啓蒙主義宣言

大阪在住の大学生、上総介が日々思ったことを、気が向いたら一人気ままに書いていく、題名のわりに大した事のないブログ。


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 計画停電の経過が予測通り過ぎて、拍子抜けというか、落胆というか、しているわけですが、まぁ、なるべくしてなった、と言った所でしょう。今は二十四節気で言うところの春分だからまだ寒いから何とかなっていますが、これが春になり暖かな気候となったらコールドチェーンはどうなるのでしょうか。特に夏場は想像するだけでも恐ろしいものがあります。
 企業は続々と本社機能を創業地にリターンしたり、西日本に移転したりしています。が、本社機能は人を動かせば良いのですが、工場やコンビナートは移転するわけにもいきません。工場は今後も先の見えない計画停電に脅えつつ操業しなければなりません。よって産業界は企業活動の維持のため計画停電の工場等の除外を求めていくでしょう。その時東電ないし政府は難しい選択を迫られるでしょう。
 つまり企業を取るか、市民を取るかの選択を、です。企業の製造ラインを維持させるために市民生活を犠牲にするのか、市民生活を維持するために企業の製造ラインを止めるのか、の選択です。この選択で悩ましいのは、あくまで企業といっても大企業の製造ラインに限るわけであり、地場産業や中小企業は市民生活が犠牲になる場合はその中小企業も犠牲になります。よってこの選択を取ると大企業偏重だの、癒着だなんだのと不満が噴出するでしょうし、かと言って大企業の製造ラインを犠牲にすると産業、特に大企業の国外流出を招きかねません。といったなかなかに難しい選択を迫られるでしょうね。
 恐らくその時、政府は企業を犠牲に市民生活を維持する選択をするでしょうが、その結果は恐らく先も述べたように京浜工業地帯の衰退につながるでしょう。
 市民生活のほうでも、何時も停電するという重圧の中ではかなりのストレスがかかっていると思われます。おまけに放射能だのなんだのと、何時下らない事からの暴行事件、ひいてはそれが発展した暴動が始まっても不思議ではないと考えられます。そして重要建築(政府機関や浄水所、下水所等)がある地区は停電することはないと予想されますが、恐らく市民はその理由をその辺に政府高官か企業重役が住んでいるからだと考えるのではないでしょうか。(しっかりと理由を説明すれば分かると思うのですが、世の中その手のスキャンダラスな話は好まれるものなのです。)するとさらにストレスをためていくのではないでしょうか。その結果さらに殺伐とした雰囲気となるでしょうし、それがどのような事件を引き起こすかは予測のしようがありません。
 とまぁ、何かいろいろともめそうな予感だが、要は電力不足さえ解決すればいいわけです。そのための解決方法は二つあります。ひとつは電力供給を増やす方法、そしてもうひとつは電力消費量を減らす方法です。前者がベストですが、直ぐにはできません。よって後者を取るしかなく計画停電を実施しているわけですが、日本人の日本人たる習性を利用すれば計画停電するまでもなく節電は実現できると思うのですが、なぜ政府はその方策を採らないのか私は謎でたまりません。十人組だの隣組というと前時代的で抵抗はあるかもしれませんが、住民による相互の監視というものほど、節電といった物に効果を上げるものはないでしょう。このまま放置して計画停電は行う、企業の生産活動も阻害するという方がよっぽど不味いと思うのですが、果たして政府に一時の不人気を受けてでも実現しようとする気概があるかどうか。今後の動きに期待です。
  【パニックの時ほど、混乱の時こそ、冷静に 】\_(`・ω・´) ハイ、ココネ、ココ!
 落ち着いて行動すれば最低の被害ですむはずです。パニックにならず冷静な行動を心がけてください。
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 東京方面で計画停電が慌しく始まろうとして最初から躓いているが、間違いなく大変なことになるでしょう。
 まず考えられるのが冷凍食品や生鮮食品といった電気がないと保存できなくなる品々がどうなるのか、と言うことです。停電によって生じるであろう輸送できないだの、保存できないだの、腐らせただの、といったその手の損害にどう対処するのでしょうね。
 同時に工場等の電力不足は製造ラインの停止や減産につながり、製造業の方もかなりの損害が出るのではないでしょうか。
 ついで考えられるのが、節電や停電によって企業の本社機能が低下し、結果として地方にまでその悪影響がくる可能性があります。もっとも企業も東京から創業地などに本社機能を一時的にでも移転させたり、地方側も企業側に移転を働きかけていくでしょうから、地方分権、東京一極集中の解消につながり、案外今後のプラスに転じる可能性もありますが。
 そして一番厄介なのが人々の不公平感をどうするか、でしょう。頭では政府中枢や重要施設があるから停電はしないんだと理解できても、いざ目の前で煌々と明かりがともっていたり、普段と変わらないように暮らしている人がいる時に、それを見た実生活で相当の不便を強いられている停電地域の人がどう思うか、です。さらには発電所近辺の人にとっても発電所の公害に耐えている地域が停電し、一切公害の被害を受けていない地域が停電しないとなると、いつぞやの東京のゴミ騒動のようにその手の争議が起きはしないでしょうか。この停電が一時的なものならまだしも、おそらく被災した原発はもはや使い物にならないでしょう。残っている発電所もフル操業を何時までも続けることは出来ないと思いますし、そうなると相当期間の停電、ないし節電になると思われます。とすればこの手の不公平感も時がたつにつれ増大することは自明の理である以上、解決を先延ばしにすればするほど深刻なものとなるでしょう。
 また、オール電化の家などは停電に対処するためにガスコンロやありえないとは思いますが、昔ながらの焚き火(バーベキューなど)をするかもしれません。そうなるとガスの需要が急増するでしょうから、ガスのほうも案外需要が逼迫するかもしれません。そしてIHヒーターや電子ケトルに慣れている人間が慣れないガスコンロを使うことに伴う火災や怪我も発生するでしょうし、焚き火等による火災も発生するでしょう。そして停電により着火システムが動かない給湯器などの場合、ガスによる事故も予見されます。早めに需要が増えるであろうガスのさらなる輸入の手配や、ガスを使う際の注意事項の徹底、焚き火の禁止などを打ち出さないと不味い気がします。そして言うまでもなく、明かりを求めて蝋燭などが使われるでしょうから、それに伴う火災防止策も一刻も早く定めるべきでしょう。
 などなど考えれば考えるだけ数多くの事態が予測されます。いまさらながら東京に多くの重要機能が集中していること、発電所が一箇所に固まりすぎていること、東日本と西日本の電力の周波数が違うことを放置し続けたことなどのツケが一気にきてしまった感がありますね。
  【一刻も早く「計画的」な停電計画を 】\_(`・ω・´) ハイ、ココネ、ココ!
