アレクサンダー・グラハム・ベルの友人であり、義父であったG・G・ハバート | 聾史を探る(旧)

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ガーディナー・グリーン・ハバート

聾歴史を探る-ベルの友人

ガーディナー・グリーン・ハバートは弁護士であり、実業家でもありました。愛娘であったメイベルは4歳の熱病が元で失聴しました。メイベルが段々と話せなくなり、手話を使い始めた事に意思疎通が時間と共に通じにくくなっていました。

メイベルと話をしたいガーディナー・グリーン・ハバートはドイツ式の口話法を知っているハウを訪ね、口話法を学びました。そして小学校の教師をしていた女性にお願いして家庭教師をしてもらい、口話教育を施しました。その甲斐もあってメイベルは少しずつ話せるようになったのです。

聾歴史を探る-ベルの妻の少女時代2

そして、ハバートは口話法の聾学校を作ろうと思い、他の聾児を持つ親達と協力していましたが、無理だった為、小さな家庭学校を作りました。


1867年に州議会に2度目の請願を行い、「となりの州は、手話で教育している。ここでは、口話法の聾学校を作ってほしい」との事でした。4週間に及ぶ論争と実演および公聴会の末に「クラーク聾唖院」ができました。


1873年にアレクサンダー・グラハム・ベルと出会い、友人になりました。娘メイベルは15歳になり、アレクサンダー・グラハム・ベルから口話による教育を受けていました。ガーディナー・グリーン・ハバートはアレクサンダー・グラハム・ベルに電話研究を促し、企業化しました。


1876年はアレクサンダー・グラハム・ベルが電話の発明に成功し、娘であったメイベルがアレクサンダー・グラハム・ベルと結婚しました。アレクサンダー・グラハム・ベルは29歳、メイベル・ガーディナー・ハバートは18歳でした。


娘であるメイベルはアレクサンダー・グラハム・ベルにとってはかけがえのない伴侶として生涯支えてきました。

聾歴史を探る-ベルと妻


このようにアレクサンダー・グラハム・ベルにとってはガーディナー・グリーン・ハバートはかけがえのない人物であり、アレクサンダー・グラハム・ベルの事業に長年協力していきました。