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2012年11月26日(月) 13時27分53秒

窓際のトットちゃん

テーマ:保育所
子育て支援の図書コーナーに「窓際のトットちゃん」を入れました。黒柳徹子さんの自伝的な本ですが、その物語は「トットちゃん」が小学校を退学になる場面から始まります。知りたがり、好奇心旺盛のとっとちゃんは、それがあまりに強すぎて授業を乱すと、退学になったのです。

今、教育の崩壊が叫ばれていますが、それは、教育が子どもの好奇心と向き合うことを忘れたことを意味します。教育は詰め込むものではありません。そばに居て、励まし、共感し、ちょっと助けて達成する喜びが教育というものの本質である筈だと私は考えています。

子育て支援文庫で順次貸し出しを行っています。ぜひ読んでいただきたい一冊です。



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2012年11月24日(土) 17時49分00秒

そう言うことだったんですね

テーマ:ブログ
3年前の今頃、妻は入院していました。10月の末の検診で切迫早産の危険があると言われての緊急入院でした。それから出産まで一ヶ月余りの入院生活だったのですが、そうなれば、近所に親戚などいない状況の我が家…。結局、その間の生活は、三歳ちょっとの息子との父子家庭状態でした。

朝、息子を起こし、朝食を食べさせ、息子と保育所に出勤します。こういう状況で保育園での給食はとてもありがたかったです。仕事を終えると、息子を連れて妻に面会し、洗濯物を引き取って、帰り道、五所川原にできたばかりの丸亀製麺という讃岐うどんの店に寄って、釜揚げうどんセットを親子で食べて帰ると言うパターンで毎日を過ごしました。当然、店の人と顔見知りにもなりました。特に店長さんと覚しき方は息子にも声を掛けてくださったり、子供好きな方の様でした。

無事出産を終え、母子が退院して一ヶ月の間はクリスマスも重なり大忙し。やっと余裕が出来たので、じゃあ行くかと言うことで一家4人でうど店に入るなり、店長さんが妻と娘を見て

「あ、そういうことだったんですね」

と安心した様に言いました。

何の事かわからなかったのですが、あとから考えて見たら合点が行きました。

お店の方にしてみれば、「毎日来る、苦労している健気な父子家庭」に見えていたのでしょう。だからこそ気に掛け、声を掛けて下さっていたのかも知れません。その親子が突然、店に姿を見せなくなったのですから、ひょっとして、心中でもしたのかと心配してくださって居たのかも知れません。そして、だからこそ、「お久しぶり」ではなく、「あ、そういうことだったんですね」という言葉が思わず口を衝いて出てきたのだと気が付きました。

私にしてみれば、そんな心配をされているなんて夢にも思わず、ただ、安くて、うまくて、息子も気に入っていたので通っていたつもりだったのです。

そんな騒ぎの中産まれた娘ももうすぐ3歳。今も、月に一度は食べに行きます。先日、息子が入院したときはきちんと報告しました。心配され、また、一緒に喜んで…。


「喜んでいる者と共に喜び、悲んでいる者と共に泣きなさい」というイエスの言葉が聖書には伝えられていますが、ひっくり返して考えれば、「共に喜んでもらい、共に悲しんでもらいなさい」という事でもあるのだと悟りました。


人と交わると言うのは、そう言うことなのだと、改めて思った次第です。


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2012年11月21日(水) 17時41分59秒

もっと賢く

テーマ:ブログ
中国や韓国の反日デモ…。

当初言われていたのは、政権の指導力低下で、支持率を上げるために躍起になっていると、お互いに非難しあっていました。

しかし、本当にそうなのか…反日デモそのものが、どういう経緯を経て起きているのかと言うことを、結果論からしか判断しないのでは、そもそもおかしな話でしょう。

今から陰謀論を述べようとしているのではありません。

誰が得するのかを考えてみなければいけません。

例えばもし、尖閣諸島や竹島が日本に帰属したとして、国民は一体何をどれだけ得するのでしょう。もっと言えば、尖閣諸島に至っては、日本人の地主から国が買い取って国有化したとして、何がどう代わるというのでしょう。例えば、私たちが土地を持っていたとして、それは領土と違う意味を持つのでしょうか?先日の台湾の漁船が数十隻押し寄せた報道でも明らかなように、中国はこの尖閣諸島国有化を反日デモの口実としているだけの話です。