 一刻も早く新しい発電所が建設されるといいのですが…。
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 今回の仙台沖の地震、死者に対しては哀悼の意を表する他に語るべき言葉を持てませんね。ただただ冥福を祈るだけです。しかし、何時までも死者に拘ってもいられない状況なのも事実。話では仙台市の岸壁に多くの遺体が漂着しているとのこと、まずは遺体を元とする疫病などが発生しないよう一刻も早くねんごろに葬る体制を整え、津波で浸水してしまった場所の消毒、などの防疫対策をとらなければならないでしょう。最悪の場合、集団火葬などもする必要があるのではないでしょうか。不衛生な環境による疫病といった、まずは簡単に予測できる三次被害の防止に、そして生存者のライフラインの維持は言うまでも無い、阪神大震災の教訓を元に円滑な支援物資の輸送や、海外の救援隊の受け入れ、被災者のメンタルケアや治安の維持といった、基本的な震災の対応と同様に国は全力を挙げて欲しいものです。最悪強権的にでも行うべきだと思うのですが、今のリーダーシップ無き内閣にできるかどうか分かりません。しかし、ひたすら「立場が人を作る」という言葉を信じて期待する限りです。
 そして2キロにわたって押し寄せた津波によって、塩につかってしまい使い物にならなくなってしまった畑を所持する農家への補償、壊滅的被害を受けた町のインフラの復興や被災者用の復興基金の創設、津波で崩壊した港湾設備の復旧など震災の復興にかかる費用をどこから捻出するか、という国家にとって重要なことも早い段階から発表し、被災者を安心させることが必要であるでしょう。子供手当てだの高校無償化だのとゆとりのあることをやる場合では無いはずです。少しでも変なところに予算を割くゆとりがあるのであれば、復興費用にさくべきです。阪神大震災後のようなケチな復興費用だと震災後の阪神圏の低迷、とくに神戸港や大阪港の貨物取扱量の激減とそれに伴う経済の低迷を見れば、いかなる結果を巻き起こすか、議論の余地も無いはずです。歴史を紐解くと復興の動きはTooFastにTooBigに、過剰ともいえる支援をしてこそ円滑な復旧ができるのですから。
 その後、しかるべき対応の後は悲しむのではなく、ここまでの津波の被害を出してしまったのは何故か、津波の予測を出したとはいえ、気象庁は堤防を越えて内陸部まで津波が来るという危険性を予測できたのか、予測できていたのならしっかりとそれを発表したのか、それが周知徹底されたのか、等等反省点は多くあるでしょう。その反省点をしっかりと公表できるか、そして後世に生かすことができるかが、その後の話題の中心であるべきです。そしてその後に死者を本格的に、そしてしめやかに弔うべきだ、と私は今回の地震を見てそう思うのです。もっとも、成功した時の功労者は数多いが、失敗の時の責任者はごくわずかだ、という言葉通り仮に何らかの責任があったとしてもその責任を取る人間は実際は何百人といようが、数人でしょうが…。
【一刻も早い被災地の復旧を望みます】 \_(`・ω・´) ハイ、ココネ、ココ!
 それにしても、千葉の方では石油コンビナートが炎上し、福島の方では放射能漏れ(の可能性)とは、東京付近に住む人はしばらく傘が手放せなくなる日々が続きそうですね。
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 お久しぶりです。しばらく放置していたにもかかわらず、多くの人がこのブログをのぞいてくださっていたことに、感激しております。昔のように、とはいきませんがこれからは時々更新して行こうと思うので、これからも当ブログをよろしくお願いします。
 さて、最近の日本を見ていると、もうこのままだと日本は緩やかな衰退どころか、急激な衰退による大損害を出してしまうのではないかと思うようになりました。
 ここでまずは日本の特異性について述べたいと思います。
 もともと極東にあるちっぽけな島国だった国が、弱兵の経済大国という世界史上でも稀有な成長を遂げました。他に弱兵の経済大国と言えば南宋が挙げられるでしょうが、その国も常に北に脅威を抱えており、予算の大半を国防に回していました。一方の日本の国防費はGNPの1パーセント。そのことから言っても日本の弱兵ぶりは凄まじいものがあります。そして経済大国という面でも敗戦国とはいえ先進国であり、列強の一員であった国が10%以上の発展を十年以上も続けられたと言う例は他にないのではないのではないでしょうか。
 日本の発展はまさに奇跡としか言い様がなく、奇跡の種となった冷戦構造や物財の多寡にのみ幸福を感じると言うホモエコノミクスの習性はもはや見る影もありません。奇跡の種が終わってしまった日本、だからこそ奇跡の種に頼らない、新しい国家のカタチを形成すべきだったのです。世界中の国の民族と比べても余りに高いガバナビリティ、教育、医療制度、そして企業。そういうものが健在のうちにしっかりとした第3の道へと移行し、中産階級の更なる育成をすべきだったのです。そうしていれば、強力な国内市場が形成されEUともアメリカとも違う新しい経済圏が形成でき、今のように円高に四苦八苦することもなかったはずなのですが…。
 しかし、もはや時間切れでしょう。日本は改革するチャンスを逸してしまった、と言っていいでしょう。高いガバナビリティも戦後教育の厚い薫陶のおかげか、徐々に薄れてきています、教育も家庭教育の質、量の低下により、勉強はできても学問はできない人間が増えてきました。保険制度も、保険料を払えず保険に加入できない人間が増え、国民皆保険という状態では無くなってなってきています。企業も海外脱出が徐々に進み、またリストラや派遣ということで、日本企業の強みであった企業への忠誠心というものが薄れてきています。(人間、利益が薄ければ忠誠心などもてないのが現実でして、利益の無いものに忠誠心を持たせるのは信仰か恐怖しかありませんが、その何れも企業には不可能でしょう。どこかのチェーン店のように中途半端に行ったところで反感を買うだけでしょうね。)
 つまり日本の強みがもう無いのです。体力があるうちは強い薬を使っても大丈夫だったと思います。しかし今の日本のように体力が弱ってきている時に強い薬を用いると取り返しのつかない結果になるでしょう。体力が弱った患者にはお粥や天敵などで体力を回復させ、体力の回復を確認しつつ徐々に薬を強くしていく。そうしなければ大変な事態になるからです。しかし今の日本の政治をみると体力をつけさせたいのか、薬を強くしたいのかがまるで見えません。やたらめったらに医療行為を行っている感すらあります。船頭多くして船山に登ると言いますが、一瞬の遅延が致命的になる今の体力が弱った危篤状態の日本にはあまりにあまりな状況だと言えるでしょう。
 このまま日本は極東の島国へと逆戻りし、かつて極東に日本と言う経済大国があったと、世界史を学ぶ世界中の学生の面倒を一つ増やすだけの存在になるでしょうね。過去にもチリと言う例がありますし。現状まだまだ高度成長期に増えた中産階級が多いため何とかなっていますが、中産階級の主流ともいえる団塊の世代、彼らがこの世から去った後はどうなるでしょうか。いい加減に日本のこの先のビジョンを示す政治家くらい登場して欲しいものです。もはや経済大国ではない、と。身の丈にあった行政しか行えない、と。今の日本を見ていると借金をしてまで見栄を張る旧華族(貴族)のようで痛々しい限りです。栄枯盛衰は国家の常。だからこそ別に衰退は恥ずかしいことでもないと思います。
 今回は
【政治家は言葉遊びをする暇があったら早急に「現実的」なビジョンを 】\_(`・ω・´) ハイ、ココネ、ココ!
