2013年03月30日(土) 19時19分58秒

自民党憲法草案を後ろから読んでみる(その5…誰がどうお金を使うか)

テーマ:自民党憲法草案
現行憲法と自民党の憲法改正草案とを比較するのももう5回目。ついに第七章に辿り着きました。この第七章は財政のことを書いているものです。

この中では、新設されたものがいくつかあります。新設された部分だけを抜き出すと

第八十三条に2項が追加、更に第八十六条に2,3,4項が追加されています。それから、八十九条が二項に分離されています。

具体的に追加されたところは、

第八十三条の
2 財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない。

第八十六条の
2 内閣は、毎会計年度中において、予算を補正するための予算案を提出することができる。
3 内閣は、当該会計年度開始前に第一項の議決を得られる見込みがないと認めるときは、暫定期間に係る予算案を提出しなければならない。
4 毎会計年度の予算は、法律の定めるところにより、国会の議決を経て、翌年度以降の年度においても支出することができる。

これは、どちらも現在の会計運用状況を見て追加したものといえると思います。八十六条などは典型で、補正予算についての規程を憲法に盛り込んでいます。さらに4項では、予算の支出を翌年度移行に持ち越すこともできるという規定がありますが、これはちょっと引っかかります。


それから、八十九条が二項に分離されていることも考えて見ましょう。

自民党憲法改正草案によれば

(公の財産の支出及び利用の制限)
第八十九条 公金その他の公の財産は、第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き、宗教的活動を行う組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため支出し、又はその利用に供してはならない。
2 公金その他の公の財産は、国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対して支出し、又はその利用に供してはならない。

とあります。現在の日本国憲法では、

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

ですが、どこが違うかと言うと、現行の八十九条が理由で、ちょっとややこしいことになっているからです。どういう事か。

「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」の部分が引っ掛かっている訳です。ちょっと捻くれて読めば、「私立学校、私立の社会福祉施設などに公費を支出することは憲法違反だ」と言うことになってしまうようで、これが憲法改正の必要性を訴える根拠になっているからです。

平成17年01月31日に行われた参議院予算委員会で、時の内閣総理大臣小泉純一郎氏は

「憲法八十九条というのを、これで本当に日本は憲法を守っているのかどうかよく考えていただきたい。せっかくの機会だから読み上げますよ。憲法八十九条、『公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。』。私立学校、公の支配に属してないですね。公金が支出されてないんでしょうか、私学助成。その他博愛事業、慈善事業、私は憲法九条ばかりでなくて本当に憲法を守らなきゃならないのかと。

と言っています。

逆に言えば、

「保育所も幼稚園も学校も社会福祉施設も公立しか認めないと言うことになれば、みんな困るだろ?現行憲法はそんな間違いを孕んでるんだよ。だから憲法を変えましょうよ」と言いたい訳です。

で、自民党改正案では、「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し」という部分を、「国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対して」という風に変えた訳です。

しかし、「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」が「公立でない慈善、教育若しくは博愛の事業」と同義ではありません。「公の支配に属する」ということは、「国が必要だと認める慈善、教育若しくは博愛の事業を行う」という事を意味するのは当然です。保育所も同義であろうと思いますが、公の基準や指導を受け入れなければ、行うこともできません。

「国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及ばない」とトーンダウンしたのはなぜなのか。

本当は、別のところにありました。現行の憲法第89条によれば、本当にあやしいのは政党助成金の方です。政党活動は果たして国の支配に属しているのでしょうか?そうだと胸を張って言える状況にはないのは、私立学校や私立幼稚園、私立保育所などよりもハッキリしています。

だから、「国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督」が及べば良いという風に解釈できるようになっています。更に、「第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き」とあるのは、どういうことかとフライングして読んでみれば、

(信教の自由)
第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。

とあり、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。」という部分を指摘しています。

つまり、「『社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては』、『宗教的活動を行う組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため支出し、又はその利用に供し』ますよ。」ということになってしまいます。

これじゃあ、「公の支配に属してない」私立学校や私立幼稚園、私立保育所、その他の博愛事業や慈善事業に「公金その他の公の財産」を支出するための目的で変えたと言うこといにはなりえません。

結局は、当初訴えているようなものとは全く別物の「自分たちのために公金を支出したいがための改正である」という臭いがぷんぷんしてきました。

さらに、第八十六条の4

「毎会計年度の予算は、法律の定めるところにより、国会の議決を経て、翌年度以降の年度においても支出することができる。」

と組み合わせて読めば、国会議員が必要だと思った予算については、使い切れなくても翌年に持ち越し支出することができるということになります。

こんな、国会議員にとっての打ち出の小槌みたいな改正でいいのかしら。なんともカントモ…。


ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2013年03月21日(木) 11時59分59秒

卒園式

テーマ:ブログ
今日は木造保育所の卒園式です。私が園長になってから、5回目の卒園式。最初の年長児に「今度の園長先生は…」と言われた思い出があります。そんな経験から、もう五年。