この騒ぎを大きくすることが現実的には、中国の指導部にとっては望ましいと言うことを意味するのでしょう。デモや、焼き討ちで落ちた国際的信用と引き換えにしてもそれを成し遂げたい何かがあるのでしょう。

また、日本の付き合い方にも狙いがありそうです。

論調でおかしいのは、この件で自衛隊の話が出てくることです。「自衛隊が出れば一気に解決だ」などと気炎を上げるのは気持ちが良いかもしれませんが、もし、そうするのであれば宣戦布告と見なされても文句は言えません。一気に日中戦争に突入してしまいます。

間違えないで頂きたいのは、自衛隊が軍隊であったとしてもなかったとしても平時にあっては、領海を警備の直接的な行動は出来ないことです。平時の自衛隊や軍隊には、そういう権限が与えられていないからです。

この件は、近代の国際法に基づく限り警察組織の話です。現在、そこで、日本の場合には、海上保安庁、中国の場合には海洋警察や漁業監視船なんてものが、鍔迫り合いを演じざるを得ないのです。お互い国連加盟国である近代国家である以上、戦争をすることができるのは、国もしくはそれに準じる組織が大規模に軍事力を行使し攻めてきた時です。それ以外は、実は軍隊は対応できないのです。

それは、中国もわかりきっているからこそ、ギリギリの挑発を続けているわけです。

しかし、この事によって結果、中国の領海、日本の領海での海難事故などでの救援捜索活動そのものが手薄になるということになります。結果的に考えて、この鍔迫り合いは双方の国民にとって、とても大きな負担を強いているということになります。

もし、海上自衛隊を使うとすれば、領土問題の発生している尖閣諸島や竹島近海に集中的に海上保安庁の巡視船を派遣し、その一方で自衛隊の艦船は、それらの巡視船が出払った所を海上保安庁の嘱託として警備したり、救難活動をする以外にありません。

結果、海上救難や海上治安のために組織された海上保安庁が尖閣諸島の防衛に当たり、戦うために組織されている自衛隊が海上救難活動をおこなうというあべこべの事態が起こっています。

結果、大きなダメージを受けるのは国民一人ひとりです。漁船の救難などが時折ニュースになりますが、軍艦としての装備を持つ護衛艦が巡視船の代わりを行うのはコストとしてとても割高になります。通常の任務を外れての活動になるわけですから、現場に急行するために時間も燃料もかかるでしょう。そして、それは中国にしても同様です。

尖閣諸島の国有化を目指した人たちは、こんな騒ぎにはならないとを予想していたとすれば、それはただの大馬鹿者です。むしろ、こういう騒ぎを起こしたかったと考えるべきでしょう。

この騒ぎが起こって、得した人は誰なのか、冷静に考えなくてはなりません。それは、仕掛けた人たちでしょう。何を狙って?その狙いが達成された時、仕掛けた人たちは名声と富を自動的に手に入れるようなレールが既に敷かれています。でも、そのレールは私たちをどこに導くのでしょう。

中国が民衆の不満の捌け口として、韓国は支持率上昇を目指すように、日本にしても対立の激化を望んでいる人たちはいますし、それは、彼らのメリットに繋がっていくのです。でも、その一方で、メリットを享受しない人たちは、一時の興奮などを獲得するに留まります。

ヨーロッパの古い格言に

「獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions)」

という言葉があります。

「甘い言葉には罠がある」という言葉もあります。

政治家の甘言には、庶民の大多数に対する罠が必ずあるのです。そのことを肝に銘じて賢く一票を投じていくやり方を私達は、一刻も早く見つける必要があると私は思っています。



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2012年11月20日(火) 09時27分56秒

社会福祉ってなんだろう?

