スティーブ・ジョブズは自分自身の美意識や価値観を重要視している。
彼の成功は、従来の市場調査をして多数派の需要を探るという手法では個性を失くして魅力も失くしてしまうということを気付かせてくれる。
日本の教育ではテストをして正解にこだわっている。
どうも皆と同じように考えて同じ行動をすることで安心するみたいで、それはおかしな話で価値があるのは、誰も気付かない発見や問題提起の方が面白いはずなのに、正解という誰もが知っている、そしてもう古い答えのどこが面白いんだろう?
それに生徒の美意識や価値観が問われる提案力を育てる教育ができていない。
一方では、今の日本人には提案力のような主観的で個性的な意見を求められている。
そして日本人には、話し手の主観的な意見を付け加えた方が分かりやすい。
日本人には、その人の意見や感想の混じらない客観的な話は意外と分かり難い。
理解とは、その人の好奇心で話を膨らませているのが分かりやすさにつながっている。
スティーブ・ジョブズは自身の美意識で膨らんだ部分を具現化して魅力的な製品を作っている。
美意識で、膨らんだり削ったりしながら形を変えている。
創造力は従来から有るものが、ただ単に形を変えただけ!そんなハードルの低さで創造力を育てることができるのかも知れない。
日本の教育は客観的な正解や正確さにこだわって自己主張がなく、生徒の創造力や提案力を育てることができていない。
やはり生徒に自分で考え判断させて答えは生徒自身に決めさせる、生徒に裁量権を与えないと個人的な提案力を育てる教育は完結しない。
NHKのTVで、ヨーロッパでは小学校の低学年の児童に、自分で何の勉強をするのか自由に決めさせて興味がわくものをやらせている。そして児童は教室を自由に走り回っていた。
しかしそれが正しくて、児童が教室を走り回っているのを[学級崩壊]と考える方が間違っている。
日本では、教室の重苦しい雰囲気が生徒の思考力を台無しにしている。
新しい発想が生まれてくる環境に価値があって、子供はむしろ自由に走り回っている方が、気持ちは高ぶって感性の豊かな子に育っていく!
学校では過度に管理主義教育をして、生徒はそれに従って、結果的に過剰適応をして軽い[うつ]状態になっている。無気力・無関心・無感動な生徒になってしまう。
それは生徒の風船のように膨らんでいく感受性に針を突き刺しているようなもので、これでは新しい価値を作り出す能力を台無しにしている。
