've got mail」

祖父の葬式に行ったときに、祖母から貰ったレターセットが切っ掛けだった。昨夜Yukimiは思い出した様にそれを引っ張り出し、祖母に手紙を送ることを考えた。

「なんて素敵なこと」

色々と思いを巡らせながら、父親に口述筆記を頼み込むYukimi。

「ばあちゃん、色々くれてありがとう。いっぱい遊んでくれてありがとう。また遊びに来てね」の文言を父親に書き込んで貰うと、彼女は小さな手で便箋を折り封筒に入れた。

住所を書いて貰い、自分の名前をサインし、さあ、投函…。

しかし、その時、彼女は80円切手しか持っていなかった。「消費税??」はじめてお手紙を送るYukimiにとっては厳しい試練であった。期待に胸が高鳴りながら、たった2円の非情に彼女の想いは張り裂けそうだった。

「明日、保育園に行くときに郵便屋さんに行く」

手紙を抱きしめて眠りについた。

翌朝、着替えて、保育園に行く途中ちょっと寄り道をして郵便局へ。

「ああ、ドキドキする…」

朝9時、開店直後の郵便局に飛び込むと局員さんが笑顔で迎えてくれた。カウンターにしがみつきながら切手を買い、それを貼ってポストへ投函…。

たったそれだけのことなのに、とても楽しかったとYukimiは語る。

「だって、お手紙が、ばあちゃんところに行くんだよ。ドキドキして我慢できない。」とまるで恋する乙女の有様。

もはや返事を待ちわびるYukimi。

筆者もメールや携帯のない時代の胸の高鳴りを思い出した。
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2014年10月06日(月) 15時13分28秒

心のやり取りという教育

テーマ:保育
今から12年ほど前、バウリンガルという「人と犬とのコミュニケーションツール」が発売されたことがありました。

愛犬家の知人が、当時、早速それを買って試したそうです。そして得た感想が面白いものでした。

「よく考えてみたら、何もこんな機械使わなくたって、飼っている犬の気持ちなんてよく判ってるわけで、本当に必要なのは、飼い主の言いたいことを犬に通訳する機械だって気が付いた」

つまり、犬の方は機械に頼らなくても意思を飼い主に伝える事が出来るのに対し、飼い主はいつまで経っても犬に意思をうまく伝える事が出来ないと言うことですね。コミュニケーションは、双方性のものでなければいけませんので、これではやっぱり意味がありません。これでは、困っているのは、犬ではなく、飼い主と言う事になります。

研修の講師などを行うようになって最近思うのは、教育そのものが、得てして上記の考察のようなコミュニケーションの過程を無視したものになっていることが少なくないことでした。

例えば、絵カードによる視覚支援等も、これからやることを知らせることのみに目的をおいて使われているケースが多かったりします。本当は支援ツールは、支援を必要とする人が自立する切っ掛けでしかありません。それがなくても伝えられるようになれば、それが良いに越したことがないわけですから。

時々、「支援は本人のためだ」と声高に叫ぶ人が居ます。結果、支援は支援ではなく、強制になってしまいます。それができなければ、一人前になれないという思い込みが更にそれを後押しします。結果、コミュニケーションツールを持たせることにのみ視点が行ってしまいます。

もしも、支援ツールに頼り切った支援を展開してしまえば、支援を受けていた人は、その支援を受けられない状態になったときに、再び何もできない状態に追い込まれてしまいます。

「困り感」と、言う言葉があります。これは、「困っている事柄を認知、表現できずに困っている状態」のことを指します。

例えば保育園などで、箸を忘れて、じっと給食を見つめている子がいたとします。

その時に行う支援は、箸を差し出すことではありません。この場合の「困り感」というのは、「ご飯を食べることができるようになる状況をどうやってつくり出したらいいか判らない状態」であって、箸がないことではないからです。

この場合の支援は、それを解決する過程を、その事一緒にやっていくことなのです。

ですから、ベテランの保育者は、そう言う状態のお子さんを見つけた場合、「どうしたの?」と声を掛け、本人の視点に並び立ち、彼が困っていることを「あ、お箸がなくて食べられないのね」と声に出し解釈し、そしてそ「こういう時にはね、先生に言えばいいよ」と解決する手段を伝え、その「困り感の表出」を促し、必要であれば一緒にそれを実行します。その子がたとえ、小さな声で「先生」と一言言えるだけでもその第一歩は成功です。あとは、その子が陥る似たような状況を察知しながら、徐々に独り立ちするのを支えていけばいいのです。