最初は適当に…と思っていたのですが、見過ごせない現実ばかりの保育界にどっぷり漬かるようになってきて…。

でも、子供の福祉を守り、作り出すことに関われることはとても幸せだなあと思わされています。

「教育と福祉は信仰がなければ出来ない!!」「んだんだ!!」とお坊さんの園長と激しく同意したことが忘れられません。

卒園おめでとう。

卒園したって君たちは私たちの大切な子供だよ。

いつでも遊びにおいで、そして、いつでも相談に乗るよ。

元気な時、楽しい時には忘れていてくれて構わない。

でも、苦しい時、辛い時、悲しい時は思い出して欲しい。

そしていつでも休みにおいで…。

卒園おめでとう。

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2013年03月17日(日) 07時53分35秒

備えること

テーマ:ブログ
一昨年の震災から2年を経ました。あの過酷な体験の中、私達は日常の生活が如何に脆いものかを知りました。保育所の関係で被災直後に行われたアンケートには、「非常用発電機の設置」を訴える声が多く上っていたことを思い出します。ガソリンタンクと発電機は一年ほどは品薄状態が続いていたのではなかったかと思います。

木造保育所では、ガソリン発電機が2台ありました。別に非常用と言うことではなく、ねぶた用に持っていた発電機でした。私が赴任する前から、ねぶたの運行を取り止めていたので、使われなくなっていたこの発電機。

あの震災の時にどうだったかと言えば、両方とも役に立ちませんでした。

どういう事かと言えば、メンテナンスを怠っていたからです。キャブレターが詰まってウンともスンとも言いませんでした。

災害というのは、備えていれば災害とは言いません。

例えば、雪国で10センチの雪が降ったとしても「あ、積もったねえ」で済む訳ですが、東京で10センチの雪が降れば災害です。想定外という言葉がよく使われますが、想定の中で起こるものは災害とは言わないのです。

備えていない場所で起こるからこその災害です。そう言う意味で言えば、災害とは備えを越えたものであると言うことができます。

それにしてもあの災害は苛烈を極めるものでした。だからこそ、多くの人が命を失い、また、財産を失いました。

要はそう言う想定外の出来事をどういう形で乗り越えていこうとするか、乗り越えていくかと言うことではないでしょうか。

あれほどたくさんの人が買い込んだ発電機はどうなったでしょうか?2年も使わずに置いておけば、動かなくなるものもあるかも知れません。そうであればここから先で大きな停電を伴う災害が起きた場合には、全く役に立たないと言うことになります。

訓練とは日々の生活に溶け込むものでなければならいでしょう。

先週は追悼行事があちこちで行われました。

しかし、あの大災害を経験した私達は、あの大災害を乗り越える力を持たなくてはなりません。そしてそれは装備を調えるだけではなく、個人個人が乗り越える力を身に付け、成長することが必要なのだと思います。

備えることは、振り返ること、学ぶこと…。


ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2013年03月09日(土) 15時36分48秒

あきらめたら最後…脱出編

テーマ:ブログ
なんだかんだやっているうちに、もはや3月も中旬の声を聞き…。

さて、人生、いろんなところでピンチに陥るものです。で、今日はお題を三つ。どれも、知っていたって一生の中で役に立つことはないかも知れない知識ですが、知っておいて損はない知識です。


練習問題
雪道で車が轍の雪に乗り上げ動けなくなった。さてどうする?




答え
フロアカーペットや、毛布、ダンボール、雑誌などをタイヤの下に敷いてみましょう。脱出できる可能性が高くなります。また、車体が轍(わだち)などに乗り上げているのであれば、荷物などを下ろし車重を軽くしてみます。サスペンションが伸びて結果的にタイヤに荷重がかかり、脱出できるかも知れません。

ちなみに、車に使い古しの毛布を積んでおくと何かと便利です。荷物を包めば荷物や車を保護することもできます。もし、動けなくなったとしても、毛布で暖をとることができます。





問題
地震の影響でドアが歪んだり、施錠されていて建物のドアが開けられない。さて、どうする?



答え
壁を破ることを考える。

防犯などの理由から窓やドアなどは頑丈な場合が多いのですが、現代の木造建築物の場合、壁は意外に破壊しやすいものなのだそうです。ほとんどの壁は、遮音材や断熱材などが入っているだけで、中空の場合が多いそうで、重くて頑丈なテーブルなどがあれば、それをハンマー代わりに壁にぶつけると意外に簡単に穴が開くことがあります。



問題
運転していて誤って、池(海)に落ちてしまいました。さてどうする?



答え
水圧のためにドアは落下直後から開けられなくなります。

落下したらクラクションを鳴らし続けて近隣の人に危機を知らせましょう。隙間から水が漏れてきます。回線は早い段階でショートしますから、落下した直後にパワーウィンドウをあけられればあけて脱出します。また、脱出用ハンマーを持っていれば、窓を割って脱出できます。その場合はフロントガラスなどは丈夫なのでドアのガラスを割ります。自分が助かるためだけでなく、他人を助けることもできます。





問題
窓が開かなければ、さてどうする?