 と言うことが言いたかったのです。もっとも、どこぞの言論統制長官のように、どこかの国の属国になるビジョンだけは勘弁して欲しいですが…。
 久しぶりだったので、誤字脱字が多いかもしれませんし、見識が甘くなっているところもあると思います。前者はともかく後者の方はどんどん指摘していただけると、非常に参考になるので指摘があれば指摘をよろしくお願いします。
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 今日は予定変更二本立てです。最近道州制などが声高に叫ばれていますが、私は道州制に反対です。では今までのような東京一極集中の官僚制がいいのかというとそうでもありません。私が主張したいのは市町村単位による国取り制です。何故道州制に反対なのか、そして市町村単位による国取り制とは何なのかを説明したいと思います。
 まず道州制に反対する理由ですが、それでは今までと殆ど変わらないからです。確かに中央省庁は外交、国防、通貨、司法といった中央で処理しなければならないものを除いて殆どが解散されるでしょう。ですが、道州制では恐らく道州政府の中央省庁といったものが出来、結局今までの中央省庁の官僚が道州政府の官僚に名前が変わるだけでしょう。確かに国という単位より道州といった単位の方が小さく、小回りも聞くかもしれませんが、例えば県庁や府庁、道庁の人間がその県の隅々の事を把握できているのでしょうか?私は完全には出来ていないと思います。つまり、県や府といった道州より小さな単位ですらそうなのですから、道州は言うに及ばずではないでしょうか。ですが、確かに国の下に道州政府といった国より小回りの効く、強力な指導力を持った政府が存在する事は間違いなく良い結果を及ぼすでしょう。が、国の中央省庁の代わりに道州政府が来るだけで、抜本的な解決には至らないのではないか、というのが私の考えです。
 では、私の主張する市町村単位の国取り制とは何かと、今から説明したいと思います。まず、今ある市町村を原則平成の大合併前の形に戻します。とは言え、市民が納得尽くで合併している市町村は除外します。が、一部の利権に動かされて合併したような市町村は直ちに元の形に戻す。そして、国家の根幹に関わる事と大規模公共事業を除く全ての行政行為を市町村にやってもらいます。その上で先ずは一期、各市町村には頑張って市政をやってもらいます。そうすると、一期目が終わる頃には市長の行った行政行為によって発展し住民サービスが充実した市もあるでしょうし、衰退し住民サービスが悪化した市もあるでしょう。そこで選挙なのです。市を発展させた市長は間違いなくその市民によって支持されるでしょうが、市を衰退させた市長は市民から支持されないでしょう。今までの制度では一人の市長が複数の市の市長をかねる事は出来ませんが、この市町村単位の国取り制度の元では可能とします。そして市長候補者には隣り合った複数の地域に立候補してもらいます。もちろん自分が一番なりたい場所以外のところでの選挙活動は、候補者を張り出した看板のポスター貼り以外しなくてもいいようにします。その結果、衰退した市の市民は発展した市長に自分の市の市政をやってもらおうとするでしょう。衰退させた市長よりも他の市であっても発展させた有能な市長を選ぶのが普通の市民感情と言うものです。つまり、一人の市長が複数の市の市長をかねるわけです。即ち、選挙による国取り合戦です。例を挙げると下関市と北九州市があったとします(他意はきっとありません)。市町村単位による国取り制を導入して、北九州市が発展し住民サービスが充実した一方、下関市は衰退し住民サービスが悪化したとします。そうなると、下関市民は北九州の有能な市長に下関の市政を任せたいと考えるようになるでしょう。その結果北九州市長が北九州市と下関市の市長を兼ねる事になるのです。このような行為を繰り返す事により謂わば戦国時代の国取り合戦のように選挙によって首長が変わる。もちろん発展させ住民サービスが充実している以上支配者が変わる事はありません(有能な市長が選挙で落ちる事はないでしょう)し、その逆、つまり市を衰退させれば退陣を余儀なくされるでしょう。この事によって多くの人たちが自分の市政に関心を持つようになるでしょう。イギリスの政治家、J・ブライスは地方自治は民主主義の学校だと表現しましたが、地方自治に興味を持ち積極的に参画するようになれば、国政の方にも興味を持ち選挙率の低下などにも歯止めがかかるのではないでしょうか。また、きちんと考えて投票しないと住民サービスの減少といった形で手痛いしっぺ返しを食らうことになるので、市民一人ひとりが考えて投票するようになるでしょう。
 その際衰退し市長選挙において他の市の市長が市長になることになった市の市役所員の人事権は全て例外なく新しい市長が持つことにします。もちろん、元からの市役所員の全ての人事権は市長がもつことにします。つまり、民間からのヘッドハンティングや、公務員のリストラも可能にするのです。簡単に言うとアメリカ大統領のような形です。リボルビングシステムと良く言われますが、大統領が変わるたびにリボルバー銃が回転するように公務員の首がすげ変わる形です。そうする事によって定期的に公務員に組織の揺らぎを与えられるようになります。その上、公務員にもリストラと言った形で民間のように解雇される可能性が出てくるのですから、今までのような「お役所仕事」をしていたら真っ先に解雇されますから、それこそ国鉄がJRになったときのようにサービスが向上するでしょう。ちなみに、「組織の揺らぎ」とは組織に対して外部などから改革などを行い、または行うような勧告を行い、組織を活性化させ、組織の競争力を高める様な行為の事です。そのような組織の揺らぎによって生まれたのが有名なアメリカ軍の海兵隊です。詳しく述べたいのですが脱線してしまうので申し訳ないのですが詳しい事は各自で調べてください。つまり、市町村単位による国取り制を導入すれば、地方自治への意識の高まり、公務員のサービス向上などといった面において現行の制度より有利なのです。
 では、道州制で国取り制を導入しないのかと言うご批判があるかと思いますが、それは先にも述べたように、道州政府では地域全体をカバーできないからです。イタリアの方の格言に船乗りは200人までといった格言があったかと思います(詳しく思い出せないので、定かではありませんが)。つまり、200人程度の人間でないとその人間を細かく知る事は出来ないと言う事です。どういうことかというと、人数が少ない方が詳しく人のことを知る事が出来ると言う事です。だからと言って、市町村より小さな単位で一々政府を作っていたら行政費用だけで莫大な費用になります。ですからある程度の妥協点、それが市町村だったのです。ですが、複数の市町村にまたがる大公共事業はやはり道州政府が担当するべきでしょう。もちろん公共工事を実施するためには現地の市町村の賛成が大前提です。そうしないと今近畿圏で問題となっているような上の政府による公共工事費用の押し付けが発生してしまうからです。つまりは、大規模公共工事のような大規模な物、そこで初めて道州政府が出てくる。つまり市民、国民に密着した政治を行うのは市町村なのです。だからこそ市町村の国取り制と導入したうえで道州制を導入するのは大賛成ですが、道州制だけを導入すると言うのは問題を摩り替えただけで、抜本的な解決にはならない、というのが私の考えなのです。
 とりあえず今回は私が思う政治制度の触りについて書いてみました。好評であれば引き続き書いてみたいと思います。今回は
 【市町村の国取り制はいかがでしょうか】\_(`・ω・´) ハイ、ココネ、ココ!

