除夜の鐘がうるさいからと自粛するお寺が多くなったと、嘆き節を出前
しましたが東北地方では「ナマハゲ」が変身しているそうな。”悪い子
はいねえが~!”鬼のような風貌で模造の包丁を手にして大晦日の晩に
子供のいる家を訪ね歩く。その荒々しさに怯えた子供たちは泣き叫びな
がら家中を逃げ回る、、秋田県男鹿半島周辺に伝わるナマハゲ。この、
奇習が変貌しつつある。”あまり子供を怖がらせないでほしい”との要
望が多くなって「鬼」が優しくなってきているというのだ。主催者側が
事前に各家庭に電話連絡すると、そもそも訪問を拒まれることが多い。
”集落140軒のうち子供がいる家庭が15、6軒。そのうち家に入れ
てくれるのは5、6軒になってしまった”(主催者)。そこで子供を戒
めるだけでなく宿題の面倒をみる「オプションサービス」が登場したと
いうのだ。ナマハゲが玄関先に現れると子供たちは最初はギョッとする
が”宿題やったか、どれ見せろ”などと優しい言葉をかけられるうちに
場がなごみ、楽しげにテーブルを囲むこともある。”怖いばかりじゃ、
受け入れてもらえないかといって戒めの意味が消えるのも寂しい。時代
のニーズに応えていかねば難しいですよ”とは主催者側。一方、道徳教
育には欠かせない二宮金次郎像が全国の小学校から姿を消しつつあるそ
うな。かの国では慰安婦を象徴する少女の像があちこち建立されている
というのに。昨年3月1日、栃木県のとある小学校。除幕式で披露され
たのは背中に薪を背負ったまま切り株に腰を掛け、読書にふける二宮金
次郎だった。歩きながら本を読むお馴染みのスタイルが、なぜ座って、
読書する金次郎になったのか、、。つまり寄贈した団体が”歩きながら
スマホを操作する行為を肯定しかねない懸念や歩いて本を読むのは危険
だという市民の声も聞き座像にした”とコメントしたそうな。「市民の
声」が金次郎を座らせたのだ。あたしゃ立像が歩きスマホを誘発させる
とは思いませんが、そのほか”子供が働く姿を勧めることはできない”
という教師や”戦後教育の名残”という保護者。それに「ナマハゲ」の
奇習には”児童虐待だ!”と声高に騒ぐひともあるそうな。今年も日本
文化の崩壊の立会人になるんでしょうかねえ。
孫たちに アドレス聞かれ番地いう メカ音痴 ぐっさんハイ
ATMから現金を引き出す事件が後を絶ちませんが、こないだ、メシを
食ってカード払いにしたら”クレジットから頂きます、カードで大丈夫で
すか?”といいますからムッとして”払らうのはカードじゃなくて俺だよ、
メシ代ぐらいあるよ”といいましたら、怪訝な顔をされました。同輩の方
なら、いわずともお分かりと思いますが日本語の乱れというか過激な
変化ぶりには驚かされます。過日、ひさしぶりにOB会に顔を出しまし
た、まだ現役として頑張っている後輩が”部下を誘ったら断られたんで
す。我々が若い頃は上官から誘われたら断るなんてできなかった。.で
も今は彼女とのデートが優先しますよ、まあ時代ですからそれは仕方
がないとして断り方が訳がわからない。”今晩一杯やるか?”って誘っ
たら”大丈夫です”っていうんです。こっちは大丈夫っていうから大丈
夫だろうと思って、一緒に出ようとしたら”用事があって行けません”
というんです。一体、何が大丈夫なんだと頭に来たと真っ赤な顔をしな
がら、まくし立てていました。若い衆に聞くと”今日はムリ”とかいって、
きっぱり断ると相手を傷つけてしまうような気がする。でも”大丈夫”だ
と優しい感じがするんです。コンビニで買い物をする女性に”レシート
要りますか”と聞かれたら”大丈夫です”といって断るそうです。”要り
ません”だとキツイ感じがして。わざわざ聞いてくれてありがとうみたい