テーマ:ブログ
「政府の行政刷新会議は、この生活保護について『仕分け』を行い、生活保護費の抑制を強く打ち出しました。」と報じられています。言っておきますが、生活保護とは、国民の生きる権利に対する国の保障政策です。

よく、「支給額が最低賃金を上回る『逆転現象』が問題」とか、「経済状況が反映されずに支給額が高いままだ」というような批判が飛び出しますが、ここで、一種の混乱を起させるのが、この言い方の狙いです。

憲法第二五条の【生存権、国の社会的使命】には、

1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

とあることを鑑みると、「最低賃金が生活保護」を下回ることが問題とされなければなりません。つまり「健康で文化的な最低限度の生活」を政府や国会議員がどのように考えているかと言うことの方が先に問われなければならないはずです。

仕事とは一体何でしょう?お金を稼ぐことでしょうか?

牧師という仕事をしていてつくづく思うのは、「仕事=賃金」という考え方には無理があると言うことです。実際的に、日本の制度を見ていたってそうです。

例えば、民生委員を例に考えてみます。民生委員法を見てみれば、

第十条  民生委員には、給与を支給しないものとし、その任期は、三年とする。

(中略)

第十四条  民生委員の職務は、次のとおりとする。
一  住民の生活状態を必要に応じ適切に把握しておくこと。
二  援助を必要とする者がその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように生活に関する相談に応じ、助言その他の援助を行うこと。
三  援助を必要とする者が福祉サービスを適切に利用するために必要な情報の提供その他の援助を行うこと。
四  社会福祉を目的とする事業を経営する者又は社会福祉に関する活動を行う者と密接に連携し、その事業又は活動を支援すること。
五  社会福祉法 に定める福祉に関する事務所(以下「福祉事務所」という。)その他の関係行政機関の業務に協力すること。
2  民生委員は、前項の職務を行うほか、必要に応じて、住民の福祉の増進を図るための活動を行う。

第十五条  民生委員は、その職務を遂行するに当つては、個人の人格を尊重し、その身上に関する秘密を守り、人種、信条、性別、社会的身分又は門地によつて、差別的又は優先的な取扱をすることなく、且つ、その処理は、実情に即して合理的にこれを行わなければならない。

第十六条  民生委員は、その職務上の地位を政党又は政治的目的のために利用してはならない。
2  前項の規定に違反した民生委員は、第十一条及び第十二条の規定に従い解嘱せられるものとする。


民生委員に規程されるどの働き一つとっても高い専門性が求められる内容ですが、これを「無給で責任を持って行え」という訳です。しかも、この様な事例は民生委員だけではありません。社会福祉の政策の中には相当ボランティアに頼っている部分が少なくありません。それどころか、市町村において考えても、そういうことが当たり前のように存在しているから、地域の活動は支えられているのです。この様に日本の制度では、現実的に「仕事=賃金発生」という概念は持っていないことの証左と考えます。

つまり、日本国憲法から考えれば、

1)働こうが働くことができなかろうが「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

2)仕事とは経済活動ではなく、「憲法に基づく働き」を行うこと

3)「所得を得ることは経済活動」であるということ

と考えることができます。

じゃあ、経済活動とは何かと言えば、「国を富ませる」ことに他なりません。

「お金はよく私たちの社会生活における血液に例えられます。ある時は企業から個人へ、ある時は個人から企業へ、またある時は個人・企業から国・地方公共団体へと、ちょうど人間の体の中を血液が循環するように流れ動いて、経済社会に活力を与えているのです。こうしたお金の流れのことをマネー・フロー(資金循環)といいます。」(一般社団法人全国銀行協会ホームページからの引用)

資金循環が滞ると所得に余力がある人たちが減りますからボランティアの活動は急速に減速していきます。そして貧困層が増え、税収が落ち込みます。その結果、更に景気は縮小し、資金は循環せず、経済そのものが疲弊します。結果的に、少子高齢化社会は更に国の力を奪っていきます。流れは見えているのにそれを止められないのは、政治家がそこから国民の目を逸らしているからに他なりません。危機感は煽ればいいというものではないのです。

「仕事=賃金」という考え方は、社会福祉を抑圧し、その結果、全く関係のないと思われる市場経済さえも蝕む事態になってしまうのです。

高度成長の時代、「経済の発展と共に福祉を充実させてきた」と捉える向きがありますが、高福祉を目指す、民主主義の人権憲法をその土台として、日本は福祉に見合っただけの経済成長を遂げてきたというのが真相だと私は思っています。その根幹の福祉を蔑ろにして来たバブル期の付けを私たちは20年以上かけて払っているのだと思います。