と言う事が言いたかったのです。是非皆さんの意見が聞きたいと思いますので、意見や質問があれば拝聴したく存じますので是非コメントの方に意見を寄せていただければ幸いです。

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 許しがたい事件が起きているので予定は変更します。大手マスコミが信用なら無いという事象が一つの例によって明らかになりました。その例とは何か、と言いますと、前回にも書いていますが毎日新聞の英語版における、日本人=売春婦として扱っている記事群の問題です。この毎日新聞の日本人は売春婦であると言う記事が書かれ始めた時期と、在日米軍によるレイプ事件の増加の時期が重なっており、完全にそうだとはいえませんが、ある程度の因果関係があると見て間違いは無いはずです。ですが皆さんもご存知の通り既存のマスコミはこのことを一切報道していません。余りに卑猥な内容のため書くのが憚られるのでこの場では書きませんが、グーグルなどの検索エンジンで「毎日新聞 変態 まとめ」などという検索ワードで検索すれば出てくるであろうまとめサイトに詳しい事が書いてありますので是非それを見てください。
 毎日新聞の卑猥な記事のまとめサイトを見た人でないと、何を言っているのか解らないと思うので、まとめサイトを見てから以下の文章を読んでください。
 毎日新聞は日本人の尊厳を傷つけ、自身が女性保護だ、男女平等だなどと主張しているにも拘らず、女性は売春婦だなどと言う表現で女性の尊厳を踏みにじったのです。それにも拘らず毎日新聞は記事の削除だけで訂正しようともしません。このような卑猥な記事を書いたのが、普段から卑猥な記事を書いているようなゴシップ雑誌のような類であれば信じられないような内容だった場合、またゴシップ記事かと思い相手にしないと思いますが、ニューヨークタイムズ(米)、ワシントンポスト(米)、タイムズオブロンドン(英)、フィガロ(仏)のような格式も伝統もある新聞社が同様な記事を連日のごとく発信していたら皆さん信じてしまうのではないでしょうか。私も信じてしまうでしょう。餅は餅屋、その国のことはその国の新聞に頼るしかありませんからね。毎日新聞は言わずもがな世界第3位の発行部数を誇る日本を代表する新聞社の一つです。そのような所が連日のごとく日本人は売春婦だ、等という記事を発信し続ければ日本のことをあまり知らない人間や普通の人間は日本人は売春婦、いくらレイプしても大丈夫だなどという認識を与えてしまうのは自明の真理ではないでしょうか。その上毎日新聞のその記事群の中には日本人をレイプして逃走する方法のような記事もあったとの事。余りにも許しがたいとは思いませんか。まだその過ちを認め直ちに謝罪し、責任者を厳重に処罰し、間違った記事であった事をきちんと説明し一面記事に載せるなどと言う行動に毎日新聞が出てくれればよかったのですが、過ちも認めず(雑誌の記事を引用しただけだと主張)、責任者の処罰もせず(責任者は社長に昇進)、間違った記事であった事を一切認めない(あくまで品性に欠けていたから削除したとの認識)。余りに酷いとは思いませんか。毎日新聞自体は雪印や不二家と言った企業をとことん攻め立てたにも拘らず、自身の不祥事は知らん振りです。その上他の大手マスコミもこの毎日新聞の大スキャンダルを一切報道しようとしません。何故でしょうか?それは毎日新聞の背後にある日本の暗部が蠢いているからではないかと思っています。毎日新聞の背後にあるのは何かと言うと、在日朝鮮人社会です。ついこの間も問題になったように在日朝鮮人はヤクザまがいの行為で市役所の職員を脅し、十分な収入があるにも拘らず生活保護を受けていたそうです。収入が無いにも拘らず役所の盥回し行政で生活保護が受けられず、おにぎりが食べたいと言って餓死した日本人がいるにも拘らずです。他にも在日朝鮮人社会を象徴するものとして挙げられるのが創価学会などの宗教団体です。その二つが仮に繋がっていたらと考えると、色んな事柄の謎が氷解しますが、その事を書くとあまりに長くなるので、今回は簡単な例を挙げるだけにしたいと思います。
 例えば、毎日新聞による執拗な不二家と雪印乳業叩き。これはその後この2社が何処に主導権を握られたかを考えるとわかります。それはロッテです。ロッテは日本の企業ではなく韓国の企業で、韓国内では日本のお菓子をそのまま使用した、言葉を悪くして言うとパクった、お菓子を販売しているような企業です。その企業が日本の中でも最先端の企業をかなりの安値で買い叩いたのです。何故日本でも最先端の企業が日本のお菓子をパクるような2流企業に買い叩かれるほど落ちぶれたか、それは毎日新聞系列による執拗な雪印、不二家叩きがあったからです。毎日新聞系のみのもんた氏が出ている朝の報道番組にいたっては情報を捏造してまで連日不二家を叩いていたのですから皆さんも薄々察しているのではないでしょうか。
 そして今回の問題を大手マスコミが報道しないのは、大手マスコミに広告料などの名目で流れ込んでいる創価マネーが止まるのを恐れてではないでしょうか。そして言うまでも無く在日朝鮮人の経営している企業からの広告収入がなくなるのを恐れての事でもあるでしょう。
 日本人はそろそろ戦後から脱却してもいいのではないでしょうか。日本人が思っているほど外国の、日本にいる外国人は良心的ではないようです。確かに個々人で見れば良い人だらけでしょう。私も住んでいる駅の傍にある朝鮮人の方が経営している韓国料理屋には色々とお世話にもなりましたし、女将にも色々としてもらいました。ですが我々日本人が主張しないが故に朝鮮人が暴走する。いわば「庇を貸して母屋を取られる」のような状態に最近はなってしまっているのではないでしょうか。
 ではどうすればよいのか、それはまず日本人がアイデンティティーを取り戻す事だと思います。その為にも今回の事件で日本人のナショナリズムが高揚し、日本人が誇りを持って日本人だと言えるアイデンティティーを取り戻して欲しいと思います。
 韓国の話は長くなるので今回はここまでにします。さて、今回の件は将に日本の今後を占う分水嶺になるでしょう。つまりネット社会が既存のマスコミを凌駕するか、既存のマスコミがこれまでどおり居直るかです。それによって人類社会は縮小に向かうのか、それともこれまでのように拡張を続けるのかと言う事がわかるでしょう。個人個人の暮らし重視なのか、それとも供給者側の拡張重視なのかと言う事が、今回の事件の結果次第でわかると思います。もしこの件でネット社会が既存の大手マスコミを動かすような事があれば、我々は新しい社会への突入、マスコミと言う天の板から脱却を果たし、ネットと言う相互関係の情報共有社会、つまり真の高度情報化社会への突入に立ち会えるでしょう。時代遅れともいえる供給者保護重視政策、その過ちに日本人全体が気が付くためにも今回の事件は重大な事件だと言えるでしょう。ですが、その件は後日述べるとして、とりあえず今回は
【義を見て為さざるは勇無きなり。日本人の名誉のためにも毎日新聞は許せない】

                                           \_(`・ω・´) ハイ、ココネ、ココ!
