イチローの、ゆっくり踏み込んでいく振り子打法は「バカバカしくて、何の意味があるんだ?」と、そんな疑問から話始めることで「それなら、なんで打てるんだ!」と疑問に思って説明を求めたくなる。
イチローを見て疑問がわいて、その疑問が深ければ深いほど「それなら、なぜ打てるんだ?」と、その説明が必要になる。
「分からない、どうして?」と、思考力のスイッチが入る。
そんなイチローの振り子打法の話を始めると説明がつかなくなる!話を膨らませることができなくなって「分からない?」と疑問が生まれて、知り得る雑学のような知識を総動員して説明することのなる。
人にはそれぞれ思考回路があって、その中でイチロー物語は創作されていく。
そんな何人もの思考回路を通してイチロー物語は分かりやすくなっている。
イチローの説明は、話を創作されたもので、創作されていく過程を一段づつ上っていくことで、振り子打法は知恵を集めて完成度を高めて説明できるものになっていく。
しかしそんな過程をショートカットした飛び級は逆効果で、言ってる意味が分からない。
優秀なバッティングコーチならタイミングを合わせるためのピッタリのテクニックを教えることができるのかも知れない。
しかしそれでは理解が浅くて応用力がない。
やはり意味を、ちゃんと理解するためには自分で考えさせる!そのためにも、まずは問題提起があって、そして発想の転換があって答えに行き着く!そんなプロセスを疑似体験させて理解させる必要がある。
「分からない!」そこには考える[必要性]があって、そして思い付く!思考力のスイッチを入れてから、答えを教える。
そんな手間隙かけた教え方が必要!
理解を、より確かなものにするためにも階段を一段づつ上っていくことが必要で、飛び級では理解力のある生徒は育たない。
「学習障害のある子に特別な才能をもった子がいる。」という話を時々耳にする。
おそらく、そんな子は独自の思考回路をもっている。
イチローは入団当時バッティングコーチから「直せ!」と言われたらしい。
そんな独自の思考回路を持っている子の救済策として、飛び級は必要なのかも知れない。
模範解答を即答しなければいけない受験戦争の中で、イチローのように模範解答ではない!独自の思考回路を持った子は落ちこぼれてしまう。