すべての福祉は営利の概念で動くことを余儀なくされている現代、民生委員の担い手が激減するのは全く不思議ではないのです。


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2012年11月14日(水) 18時00分57秒

愚痴

テーマ:政治
今日の党首討論、ちょっとだけ見ましたが、なんか、安倍さんの方が野田さんに押し捲られていた印象を受けましたが実際どうだったのでしょう。

この数ヶ月、国会は解散を何時するかだけで揉めていた感じを受けます。結局何かといえば、相手にどうやって次の選挙で勝つか、政権を握るか、それだけに終始しているような感じを受けてきました。

ウィーン会議を揶揄した言葉に「会議は踊る、されど進まず」というのがありましたが、この数ヶ月の政界は正にその一言に尽きるかもしれません。


ウィーン会議は、フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された。1792年より以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々として進捗せず、「会議は踊る、されど進まず」と評された。(wikipedhiaフリー百科事典より)


さて、このウィーン会議ですが、最後どうなったでしょうか。ご存知の方も多いかと思いますが、幽閉されていたエルバ島からのナポレオンの脱出によって、共通の危機感が芽生え、あっさり妥協、成立を迎えます。

世界的な不景気への懸念、東日本大震災への対応、領土問題、子ども・子育て支援法などなど、どれをとっても、日本の将来に関わる大切な問題であるはずなのですが、そこには危機意識の共有などはほとんど見られず、すべてが「解散するかしないか」に振り回されてきました。

その割りに政治家の皆さんは、「日本の危機だ」と連呼して…。危機だと思うのなら、呉越同舟、大同団結をして望むべき事柄が沢山あったと私は思っていますがどうなんでしょう。

「船頭多くして船山に登る」なんて言葉もあります。

念のため意味を書いておけば、「一そうの船に何人も船頭がいたら、船は山に登ってしまうようなおかしな方向に進んでしまうことから、指図する人ばかりが増えて物事が見当違いの方向に進んだり、うまく運ばないこと」という意味です。

更に、念のために言っておきます。民主主義は国会議員のためにあるのではありません。「国政に関わる人々のその意思によって、国民をないがしろにしてはいけない」ということです。

国会議員は、政治家は戦国大名ではありません。

国会議員とは、国をよくするために協力して知恵を出し合うために選出されているのです。

国難を連呼するのも結構ですが、だとすれば相手を非難するのではなく、国難を乗り切るために協力し知恵を出し合う姿を国民に見せる場が国会であるべきです。


専制君主制で考えれば、国は君主がつくり育てるものであり、政治家はその君主を補佐する者です。

民主制で考えれば、国は国民がつくり育てるものであり、政治家はその国民を補佐する者です。

象徴天皇制の日本国憲法で考えれば、国は国民と天皇が手を取り合ってつくり育てるものであり、政治家はそれを補佐する者です。

政治家は国取り大名ではないのですし、思想家でもありません。

現実主義の中で、決して国民を煽ることなく粛々とその責務を遂行していただきたいのです。


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2012年11月13日(火) 09時18分26秒

悲鳴

テーマ:子供たち
昨日、知り合いが経営している食堂に、家族で夕飯を食べに行きました。歴史のある食堂で、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいています。その関係で、息子も娘も食べ終わると、いそいそと上がりこんでしまいます。

親も、それをいいことに話し込んでいましたら、奥からか細い声で、

「誰か~助けてください~」

息子です。

ひょっとして、ボットントイレ(木造にはまだ、結構あるんです…)にはまったかと、最悪のケースを思い浮かべながら声のするほうに向かってみると…

なんと、ネズミ捕りシートに両足がくっつき、途方に暮れている息子を発見しました。

orz…何やってんだか…

「あらららら、どうすべ…、とにかく引っ剥がすべし」と店主。


ものすごい粘着力です。これじゃあねずみも逃げられまい…。

不幸中の幸い、ほとんどはズボンと靴下がくっついています。とりあえず、ズボンと靴下を脱がせて引っ剥がしましたが、止むを得ない…ズボンと靴下はゴミ箱へ。

この粘着、伸びて糸を引くのです。私のジーンズにもその糸がつき、べたつきます。

で、手足についた粘着剤は、洗ってみたけど取れるものでもなく…。後は、家でやることにし、粘着在がついたところには、ティッシュペーパーを貼り付けて、被害が拡大するのを防ぐことにしました。