 と言う事が言いたかったのです。悪い事をしたら謝罪し訂正する心を失ったマスコミは、もはや社会の公器とはいえないとは思いませんか?

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 酔っている頭で書いているので今回は過激でちょっとわかりにくい文章かもしれません。先日の落書きの件はそれだけで終わると思っていたら、今度は京都産業大学の学生が落書きしていたそうです。このような結果を招くのはひとえに最近の学習方法に問題があるのでしょう。今回落書きをしたと報道された人間は大学にまで入っているわけですから、少なくとも一定以上の学力はあるはずです。ですがこのような蛮行を行う。何故でしょうか?それは最近の受験戦争に有ると私は考えていますが、このことは後日述べさせてもらいます。今回は他の事、マスコミについて述べようと思います。
 さて、このような日本人が犯した蛮行はあまり報道しないくせに、イラクにボランティアでいった結果誘拐されてしまった気の毒な方々の事は連日のごとく自己責任だと批判する。ボランティアで、必死の覚悟で、イラクのために、引いてはイラク人の間に小泉元首相のアメリカ追随政策によるイラク戦争の支持、その事によって芽生えようとしていた反日感情を少しでも抑えるために彼ら、彼女らは自身の命を賭けて、まったく彼らには見返りがないにもかかわらず、イラクにボランティアに行ったのです。私などは例え大金を積まれても命が危なく、言葉も通じない、インフラも破壊されている、そのような場所には行きたくありません。ですが、彼らは行った。何の見返りもないのに。そのような実に高潔な精神の持ち主に対し連日マスコミは自己責任だと批判を浴びせかけたのです。確かに結果として拉致され身代金などが要求された。ですが彼らのその高潔な精神は賞賛されこそすれ、批判されるものではないはずでした。ですがマスコミは連日、何時間も批判したのです。しかし、今回の事件、そしてイタリアの落書きに似た事件であったAAAとか言うグループがアメリカの観光名所で行った落書きに対してマスコミは批判をしたでしょうか?仮にしたとしてもほんの一日か二日程度だったはずです。恐らく今回のイタリアの落書きも同じような扱いでしょう。何故彼らのような高潔な精神で行い、結果としては外務省などが苦労しましたが、元々はイラク戦争を支持し、小泉劇場で無理やり突き進んだ時の政府の責任もある筈の行為に対し連日何時間もかけて批判をし、方やAAAや今回の岐阜、京都の大学生のような軽い気持ちで行った蛮行には批判のキャンペーンを張らないのでしょうか。大体、人の葬式などに押しかけ、遺族の感情も考えずにフラッシュをたき、無遠慮な質問を浴びせかける。あたかも我々は神、世論の代行者だと言わんばかりの尊大な態度での質問攻勢。しかし、そのように正義の代弁者、公平の権化のように振舞うくせに、スポンサーの被害となるようなことは言わない。ポテトチップスの発癌性について危険性が指摘されましたが、一切報道されていません。カ○ビーがスポンサーから降りる事を危惧したからです。三菱自動車が一時リコールなどでピンチに陥っていた時期、三菱よりもト○タの方が(未だにですが)自動車から発火したり、壊れたりしていたと言う事も一切報道されていません。ト○タ、引いては○通を敵に回す事を恐れたからです。つい最近起きた秋葉原の無差別殺傷事件も、容疑者が働いていた工場がト○タ系列であり、ト○タの推し進めるカンバン方式による被害者だと言う事も一切報道されていません。カンバン方式の悪い点は後日また改めて日雇い労働者に関係する話をするときにでもまとめてしようと思います。つまり、マスコミはスポンサーの利益にならないことは報道していないのです。かと言ってNHKは本当に国営放送なのかと疑いたくなるほど某半島国に肩入れしています。
 つまり、何を言わんとしているかというと、既存の大手マスコミを信用してはいけない、と言う事です。毎日新聞にいたっては連日のように、日本人は獣と性交するだのと卑猥でかつありえない記事を連日のように英語版毎日新聞のサイトに載せて世界中に発信していたのです。そしてその事を公表しましたが、それについて謝罪のキャンペーンと訂正のキャンペーンを張るでもなし、他社も少しは報道していましたが、報道したとしても隅っこに小さく報道していました。本来ならばそのような売国、逆賊的な行為は大キャンペーンを張ってでも批判するべきです。ですがどこも批判のキャンペーンを張っていません。そのような誤った、と言うよりむしろ意図的に日本を貶めている記事を日本の4大新聞社の一角という信頼性もあるところから発信していたにもかかわらず、です。このことから解るのは大手マスコミは談合のような形でお互いの失点や失敗は極力報道しないようにすると言う姿勢があるということです。情報とは常に中道であるべきです。ですがもはや現在の日本のマスコミは業界談合の典型的な例でどの会社も似たような報道を似たような視点でやっていると言わざるを得ないのです。その上スポンサーに不都合な事実は隠匿しているのです。
 我々は何が真実で何が嘘なのか、この情報が林立する時代だからこそそれを見抜かなければなりません。その為にこそ教養や常識、物事の裏を見抜く眼力、自分の確固たる信念が必要なのでしょう。昔も似たような事を書いていたような気もしますが、それが一番必要なのでしょう。
 今回は【マスコミを信じるな。常に自身の目で、足で、心で情報を感じるべし】\_(`・ω・´) ハイ、ココネ、ココ!

