今更かよ、と思わないでもないが読んでみた。想定読者の中心は大学院受験を考える学部三年からM1ぐらいかな。かなり易しい日本語で書かれているのは筆者が日本語、日本語教育学の専門家で中国人留学生を多く教えてきたから。石黒先生、五十歳前半なのに、なんともう20人もの博士号取得者が自分の研究室から輩出したらしい。つまり、研究者を育てるという点においては、とんでもない実績を持っている。

それも平均4年とかで、単位取得退学とかなしで全員博士号とって修了。もちろん分野によって違うんだろうが、すごいな。(3年在籍、3年留年、3年休学、の合計9年も博士学生を滞留させるなんてブラックな研究室だから近づくな! って言われましても・・・。六年以内で書ける人なんて1割くらいちゃうかな?って分野もあるよね)

 

 M1とかの学生に読んでほしいなと思うのは、第五章ゼミ発表のあたり。初めて発表すると、先生や先輩にボコボコにされて、落ち込むと思うんだけど、それは学生を馬鹿にしたいからじゃなくて、学問的訓練として必須だから。この辺は、ゼミを持ち始めた教師に向けても書かれている。どうやって安心して発表できる雰囲気を作りつつ、先輩が後輩を育てていくゼミにしていくか。難しいよね。コメントする側の注意点としてはレベルの低い「発表を潰す」ことは時に必要だが(石黒先生は修士課程で必ず一回は潰しておく、そうしないと修論はできない)、「発表者を潰す」ことは絶対にあってはならないと。「あなたは研究に向いていない」ということは教育倫理違反。

 あと重要だなと思ったことは、先輩たちからいろいろコメントをもらった時、それを全部反映させようとしたら、逆に研究の価値が損なわれてしまう危険性。これは指導教員と個別に相談して、「いや、あのコメントは誤解に基づくものだし、あまり関係ないから気にしなくていいよ。むしろ、・・・に注力しないとね。」と方向修正すべきだと。M1とかだと、不適切なコメントも真に受けてしまうから。

 

 あと、初めて知ったのは論文の査読の際、「論文修正報告書」を添付して送るのがいいと。そうなんや、みんなしてるんかなうちの分野では、今度聞いてみよう。

 あと、若い査読者の査読結果には「文面が長い、指摘が細かい、評価が厳しいという三つの傾向があり、それが結果として投稿者を傷つけてしまう」には苦笑してしまった。いや全くその通り、「簡潔でゆるめの査読を心がけてちょうどよい」とのこと。「相手の研究レベルを想像しながら一方的に書く」とどうしても筆が乗ってしまうけど、それは対面でのゼミ発表や学会発表とは違うんですよ、っと。

 あと、人文系で査読が厳しすぎて、論文が数本しか載らないペラペラの学会誌が増えていることも批判していて、評価は読者に委ねるべきだと。そのかわりに論文賞(年間一人とかではなく、多くの人に)を与えることで差別化を図るべきだと。なるほどね、

 だから本書は文系研究者になる方法を教える以上に、文系研究者を育てる方法をみんなで考えよう、というのもあるんだろうね。かつてのように大先生が研究の総決算として博士論文!だった時代はとっくに終わったんだけど、そういう分野ではまだ3〜4年で博士論文なんて書けるわけないという雰囲気が強いし、その強烈な縛りで持って博論に最低限のクオリティーを維持してきたのだと思う。でも石黒先生としては、締め切りがないからみんな博論に9年もかけちゃうんだ、修論を博論の一章にして、学会誌一本、紀要に二本論文を出して、それをまとめて序論と結論つければもうそれでいいじゃん。というスタンスなのだ。そしてそれは確かに文科省が目指している方向でもあるんだろう。思うところがないではないけど。