…このあたりになって、余裕が出てきました。

みんな、大笑い。

「写真とっておけばよかったなあ」と店主。

で、パンツ姿の記念写真と相成ったわけですが、息子の名誉のために、それは伏せておきましょう。

さあ、家に帰ってきたものの、どうやってとろう…と考えて見つけたのが、パーツクリーナー。


息子を風呂場に連れ込み試してみます。


おお!!落ちる落ちる!!

息子も、反省仕切りでした。


そう言えば、私が子供の頃も、牛舎で転んで牛糞まみれになったりプールで、溺れかけたりしたことを思い出しました。

後で大笑いされましたが、その時周りに居た大人はみんな必死だったなって思い出した次第…。

ありがたい思い出がまた一つ、息子を通して掘り起こされました。


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2012年11月10日(土) 20時51分01秒

名前と名字

テーマ:ブログ
給食前の謎なぞタイム、今日は名前当てでした。

私がひょいっと顔を出したら早速、「園長先生の名前は?」とネタにされました。

年長児たちがこそこそと、「ああ、あれだよね」と自信満々な子供たち。

「じゃあ、みんな一緒に、せ~の~で~」


「園長!!」





(^_^;)


まあ、そんなもんだよなぁ


ところで、イエス・キリストの名前は何でしょう?

先日職員相手にこんな質問をしたら、悩んでました。

「イエス」が正解です。

ちょっと意地悪く、「じゃあ、キリストは?」と聞きます。

「ちなみに苗字ではありませんよ。」と付け加えると、



え?と意外そうな顔、そして




………「じゃあ、屋号?」


………orz


確かに、木造教会の場合、町の人から「キリスト」なんて屋号のように呼ばれていますが…。


「キリスト」は救い主という意味です。

当時、一般庶民に苗字はなく、出身地のが苗字として使われていたそうです。で、イエスは「ナザレ村出身のイエス」という意味で、「ナザレのイエス」と呼ばれていました。

保育所は、もう、来月に行われるクリスマスページェントでヒートアップしています。わざわざ、「園長先生!聞いて!!」と覚えた台詞をわざわざ、聞かせにきたり…。クリスマスの時の服装で保育園に来たいとゴンボ掘って(だだをこねて)みたりする子もいたり…。

冬の入り口…みんなわくわくする季節です。


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2012年11月07日(水) 19時04分03秒

色々

テーマ:保育
私が身を置いている保育業界では、広汎性発達障害の話のやり取りの中で、よく、「グレーゾーン」という言い方が出てきます。どっちが黒か、どっちが白かは置いておいて、でも、人間のスキルというのは一つの尺度では測れないというのは、考えてみれば当たり前です。

で、スペクトラムなんて言葉が使われるようになったのでしょうけれども、

ある教会の牧師室-スペクトラムスペクトラム


この色のことを調べてみると、とても奥深いことなんだと気が付きました。

よく、三原色なんて言葉を耳にしていましたが、

私達が知っている色見本は、

ある教会の牧師室-色見本


こんな感じでしょうか?

そう言えば、三原色なんてよく耳にしたものですが、それにも減色法と加色法があるのだそうで…






更に、ネットを巡回していたら、星形色見本なんて言うのも飛び出してきました。



どんな色でも外側に行けば白に近づき、中心に行けば黒に近づく配置ですね。もう何が何だかよく判りません。(^^;

アメリカの画家で、美術教育者であるアルバート・マンセル (1858-1918) は色の名前の付け方が曖昧で誤解を招きやすいことから、合理的に表現したいと考え、色を定量的に表す体系である表色系を編み出したそうです。