 と言う事が言いたかったのです。次回はかなり前の話の続きをかねて最近の勉学について思う事を述べさせていただこうと思います。酔った勢いで書いたので情報が古い上に間違った情報もあるかもしれません。そのような箇所があった場合は、できれば笑って見過ごすか知らせていただければ幸いです。

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 脱線はまだまだ続きます。最近、阿呆な人間が増えてきました。もちろん、全ての事に対しやる気がなく、若者らしい覇気もなく、日々を自堕落に過ごしている私も阿呆でしょう。まぁ、昔からこうではなく、自分で言うのもなんですが、覇気にあふれ、やる気がみなぎり、実に若者らしい野望と理想を持っていた時期もありました。ですが、何時ごろだったかやる気を完全に失いまして。ですが、こんな生きる屍のような私でもやっていい事とやってはいけない事の区別くらいはつきます。そんな区別がつかない人間を私は阿呆だと思っています。電車でのマナー、公共の場でのマナー、連絡ごとのマナー、それをやむをえない理由で破るのは仕方がありませんが、マナーを知っているにも関わらず、それを人の迷惑を考えず逸脱する阿呆が増えてきました。
 今回はその中でもかなりの阿呆について話したいと思います。イタリアはフィレンツェの世界遺産、聖マリア・デル・フィオーレ聖堂と言う、ゴシック様式、ルネッサンス様式、そしてネオ・ゴシック様式と言う建築様式で立てられたヨーロッパを代表する石造建築、おまけに未だに信仰の中心のようなところに落書きをした戯けがいたそうです。その大聖堂は歴史的に見ても実に貴重な、ルネッサンス期のイタリア、フィレンツェがどれほど優れた文化を誇っていたかを示す偉大な建造物です。つい最近のニュースなので皆さんもご存知だとは思いますが、岐阜の方の大学生がよりにもよってこの建物内の大理石に油性マジックで落書きしたとの事。しかもその落書きの写真を見ると、問題となっているマジックで書かれた落書きの横にもうっすらと、恐らくボールペンでしょうが、これまた日本人の名前と思われる落書きが。余りに恥さらしな、教養も品性のかけらも感じられない愚行です。蛮行と言うべきかもしれません。彼女らの軽率な行動が一体どのような影響を及ぼすか、考えるだに恐ろしい限りです。世界中に日本人は芸術を解せない、聖域に平気で落書きをしていく、常識の欠片もない蛮族だ、と言うイメージを送る事になるでしょう。おまけに大学が研修旅行で行ったとの事ですが謝罪は書面で行っただけとの事。余りにその行為の重要性を理解していない。シャッターに落書きをする程度の話ではないのです。腹を切って詫びるべき、と言うのは言いすぎですが、(それだけの犯行であったと私は思います)まず落書きを書いた阿呆は問答無用で退学。引率をしていた教員は監督不行き届きで懲戒免職、大学長は責任を取って辞任するべきでしょう。大聖堂側は手紙での謝罪で結構との事ですが、最低でも当事者を連れてイタリアまで謝罪に行くべきです。最低限の誠意くらいは見せるべきです。世界遺産に対し落書きを、よりにもよって大理石に油性マジックでとは、まことにもって許しがたい。日本で例えるなら、法隆寺や姫路城の綺麗な白い壁に油性マジックで落書きをされるようなものです。アンコールワットに安土桃山期の日本人が落書きしていますが、あれは当時日本人がどこまで進出していたか、そして一時は完全に記録から失われていたアンコールワットが何時ごろまではきちんと存在していたかを示す貴重な資料です。ですが、今日のように記録媒体も進化し、世界中のことがリアルタイムでわかり、何の危険もなく世界中にいけるご時勢に、ここまで日本人が来ましたよ、何年何月何日等と言う落書きは百害あって一利なし。まだ毛筆で、美しい字体で書いてくれたらまだしも、マジックで書かれた汚い文字。美術的価値、歴史的価値も皆無です。落書きは消せば元通りですが、この行為が消える事はないでしょう。永遠に日本人が落書きした場所として残り、世界中の人々が日本人の評価を下げるでしょう。なぜなら一度ならまだしもその場所には前述のようにもう一箇所の落書きが。そして、ついこの間同様の事件をAAAとか言う歌手グループが行っているからです。その場所は歴史的価値のない場所でしたが、落書きは禁止されている場所でした。しかも殆ど落書きに対して謝罪していない。何をやったらいけないのか、そんな事も理解できない阿呆が増えてきました。その上、落書きをしてはいけない文化財に落書きをするという行為、文化財に落書きをするということが一体どれだけの人の思いを踏みにじるのか、そんな事も想像できない阿呆が日本人には最近多すぎます。その文化財を建立した人々の思い、それを長年にわたり維持してきた人々の思い、そしてその文化財を地域の、ひいては国の誇りにしている人々の思い、その文化財に心を打たれた人々の思い等、数多くの人々の思いを踏みにじったのです。文化財には歴史的背景と同時に人々の思いもこもっています。だからこそ古いものにもかかわらず人の心を打つのでしょう。その連綿と続いてきた人たちの思いを踏みにじる行為を良くぞまぁ出来たなと思います。少し考えれば、少し文化財へ思いを馳せれば落書きと言う行為がどのような行為なのかすぐわかると思います。思いを馳せなくても、文化財の大切さがわかる人間であれば思いとどまり、落書きがしたくてどうしようもないどであれば文化財の傍のアスファルトの道路とかにちょこっと書く程度に止めるでしょう。前者が教養、後者が常識です。
 いくら勉強が出来ようが、いくら運動が出来ようが、いくら何らかの事柄に秀でていようが、人間として当然持つべき教養、常識を持っていなければ阿呆だと私は思っています。だからこそ人は学び知識を集め教養を高めたのでしょう。その人類苦心の業績を最近の日本人は学生は受験競争、社会にでてもまだ競争といったメガコンペティションエイジ、大競争社会によって、勉強さえ出来ればいい、何でもいいから金をもうければいいといった勝ち組になりさえすればよい、という風潮で踏みにじっているとはいえないでしょうか。だからこそ自分さえ良ければよい、といった風潮に流れ始めたのではないでしょうか。だからこそ平気で記念と言う理由で文化財に落書きをする、そしてその事に対してほとんど謝罪をしない。そんな時代になってしまったのでしょう。
 今回は【こんな時代だからこそ、心にゆとりと教養と常識を】\_(`・ω・´) ハイ、ココネ、ココ!