支援は、支援を必要とする人の可能性を広げようとするモチベーションによってのみ、展開されなければなりません。そうでなければ、支援をされる方もする方も、「支援というサービス」のやり取りをしているだけという概念になってしまいます。

ここら辺が、これからの支援の課題にされなければいけないと最近強く思わせられています。

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2014年10月04日(土) 15時19分52秒

イカが空を飛ぶ

テーマ:ブログ
凧 きのふの空の ありどころ(与謝蕪村:昭和6年)

この「凧」を「いかのぼり」と読むのだそうです。

凧は中国から伝来したものだと言われていますが、それを昔は「いかのぼり」と呼んでいたそうです。なんでも、「凧」を「タコ」と呼ぶのは江戸以降の関東の方言」で、それ以前、そして「関西の方言では「イカ」「いかのぼり」(紙鳶とも書く)と明治初期まで呼ばれていた。」(ウィキペディアフリー百科事典http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%A7#.E6.96.87.E5.8C.96)そうで、一説には、関西に対する江戸っ子の対抗心の故という説まであるそうです。

さてはて、去年のニュースに「イカは空を"飛ぶ"ことができる!! - 北大がイカの飛行行動を解明」(http://news.mynavi.jp/news/2013/02/07/140/)のと言うのがありました。むろん本物のイカです。海中から一気に飛び出し、飛行形態をとり、50メートルほども滑空するって言うんですから驚きです。

北海道大学北方生物圏フィールド科学センター 山本 潤助教が明らかにしたものですが、この記事では、「水を漏斗から噴射し続け空中でも加速し、さらに揚力を発生させるためにヒレと腕を広げるという行動。この際、腕の間にある保護膜を広げることで、腕とともに翼のような形を形成」し、「腕とヒレを広げた状態を維持したまま滑空を開始する行動。揚力はヒレや腕と保護膜で作った翼で発生させており、進行方向に向かってやや持ち上がった姿勢(ピッチ・アップ)を取ることで、バランスを取っているほか、外套膜は緊張状態を保ち、体の前後(ヒレと腕)にかかる揚力に耐え空中姿勢を安定させていることが判明」したと報告されています。「空中の移動速度は8.8~11.2m/sに達するものと考えられる」そうですから、時速に換算すると3~40Km/hの速度と言うことになります。

イカが空を飛ぶ理由はまだはっきりしていないそうですが、「捕食者から逃げるため」ではないかと考えられているそうです。

写真も報告されていました。

空飛ぶイカ

美しいですねえ。

鳥や昆虫が羽を持ち、哺乳類は皮膜を発達させ、魚類はヒレを発達させ、それぞれ空を飛ぶ手段を獲得した種が誕生しました。でも、軟体動物のイカで空を飛ぶことができる種がいるなんて…。

よく考えれば、鳥だって飛ぶことを捨て、走ることを選んだ種、水中を泳ぐことを選んだ種もいますし、哺乳類だって海で生きることを選んだり、なおさら極寒の極地で生きることを選んだ種もいます。そう考えれば、イカに向かってお前は軟体動物なんだから飛ぶなと言う訳にもいきますまい。

さすがにタコが空を飛ぶことは無理だろうなあと思いながら、その一方で、全身を駆使してこんな風に飛ぶことを考えたイカに尊敬の念さえ覚えたりします。

最近、経済性が重視されるようになって、向き不向きとか得意不得意と言うことがよく言われますが、その一方でやってみたらできちゃったと言う人生も私たちにはよくある話でした。多分、最初に飛んだイカだって、そうだったのでしょうね。そう考えると、とにかくやってみることが一番大事だってことかなあと思ってみたりもします。

最近になってまことしやかに論じられる「子供たちの才能をどう伸ばすか」という話も、データからではなくて体験する機会を増やすところから始めなきゃいけないなあと思う次第です。

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