発達障害 | エイジのブログ

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[田園]を聴きながら、今まで感じたこともない美しい音を感じる!


ベートーベンは聴力を失って、人一倍自尊心の強い彼は虚栄心すら持てなくなってしまった。

自筆の手紙で、同情されることすら屈辱的に感じると書いている。


彼は田園にでかけて、のどかな安らぎを感じたのではなく、音のない世界に不安を感じていたのかも知れない。


ベートーベンは、もう耳が聞こえない!

ベートーベンは聴力を失って、自分の知性にアイデンティティーを求めていたのかも知れない。

ベートーベンは聞くのではなく、彼の心理状態にシンクロさせると、今まで感じたことのない美しい曲が聴こえてくる。


早朝のNHKラジオで「発達障害の中に極まれに、理数系で優れた才能を示す子がいる。」という話を聞いて、我々は数字や記号を見てしまう、そうではなく「彼らは法則を感じているみたい。」


数字や記号の中に法則を見ている。あるいは法則が見える。


ベートーベンは聞くのではなく、感じる!

彼は、自尊心を傷つけられてしまった。

しかし彼には知性があって、知性に存在理由を見出そうとして、知性を絞り出している。

そんなベートーベンの必死な思いに波長が合った時、美しい曲が聴こえてくるのかも知れない。


発達障害の中にアラン・チューリングのように才能を示す人がいるらしい。

それは、みじめな思いから逃れられなくて、同じ様に自分の知性に救いを求めているのかも知れない。

しかし!現実は見たくない。

そんな見られたくない本心があって!そんな思いから数字や記号という暗号が必要で!その実、彼らは内なる必死な思いで知性を絞り出している。


アラン・チューリングは、空気が読めなかったらしい。

彼は同性愛者で、当時のイギリスでは同性愛は精神病の一種と考えられて精神病の治療を受けさせられて、彼は自殺している。


彼は心を閉ざしていたのか?

そもそも我々とは思考回路が違うのか?


案外、発達障害のある子は、みじめな思いから、そんな思いは見られたくない!しかし知性のある子は自分の知性に居場所を求めて、必死な思いで自分の知性を絞り出しているのかも知れない。

結果的に数字や記号のような暗号の中に、必死な思いで法則が醸成されていったのかも知れない。


数学に才能をしめすのは結果論かも知れない。