マンセルは、色彩を色の三属性(色相、明度、彩度)によって表現する方法を編み出しました。それがマンセル・カラー・システム(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0)と呼ばれるものです。このシステムが確立されたことにより、色の指示が可能になり、現物を見なくても同色を作ることができるようになったわけです。しかし、三属性で表現する段になり、平面では、表現できなくなってしまいましたので、色相を方向へ、縦方向に明度、水平方向に彩度を立体的に表現した色見本が出来上がりました。その形から、マンセル・ツリーと呼ぶようになりました。

サカタインクスエンジニアリング株式会社のホームページの写真を借用。

この場合は、どんな色でも上に向かうほど白に近づき、下に向かうと黒に近づきます。つまり、グレーゾーンというのは、このマンセルツリーに当てはめて考えれば明度…幹の部分だと言うことができます。つまり、そこに色相が加わり、更にその彩度が加わり、その人らしさが示されると考えてみたらどうだろうと思うようになりました。

こうなってくると、人の特性を黒か白かだけで、決めることってナンセンスだなあと思った次第です。ここにいろいろな色が混じってこその色です。人を表現するのだってそういうことでしょう。その人の色をどう際立たせるかは、周囲との環境の中で決まってくるのです。

目立つか目立たないかしか判定しないのであれば、背景そのものに大きく支配されてしまうでしょう。この色見本の中で考えてれば、グレーゾーンなどという表現そのものが、現状には当てはまらない変な表現である事がわかってきます。

「みんなちがって、みんないい。」と書いたのは金子みすゞ。

どんな色だって、必要ないろである事は確かです。後は、その色をどう際立たせるか、生かす背景色をどのように見つけるかって言うことなんだと、改めて思った次第です。


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2012年11月05日(月) 11時35分43秒

「子どもと子育てのためのソーシャルワーク」の必要性

テーマ:ブログ
「窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子著)の冒頭、主人公の「トットちゃん」が最初に入学した小学校で「教室の机のふたが珍しくて授業中何度もパタパタ開け閉めしたり、パタパタやってないと思ったら窓ぎわでチンドン屋さんを待っていたり、日本の国旗を画用紙に描く授業では軍艦旗に黄色い房をクレヨンで描いて机に跡が残ってしまったり、本人は好奇心旺盛なのだが先生からは迷惑がられてしまい、とうとう小学1年にして退学させられる」と言う記載があります。

著者の黒柳徹子氏は近年「小さいときから考えてきたこと」(新潮社、2004年)の中で、台本を読んでも台詞が覚えられないなど、具体的なエピソードを交えて、自身がLDの計算障害・読書障害である可能性に言及しています。また、先日、映画監督のスティーブン・スピルバーグや俳優のトム・クルーズが学習障害の一種であるディスレクシアであることを公表しています。また、残されたものからの推測に過ぎませんが、世界の歴史に名を残した人として、アルベルト・アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、トーマス・エジソン、ウィンストン・チャーチルや、ジョージ・ワシントン、ジョン・F・ケネディなども、専門的見地から広汎性発達障害ではなかったかと言われています。

教えられた通りにできない、教えられた事を覚えられないと、問題視されていた人たちがほとんどです。特徴としては、常識に従いきれない人たちということができるでしょう。でも、常識を打ち破るイノベーションはその人たちから生まれてきた事は確かです。

そう考えて見れば、広汎性発達障害の児童に対するソーシャルワークは、常識人には出来ない変革を行う事のできる人材を育成する事にも通じて行きます。つまり、ソーシャルワークを実現する事は、将来的な人材育成の点からもとても大切なものであると言うことができます。

通常、保育所が行う保育は、0歳から就学前までを担当します。この期間の成長はめざましいものがあります。保育所では園児一人ひとりの発達を見極めて、それに対応し、またそれらの子に対する様々な支援や指導をする技術を保育に内包しています。また、児童福祉法第39条を論拠に考えれば、極論として「満18歳に達するまでの者を児童といい、必要と判断された場合は、保育所で保育を行うことができる」と言うことになるわけですが、現代において、「保育に欠ける児童」の実態を調べてみれば小学生のみならず、中学までは「保育」を補填する必要を認められるケースが多数存在します。その中で、今後数年以内に、保育所はその知識、技術を用いてソーシャルワーク活動を展開していかなければならなくなると思われます。