答え
水没するのを待ちます。完全に水没すると水圧は均等になりますから、開けられるようになります。息を止めて完全に水没するのを待ち、ドアを開けて脱出します。



いかがだったでしょう?

要はその攻略法を知っているかどうか、そして、最後まであきらめないことです。もうダメだと思う瞬間が、脱出の瞬間になることは意外に多いのだと言うことも覚えておきましょう。



ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2013年03月03日(日) 08時32分02秒

粋な心意気

テーマ:ブログ
桃の節句…ひな祭りを迎え、春になるかと思えば、昨日は猛烈な吹雪。この冬は例年に増しての降雪量と相まって厳しい冬となりました。先日の吹雪の時には、道で立ち往生している数台の車を近隣の人たちが総出で救助していた場所に行き会いました。付近を通りがかった車の運転手や私も加わって、立ち往生している車を掘り起こし、押し、救出していきます。「一端停めてお礼を」と思ったであろう車を「停まるな、また動けなくなる。行け、行け」押し出し、「よし次だ」と次に向かう人々の姿には「お礼を言われるためにやってるんじゃない、助けなければいけないから助けてるんだ」という姿勢が滲み出ていました。

最近「道徳心の欠如」なる言葉を耳にするようになりました。そして人々の信仰心が失われた事にその理由を見いだそうとする人たちもいます。その結果、信仰が必要だと訴える案配になるようですが、信仰とか道徳心は、まやかしだとか、想像上の産物だなどと言われますし、一昨年多用された「安全神話」などの例は、「根拠のない」とか「無批判の」といった意味で使われています。更に信仰心などはあざ笑いの種にもされることはしばしばです。そんな扱いのものをどのように信じさせようというのでしょう。また、たとえ便宜的に絶対者を想起させても、そこでは方便しか生まれないでしょう。そこが、近現代の過ちでもあります。

「情けは人のためならず」の誤用は有名な話です。「人に情けを掛ければ、巡り巡って自分のためになるから、情けは出来るだけ掛けてやりなさい」が本来の意味ですが、「情けは相手のためにならないから掛けてはいけない」という風に理解している人が急速に増えているとか聞いたことがあります。これだって「信仰」と言うことができます。自分がどうするかを決める基準が信仰だからです。「自分のためになる」と信じるのか、「相手のためにならない」と信じるのかの違いからこういう誤用が生まれてきます。

では、日本人には信仰がなかったのかと言えば、そんな事はありません。信仰とは大きく捉えれば、世界観です。「どういう世界観の中で生きようとしているのか」が信仰と呼ばれるものの本質です。日本では、それを、周囲の人目線で考え、それを基本に道徳として確立していました。例えば「人は一代、名は末代」なんて言葉がありますが、これは「誰も見ていないと思っていても、どこかで見られているものだ」という風に信じていた人が居たことの証左です。それは隣人への信頼感とも言うべきものです。人を信頼するかどうかも、信仰の一つの形です。人を信頼し、自分が受け入れられている安心感があったからこそ、庶民がとてつもないことをさらりとやることが出来たのです。

信仰がその人を突き動かしたのではなく、その人の行動を説明する時に信仰が用いられると言うとすっきりするかも知れません。「ご先祖様に申し訳が立たぬ」、「末代まで語り種」なんて言葉もありましたっけ。日本の道徳観って、連綿と続く血族意識によって培われたものであるのかも知れません。

でも、もし、あの吹雪の中救出された人が、お礼を携えて訪ねていったとしても彼らは照れ笑いしながら「情けは人のためならずって言うしな、お互い様だ」などと言ってお礼を受け取らないでしょう。このような体験は感謝や感動する心を産み、人々の心を成長させるのです。東日本大震災からもう少しで丸二年が経過します。助けられ、支えられた記憶が心を成長させ、その心こそが信仰心というものになります。信仰とは心が成長し、成熟した状態を指すのです。そして成熟した心の状態を古来、日本では「粋」と呼びました。「粋な心意気」こそが、信仰なのです。


ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2013年03月02日(土) 10時21分33秒

生きる力

テーマ:保育所
面白い写真をフェイスブックで拾いました。それがこの写真。

ある教会の牧師室


多分、沖縄の「平和通り」界隈だろうと思います。

さて、製作者の意図なのか、それとも単なる偶然なのか判りませんが、「その通り」、「おっしゃる通り」、「君の言う通り」が「平和通り」とは反対側を指しているのは興味深い点です。でも、これは真実です。

「その通り」、「おっしゃる通り」、「君の言う通り」で纏められてしまえば、それは独裁であって、見かけは平和かも知れませんが、その結果、一人一人の「考える力」、「学ぶ力」、何よりも「他の人を助ける力」は失われてしまいます。

結果、一定の期間を過ぎれば、そこには大きな混沌が押し寄せてしまいます。中東の独裁政権が次々と市民革命で倒された「中東の春」とその後の混沌を見れば、この事は火を見るよりも明らかです。

平和を作るのは、数や力であってはならないのです。互いに権利を認め合い、その中で意見を衝突させるからこその平和なのです。

私達は謙遜さを忘れてはいけません。


ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。