姉が脳梗塞を患って2ヶ月半やっと私は自宅に帰ることができました。


とにかく実家にいると、どんどんお金が無くなるし、義兄の全てに腹立ったし、おまけに姉まで「やっと帰ってきたんだから」と昼は携帯のゲーム、夜は撮り溜めてあった韓国ドラマを明け方まで観ていて、せっかく頑張ったリハビリが無駄になりそうな気がした。


私がここに居たら姉ちゃんダメになる!…それにとにかく帰りたかった。


実家といえども私が実家を出て26年かな

姉の代に代わっていたし、親がいても義兄(他人)がいるとやっぱり落ち着かない。

実家というより姉の家って感覚になってた。


ずっと休ませてもらっていたパートにも行きたくてたまらなかった。

不思議なもので嫌じゃなかったけど、楽しくてたまらなかった訳でもないパートに行きたいのだ。

仕事した〜い!!ってなってた。


自宅に帰ると実家へはパッタリ行かなくなった。


それまで何年間だろう…7〜8年くらいかなぁ

父の認知症が悪化してきた頃から私は姉の負担を軽減したくて週1日だけど毎週通って、介護や作り置きのおかずを作ったり、母の相手などしていた。



それが月イチペースになったもんだから姉から「アンタじいちゃん(父)が居なくなったら全然来ない!!」と、ちょいちょい文句を言われた。


その度にじゃあ来週行くとか、コロナが蔓延してくるとそれを言い訳にしてやり過ごした。


行けばまた、お金貸してって言われる

姉はいつも「貸してくれない?」って言う。

ほぼほぼ返ってはこない。つまり貸してはちょうだいの意味。私は断らないって決めたから絶対に断らない‼︎   だけどもう勘弁してって気持ちだった。怖くなってた。


そして何よりも義兄に会うの嫌だったし。


何年も週1で通った実家から解放された気分だったし、週1日といえども疲れてた。


それに母は3度の食事を用意してあげれば特別な介護は必要なかったし。


ただせっかく毎日少しずつ上手になってきた母の歩行を止めないで欲しかったな


姉と母、お互いのリハビリを兼ねて少しでも散歩に連れて行って欲しかった…でも行かないだろうなぁ

だって1人歩行が危うい母に「歩いてこいって言ったって行きゃしない」ってずっと言ってたもんね。

「1人じゃ無理だよ〜」ってやんわり連れて行ってと促しても無理だって。


姉は膝の軟骨がすり減って膝が痛い人。

もう人口関節しか打つ手がないほど悪化してしたので強くは言えない…どうしようもなかった