な気持ちを込めて”大丈夫”といいますと解説していました。最近の辞
書には、どう書いてあるのかみてみたら「相手の勧誘などを遠回しに
拒否する俗語。そんな気遣いはなくても問題はないの意から主に
若者が使う」と記述してあったそうな。例文として”おひとつ如何?”。
”いえ大丈夫です”を挙げているとありました。こんな背景は、かって
憧れの対象であった「一匹オオカミ」は今や「ぼっち」と呼ばれ蔑みの
対象になっているらしい。価値観の多様化によって、かって社会に存
在していた確固たるモノサシの権威は失われ若者は自己確認や自己
決定のためのモノサシを自分を取り巻く他者に委ねざるをえなくなった
さらに04年ごろからコミニュケーション能力という言葉が就活とも関連
して新聞にも頻出するようになった。コミュ力の影響といえる。ひととの
つながりの豊かさが、そのひとの価値を測る基準ともなり、若者は「ぼ
っち」を恐れて人間関係により敏感にならざるをえなくなったと解説す
るえらいセンセもありますな。パクりながら訳がわからなくなってきま
したがヤング諸君。銭を貯めて世界のモノサシ探しをやってみたらどう
だろう。この爺は無手勝流で飛び出して行きましたが物凄いドラマや人
物と遭遇して腰が抜けるほど驚いたことがありました。諸君にも鳥肌が
立つような体験をしたら如何。
”つぎの日曜出勤は大丈夫だろう?”。と訊かれた青年は”
お母さんに聞いてから返事します”。これ実際の話だそうな
一匹オオカミ保存会 博多支部 ぐっさんハイ
超高齢社会を迎え、日本老年学会は現在65歳以上とされている「高齢
者」の定義を75歳以上に引き上げたうえで、それより若い人たちには
就労やボランティアなどの社会参加を促すべきだとする提言をまとめま
した。日本老年学会は医療の進歩などで健康的に生活できる期間が延
びていることから、現在65歳以上とされている「高齢者」の定義について
医師や大学教授などのグループで見直しを進めてきました。そして「高齢
者」とする年齢を体力的な面などからも75歳以上に引き上げるべきだ、
とする国などへの提言をまとめ、都内で発表しました。提言ではそのうえ
で現在は「高齢者」とされている65歳から74歳までの人たちについては
新たに「准高齢者」と位置づけ、健康な間は仕事を続けたり、経験を生か
してボランティアに参加するといった活動を後押しするなど、活力のある
社会をつくっていく必要性を強調しています。これはNHKが報じたもので
す。たしかに私がガキのころにくらべて10歳ぐらい若返ったというか実際
寿命が延びていますね。私自身は未知の分野を歩いている最中ですから
単純にくらべるわけにはいきませんが、社交ダンスの世界でも80代でも
軽やかにステップを踏む方は沢山いらっしゃいます。連日通うプールだっ
て1000m泳がないと泳いだ気にならないと豪語する方もいらっしゃいま
す。そんな方はバディだけでなくユーモアーに富み、新しいことに興味を
持ちスムーズに溶け込もうとされ楽しいこと面白いことに熱中されていま
す。そのためにはそれらの渦中に入り込む積極性。そんなことが若さや
生き永らえる根源ではないかと考えています。肝心なことは”俺は(私は)
もう年だと思い込んで周辺の動きに興味を示さなくなってしまう。それと「
面倒くさい病」に罹らないようにする、つまり日頃に自分なりのペースを
省略したりサボってしまうことも老いの大敵ではないかと思うんです。私は
無茶は卒業しました。しかし無理はやろうとします。バディは使わないと、
さび付いてしまうからです。アッ安倍首相、学会のセンセ方は高齢者を75
歳に引き上げてはと提言していますが年金の支給年齢までアップとは言
ってありませんよ。
私は胸の谷間に目がいってしまいま~す。 ぐっさんハイ