 似たような事を昔言っていたと思います。似たような結論に結びつく似たような事件が多いのでしょうか。次回も脱線の続きで、この件に絡ませてマスコミについて思う事を次回書かせてもらおうと思っています。

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 今回もまた例によって予定を変更させていただきます。予定のものを推敲している間にまったく別の文章を書いてしまう。一つの事をやっていても、すぐに別のことを考えてしまう、私の悪い癖です。
 橋下知事に暗殺予告したとして逮捕者がでました。確かにあの知事の今まで芸能人としてお気楽そうににやってきた姿をテレビで見せられてきた我々一般人からみれば橋下知事は、浮動票や政治に関心の薄い若年層の表を取り込み、あたかも衆愚政治家のような形で当選したタレント知事。お気楽にテレビ活動を行い、そして弁護士として裕福な人間が突如として大阪府知事になり予算カットと言う事で、数多くの分野に対し予算削減を行い、数多の分野に混乱を引き起こしている張本人のように見えるのではないでしょうか。日本人は和を重んじます。和を乱すものへの憤り、そしてこの間の秋葉原でのテロ行為に近い行動、長崎市長の銃撃事件等により、今の日本人にはテロ行為が今までより身近に感じられるようになり、だからこそ橋下知事を暗殺するなどと言うテロルを口にしたのではないでしょうか。後考えられるのが、ついこの間まで身近に感じていた人物が急に雲の上の人物になってしまったことへの嫉妬、というものでしょうか。ただ、知事の話を聞いた限りでは芸能界は厳しい世界のようでした。将に生き馬の目を抜くがごとくの世界、言われてみれば大金が動く世界なのですから、それに応じた厳しい世界だと言うのは当たり前の話ですね。そして橋下知事と話した人の多くが口を揃えて言うのが礼儀正しい、ということです。私のような若輩者の話にすら詳しく丁寧に答えてくれるほど、実に礼を知った人物でした。ですから、テレビ(特に某法律番組)によって植えつけられたチャランポランな茶髪の弁護士と言うのは、テレビの前で芝居をしていた、ということなのでしょう。弁護士は数多くいるのですから、特色(演技でも)が際立っていないとテレビであんなに引っ張りだこにされるはずがありませんからね。2度ほどお目にかかって、1度話した感じで人のことを言うのはあれなのですが、橋下知事はチャランポランの逆、実に熱血で情熱あふれる人物だと見受けました。ただ、あまりに熱血で情熱家なため、部下は常に最善を求められ心労が絶えないだろうなぁ、とも思いました。テレビでよく言われる星野監督のような人となりなのではないでしょうか。私は話す前までは大阪中ノ島のヌーディストビーチ化といった発言や、某法律番組の発言を見てふざけた人間だと思っていました。が、一度話してみて印象はがらりと変わりました。あの人もいわばテレビの被害者、つまりテレビによって誤った性格、キャラクターを植えつけられた人なのでしょう。これだからテレビのように一方通行のマスコミは人に誤った認識を抱かせるので恐ろしいのです。まぁ、わざとふざけたキャラクターを演じていたとしても、それでもあの中ノ島の発言はやはり品格を疑いますが…。
 さて、私も橋下知事の改革には色々と思うところがあります。皆さんも改革するのには賛成だけど、あの分野だけは反対という総論賛成各論反対という状態になっているのではないでしょうか。ですが、その各論を一つ一つ聞いていけば自ずと各論が総論になる。例えを挙げると総論が5、各論が1とすると、1+1+1+1+1=5、となるのです。ですから暴論のようですが一切の各論を聞くことなく、総論を実行する。この場合は一切の例外なく予算を削減する(但し、ここまで財政を悪化させた張本人である役人や政治家を市民感情から言っても優先して削減するべきですね)事こそが肝要なのです。予算が削減された所は予算が今まで潤沢に合った予算が削減され、少なくなったお金の換わりに知恵を絞り、知恵を使うようになるでしょう。その結果失敗してとんでもない事になる所も出るでしょうが、予想外の好結果を出す所も出るはずです。そして失敗した所には成功した所のノウハウや、予算削減によって余裕が出来始めた資金を補填する。その結果最初の数年間は辛い事は間違いないですが、その冬の数年間を乗り切れば間違いなく春が来るはずです。もっとも予算削減した結果全てがうまくいかなくなる、と言う危険性もあるにはあるのですが、日本を代表する経済学者、堺屋太一氏もバックにいることですし、まずありえないでしょう。
 不死鳥は燃え尽きた灰から生まれ変わると言います。太田腐政(誤字にあらず)の間に壊れていった大阪府は橋下府政と言う業火によって燃え、不死鳥のごとく輝きながらよみがえる。そんな風になると信じたいですね。
 今回は【落ち着いて橋下改革を見守ろう】\_(`・ω・´) ハイ、ココネ、ココ!
