シンガポールでお世話になった友人が”ぐっさん、社交ダンスで優勝した”と
いうびっくりするような朗報のメールが舞い込みました。みなさんにはなんの
ことだかおわかりいただけないし、でも私だけがびっくりするだけでは勿体な
いと思い、Mさんのお許しをいただき、その驚くような苦闘物語をみなさんへ
もおすそ分けという次第であります。Mさんは私が九州の田舎から最初の
赴任地であるシンガポールに着任する一年前から大活躍をされておりました。
英語を駆使して、私からみたら、まるでマジシャンのような、まぶしい存在でし
た。直接、仕事上の関係はありませんでしたが一杯やりながらシンガポール
事情を教えていただきました。私は観光地としてのシンガポールしか知りませ
んでしたから、世界中の企業が入り込んだ激戦地ということをMさんから教え
ていただき身の縮む思いでした。それに英語には「買う英語」と「売る英語」が
あることを教えられました。つまりモノを買うときはやさしい英語で話しかけて
くれます。ところがモノを売ろうとするときは早口で難解な言葉が機関銃のよ
うに投げかけられてきます。内心もっとゆっくりとか、わかるように話してくれ
と思いながら商売そっちのけで言葉との格闘をしていたというのが今でも鮮
明に思い出されます。さて余談はこのくらいにして、Mさんのお話に耳を傾け
ることにしましょう。”4年前の08年6月頃に軽い咳と微熱が続きいろいろ
検査を続けたところ10月頃に漸く、膠原病による強皮症、その関連の間質
性肺炎と診断がくだりました。免疫細胞が悪さをして肺の細胞を攻撃し機能
低下を起こしているというものです。この年末から09年の春までは肺の状態
が大変悪く、とてもダンスどころではありませんでした。平地でも息が切れて
まともに散歩出来ません。坂道とか駅の階段では途中で息継ぎに止まらねば
なりませんでした。半年ほど集中的に治療を続けて幸い肺機能は徐々に回復
し始め、春からは無理をしないレベルでダンスの練習を再開しました。踊って
は休み、休んでから踊るという状態でとても競技会に出るなんて考えることも
できませんでした。現在でも治療は継続中で、完治にはほど遠いですが競技
会での規定時間の1分30秒を踊り通すことは可能になりました。30秒ほど
深呼吸を行えば次のダンスも踊れるようになりました。で、今年の6月末8か
月ぶりに競技会に出場しました。久しぶりの試合で雰囲気に呑まれバタバタ
と踊り、踊れただけでもいいやと思っていたのですが、予想もしなかった快進
撃で、とんとん拍子に勝ち進んで準決勝の12組に残ってしまいました。でも
準決勝からは3種目を連続で踊らねばなりません。健康なひとでも大変です
が私には生死を賭けるような難事でした。他のカップルが踊っているときに
場所を探しているふりをして、時間をかせぎならが懸命に息を整え死ぬ思い
で踊りました。その結果、決勝の6組に残ってしまい、もうこれ以上は無理だ
とパートナーにも止められましったが死んでもいいと再度、大きく深呼吸をし
て決勝に臨みました。A級で踊っていたカップルもいました。優勝なんて全く
考えてもいなかった事です。でも膠原病という病気と向き合いながら、全く予
期しなかった「優勝」というご褒美をちょうだいしました。病気は再発すること
もありますが現在、こうして踊れることが喜びであり励みです。爆弾を抱えな
がら、踊れたという喜びを噛み締めながら今日も練習しています”。という
素敵なお話でありました。一度、東京で再開したことがありましたが顔色は
悪くまるで老人のような老け込み具合に案じていましたが、見違えるような
メールに快哉を叫ぶ思いでした。奥さまが他界されパートナーが気になりま
したので、冷やかし半分に”パートナーはどなたですか”と愚問を呈しました
ら、”ぐっさんそっちでも「みのもんたの朝ズバ」やってるでしょ。そのお天気
姉さんのお母さんがパートナーです”と返事が返ってきました。Mさん、あな
た本当に病気で苦しんでいるんですか!。
 その後”マレー鉄道の旅を楽しんだ”とありましたが、ひとりで
   行ったのですかという愚問は飲み込んでしまいました ぐっさんハイ