日本においては、小学校入学以降の児童福祉の機能が決定的に不足しています。目に見える身体的な障害のみならず、広汎性発達障害や学習障害などの問題の周知と対応の具体化は急務ですし、また、その一方で子どもの育ちを保障する環境の構築などは、未だに未整備の部分が多いのが実情です。様々なケースに対応した対外的なソーシャルワーク活動と、実際の経験や蓄積された技術を総動員して、適切な対応を行っていく必要を痛切に感じています。



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2012年11月04日(日) 07時50分06秒

取扱説明書を書いてみよう

テーマ:教育
中高生キャンプなどで、私が自己紹介の時間を担当する時に良くやるのが、「自分の取扱説明書」を書こう!ってやつです。

私達が製品を使う時には製造者の意図を汲み取って使う訳です。ガソリン車に軽油は入れないでしょうし、携帯電話をわざわざ水に漬けようとは思わないでしょう。しかし、その一方で、人間がお互いを見る時には、「人間という万能な画一性を持っている」と勝手に信じてしまうことが少なくありません。ですから、初対面同士であろうと、昔からの知り合いであろうと、こういうものを用意するのは、とても大切だと思っているのです。

私の場合、こんな感じです。

品名:千葉敦志 製造年月日:1970年9月5日 産地:宮城県

製品の特徴
1. 葬式、結婚式や教会などの運営をさせると結構役に立ちます。
2.喋ることが好きです。特に他の人が知らないような情報を仕入れると黙っていられなくなりますので、情報の与えすぎにはご注意下さい。
3.ひねくれている性格のためか少数派であることに誇りを持っています。適当に煽てると結構いろんな局面で役に立つ筈です。
4. 相手を恐れず意見を言うため、議論の時には注意が必要です。状況によっては誤作動を起こす場合があります。その場合は使用を速やかに停止し、再起動を試みて下さい。
5.事務仕事(経理、記録)に用いる仕様にはなっていません。正常な動作を保証できません。無理に引き受けさせればお互いに後悔することになります。
6.体質によっては、本製品の使用によってまれに、動悸や発汗などのアレルギー症状を起こす場合があります。その場合は使用を即座に中止して下さい。

なんて感じでやります。こんなのを見せてから参加者にやって貰うのですが、と、「機嫌が悪くなった時」の扱い方とか、自分の悪いところを克服してもらうための方法などが、おもしろおかしく書いてくれます。

そんな中で、一つ気が付くのは「私は褒められて伸びるタイプです」と言う人が必ず何人か居ることです。最初の内はあまり気にしなかったのですが、その逆は一人も居ないことにある時気が付きました。「貶されて(「けなされて」とはこういう漢字だったんですねえ、知らなかった)伸びるタイプ」なんて、居る訳はないんだということ…。

振り返って考えてみると「貶す」というのは、「結局は相手より自分が出来る事を誇りたい」という事から来るのでしょうね。それから、もう一つは悪いところを克服して貰うには、一発で事が足りると貶す側が信じているのは問題だなあと思う訳です。

私にも、得意なことがある一方で、壊滅的に出来ない事があります。それを日常生活で知って貰うのはとても大変です。「みんなやっているのだからあなたにも出来るはずだ」と言われてさせられることは、誰だって苦痛でしょう。結果、本人に仕事を任せた人たちに大きな不利益をもたらすとすれば、生産的なものとは言えない訳です。

だったら、長所を認め、出来る事を褒めて伸ばし、そしてお互いのために用いて言う方がよっぽど効率的です。

「お買い上げいただきありがとうございます。この取扱説明書をよくお読みになって正しい方法でご使用頂き、本製品を末永くご愛用下さい。」

こんな文章で始まる取扱説明書。

「こんな事もできないで!!」と製品に対して怒る人は居ないでしょう。むしろ、愛用品と呼べるものは、手間がかかったり独創的だったりするものが多いのではないでしょうか?

その人を知る、私を知って貰う…そういう中で、私達はなお深い関係を結ぶことができるでしょうし、豊かな世界を形作っていけると思うのです。



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