 ということが言いたかったのです。余談ですが、最近アメーバブログ、出会い系の広告のようなコメントやブログが多くないですか?コメントや色んな登録要請が来たと思えば出会い系…。ミクシィの様に管理の徹底したところがうらやましいです。私を野球場に連れて行ってではなく、ミクシィに連れて行ってと歌いたいくらいですね。
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 予定を変更して最近話題に上り始めた移民法案について話したいと思います。
 移民受け入れ法案は国(政府)栄えて人心荒ぶ世紀の悪法です。確かに移民によって安価な労働力が手に入り、結果企業は安い労働力で日本人よりある意味優秀(彼らには後ろが無い分必死で働くでしょうからね)な労働力が手に入り企業は成長し、すると法人税といった税収も増加し国(政府)は栄えるでしょう。ですがその影で安い労働力に淘汰され多くの日本人が職を失うでしょうし、淘汰されなかったにしても今よりも間違いなく給料は安くなり仕事は増加するでしょう。企業を経営するサイドから物を見れば多少日本語に何があっても頭脳組織ならまだしも、工場労働や一般事務といったところでは給料が安い方を選びますからね。それに負けないため日本人は今よりも安い給料で今よりも必死になって働かなければなりません。その結果職を失った人々や過労死寸前まで働かされる日本人は間違いなくフランスのように荒れるでしょう。いや、フランスより荒れるといってもいいかもしれません。何故ならフランスはすぐ隣に陸続きでドイツやスペインといった外国があり、外国人の流入、そして外国への流出が頻繁にあるでしょうから、外国人に関する免疫があるはずです。また、アルジェリアといった海外植民地からの人口の強制流入等も過去に経験しており、海外からの労働人口の流入も経験している分拒否反応もまだ薄かったといえるでしょう。しかしながら日本は開闢以来日本列島というごく限られた範囲で日本民族そしてアイヌ民族、琉球民族といった少数民族によって成立している、殆ど単一民族国家とも言える国家です。人口の一割近い労働力の流入など経験した事も無く、また徳川幕府時代の鎖国によって未だに外国への拒否反応、つまり島国根性と呼ばれるものですが、それがあります。また、日本は幕末において攘夷活動などで世界的に見ても非常に活発な排他活動をした実績もある国家です。仮に移民政策が実施され、街は移民によって職を奪われた人々であふれる。治安は間違いなく悪化し、強盗や殺人が頻繁に起こるようになるでしょう。そのような国家で移民政策を実施するのは、まさに歴史を知らない愚か者の蛮行といえましょう。歴史を少しでも知っているのであれば日本は世界的に見ても非常に珍しい(ほぼ)単一民族国家であるが故に、移民に対して免疫が無く凄まじい拒否反応を示すであろうと言う事。また仮に拒否反応が収まったとしても、欧州諸国のように移民によって職を奪われたりした人々によって治安は悪化するだろうという事。そしてこれが一番恐ろしいのですが、移民が参政権を要求してきたときです。そうなるともはや日本は日本ではなくなります。国土は日本なのに政治を握っているのは移民ということはありえないとはいえないでしょう。その証左に今の日本の政治を握っているのは少数のとある宗教団体である、というのが挙げられると思います。少数派は少数派であるが故に団結し、その結果選挙に関心が薄い多数派を凌駕する事がありうるのです。
 今現在ブラジルからの移民が少数ですがいます。ブラジルからの移民を受け入れた地域ではやはり文化の違いから衝突があるようです。ですがお互いが歩み寄ろうとしているためデモや武力衝突、焼き討ちといった事態にはなっていないようですが、一切歩み寄ろうとしない民族性の中国人が大挙としてやって来たらどうなるでしょうか?中国が外国に行っても中国の文化を維持し続ける事は華僑と呼ばれる集団を見ていても明らかな事です。そして日本人は和を乱す行為を非常に嫌う民族です。例えば、朝から家の前で移民してきた中国人が紙を焼かれたら日本人の多くは洗濯物が干せなくなるため止めてくれと言うでしょう。ですが恐らく移民してきた中国人は拒否するでしょう。家の前で紙を焼く行為には宗教的な意味があり(あの世にいる先祖がお金に困らないようお金に見立てた紙を焼いているわけです)、中国文化ですから中国の文化を堅持しようとする移民とは間違いなく衝突し、日本人は事を荒立てたくないが故に泣き寝入りをすることになるでしょう。そのようなケースが日本中で起こりうるわけです。我々の平穏な生活を守るためにも移民法案は成立しない方が良いのです。
 では労働力が不足している問題はどうするのか?と言う意見もあるでしょう。私はその方々に某総理風にこう申し上げたい。どこが労働力が不足しているのか、是非その証拠を持ってきていただきたい、と。そうすると恐らく福祉関連の人材が不足している事を挙げる方が多いでしょう。看護婦や看護師、高齢者介護者の数が需要に対して少ないと。ですがそれは当たり前のことなのです。非常にキツイ仕事であるにもかかわらず福利厚生がしっかりしておらず、給料も安い。それでは労働力が集まらないのは当然のことなのです。つまり、福利厚生や労働基準の設定をしっかりやり、給料も今の倍額近く、つまり一般公務員よりちょっと上くらいの給与水準にすれば間違いなく労働力は集まるでしょう。給与がよければ間違いなく昨今問題となっているネットカフェ難民やワーキングプアと呼ばれる人々などが集まるでしょう。その結果間違いなく看護、介護関連の労働力不足は解消されるはずです。日本は労働力不足などではなく、ただ単に労働力の配置を間違えているだけなのです。労働力不足など現場や現実を知らない官僚が机上でだした意見でしょう。晩酌付きのタクシーで帰る恥知らずには今いる官庁の権利拡大と自分の天下り先の確保しか目に映っておらず、現実を見る余裕が無いのでしょうね。
 日本人の人口が減少して行っている問題をどうするか、ですが何時までも減少傾向にあるとは思えません。何らかの弾みで増加する事もあるでしょうし、日本人口が8000万人にまで減少するという話ですが、江戸時代はもっと少なかったわけですし、減ったからといって問題は無いでしょう。それに人口減少を止めたいのであれば台湾のように結婚していない人間に対して特別税を課せば良いのです。そして子沢山の家庭には特別減税をすれば自ずと人口は増えるでしょう。結婚しやすい環境、そして子育てをしやすい環境を整えれば自ずと増加するでしょう。一時的に減少しているからといってあわてる必要は無いのです。それに減少したからと言っても江戸時代の人口水準に戻るだけですからね。
 高齢社会化問題ですがこれは以前述べたような気もするのですが、定年を無くせば一気に解決です。労働意欲のある老人にはまだ働いていただく。これだけで解決するでしょう。60歳、65歳なんてまだまだ若いですからね。高齢者は国の宝。是非頑張ってほしいものです。
 以上述べてきた事で、移民法案はまったくの根拠が無い、実施したとしても悪影響しか及ぼさない世紀の悪法である言う事が分かっていただけたかと思います。得をするのは移民、安価な労働力が得られる大企業とそれに連なる政治家、そして法人税などの増収によって潤う国でしょう。日本国は日本人のためにあるのです。国家は国民の利益を第一に考えてこそ国家なのです。一部の利益や外国人の利益を最優先するような国家はもはや近代国家の国家たる資格の国民国家ではないでしょう。国家があって国民があるのか、国民があるから国家があるのか。この移民法案を考えている政治家はその事も分かっていないようですね。何のために国家があるのか、皆さんにも是非考えていただきたいと思います。
 【世紀の悪法、移民法案絶対反対!】\_(`・ω・´) ハイ、ココネ、ココ!
 ところで、目先だけを見ず長期的に見れば人口減少は文化爆発の大チャンスでもあるのです。戦争などで人口が激減したイタリアは生産性の高い産業に人口が集中し、結果、富が相当なものになったそうです。人口の割に非常に多い富。その富が文化を振興し科学技術を発展させルネサンスと呼ばれるヨーロッパの輝ける時期を作り出したのです。日本も人口が減少しても生産性が高い分野に人口が集まる事によって日本版ルネサンスと言うものが起こりうるのではないでしょうか。
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