坐骨神経痛、五十肩、肘痛、不妊治療、耳鳴り、難聴、メニエルの鍼灸・滋賀県近江八幡の温古堂鍼灸院 -326ページ目
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やせるツボ?胸を大きくするツボ?

病気との戦い方は一杯あるのです

温古堂がまだ治療家になるずーと前のこと


40年前、まだ学生のときでした。


ある慢性疾患にかかったことがわかり、医者の治療を受け受けていたのですがどうも治りそうになく結構落ち込んでいました。それは工業高等専門学校の5年生卒業の年のことでした。結局1年休学し、同窓生は2クラスできました。


当時はインターネットなどなく、新聞に○○が治るという本がいろいろと紹介されていました。

漢方薬、ヨガ、断食、自然食、、、。


その気になれば、現代医療だけでなく何千年にわたって人類が受け継いだ治療方法があるのです。

当時千葉のお医者さん「小倉先生だったと思います」が「医食同源」の考え方で玄米などの自然食と漢方薬とそして縄跳び、ランニングで難病を治療していました 。


病気になるとじっと安静にしている固定観念のあった私はびっくりしました。


健康な人でも大変なのに病気の人に、

身体を健康にするのはランニングとは、、。


しかもお医者様勧めるのですから、。


私も春休みにはるばる徳島から千葉まで行って入院?さしてもらいました。でも漢方薬と食事以外はランニングをして自分で治すのです。

相部屋になった膠原病の方も平気で黙々と走っていました。


酸素を取り込むことが病気治療に有効であることを証明しています。


玄米の力もすごいと思いました。圧力釜を買って炊いていましたが今は手軽な金芽米ですが、、。


それから夏休みは郷里の徳島県三好市池田町の駅の看板で見つけたお寺の修行の一環である断食も行いました。空海さんの真言宗で、毎朝の読経と滝に打たれるのが日課でした。


空海さんに守られている気持ちが苦しい断食も耐えられます。


水ばかりで1週間すごすのですが、体重は最初の数日で3キロくらい減ったのですがそれからはほとんど減らず身体も楽になりました。


断食明けの玄米のおかゆは本当においしかったです。


断食の本当の難しさは、断食明けの復食です。普通食に戻す間は、道場で管理されるのですが自宅に戻って食欲が湧き出てきて食べ過ぎになり結局失敗しました、、、。


また、徳島市内で口コミで知ったミソ灸をしてもらい、自分でもしばらく続け、いつとはなしに病気は治り今日に至っていてこのことが、東洋医学の道を進むことになった動機です。


難病といわれても医師の治療だけでなく「必ず治す」という信念を持って「玄米」などの自然食を中心とした食事の改善」と「腹式呼吸など深い呼吸と適切な運動体操」と東洋医学の「漢方薬や鍼灸」などが自分の経験上も重要と思います。

鍼灸の技は優れた師匠から弟子に伝えられる

落語の世界では


NHKの「ちりとてちん」で落語は「何百年ものの間、人から人に伝えられ受け継がれてきた、だから落語はみんなのもの」という考えがあり、他の師匠の弟子であっても落語を教えるそうです。


医療の世界では


心臓カテーテル治療の名医 北九州市の小倉記念病院の延吉医師は41歳のときに「救える命を助けたい一心で」アメリカにわたり、心臓カテーテル治療のパイオニアとして日本の心臓治療の発展に、つくされています。


67歳の現在までに4万7千人の方の治療を行ってきて、そしてその技術を公開し、全国から集まる医師の先生方の指導を行っておられます。


「命を背に感じて」カテーテルをまるで生き物のように操り、血管の細い分岐点もまるで生き物のように細いワイヤーを操り、患部の詰まったところに到達させそしてコレステロールなどで詰まった血管を「見えない一点を射抜く」技で、貫通させ再び血流を復活させる。


苦難のすえ習得されたこの神業レベルの技を広め後世に伝えるために、弟子の先生方に教え
厳しい修行=経験をつませています。


 また漫画やドラマにもなった離島医療のDrコトーこと瀬戸上医師は、ドラマでもわかるように優れた外科医ですが、さまざまな苦難の末離島医療を行って、今や世界の医師や日本の研修医がたくさん研修されています。


余談ですが、島に渡られた当初瀬戸上医師は鍼も勉強され一時は九州一鍼を使っていたそうです。


なんと外科医なので肝臓まで鍼を刺していたそうで、肝臓刺鍼は、世界でも瀬戸上医師だけでしょうね、中国の中医もびっくりしたそうです。


鍼は、昔からの患者さんに今でも頼まれれば、することもああるそうですが、肝臓刺鍼はもうされていないと思いますが一度みたいものですね。


私の師匠


「治せる鍼灸・効く鍼」を求めて

古典も含め、たくさんの先人の書物や実践を通じて中国式でもそれまでの日本式でもない独創的な「北京堂式鍼灸」を開発されたのは北京堂鍼灸の浅野先生です。


そして一番弟子の私の師匠でもある二天堂の中野先生がまた、その弟子たちに教えられています。


私は、北京堂鍼灸に出会えなければ東洋医学や鍼灸の道をあきらめていたかもわかりません。それまで有名な鍼灸院で施術を受けても何の効果も感じられず、半ば鍼灸の道をあきらめていました。


初めて二天堂・中野先生から「大腰筋刺鍼」を受けたときの身体に感じた「鍼の力」を忘れることは、できません。


北京堂式鍼灸は深層の本当の患部に鍼を作用させ「気至病所」、響きを出し好転反応をおこし、即効性がある「手到病除」が、特徴です。


鍼灸は4000年も前から臨床を積み重ね、優れた先人が弟子たちに教え、今日まで伝わり
世界に広がり、さらに発展しています。
 
科学技術がすすんだ今日でも、優れた技術は開発された先生から弟子に伝えられ、修行を積む(=厳しい壁を乗り越えるには経験を要求される)ことで伝わることを実感しています。


そして「健康を取り戻したお客様の喜び」が、私たち鍼灸師を育ててくれると思います。


 酸素カプセルと北京堂式鍼灸の滋賀県近江八幡・温古堂鍼灸院

肩こり、四十肩、五十肩の鍼灸

肩こり、四十肩、五十肩は脊柱起立筋のコリが大元になっています。

鍼のチカラでコリを緩め締め付けられた神経を開放し、身体全体の血流をよくして自律神経を整える温古堂鍼灸院。酸素カプセル設置の滋賀県・近江八幡の鍼灸院。


四十肩、五十肩の名前て、すごいですね。


肩がいたみ、そのうち上がらなくなる症状が40歳代だと四十肩、50歳代だと五十肩、、。年齢によって呼び名が変わる変な疾患、、、。


三十肩は、なぜないのでしょうか。



五十肩の肩の鍼灸施術をしていると、共通的なことがあります。それは、後頚部から背中にかけて、脊柱起立筋の深いところ(皮膚から2cmくらい)に鍼先が、固いところにあたることです。


それは、長年頑張ってきた証(あかし)かもしれません。


喜びや悲しみ、思い悩むこと、憂ううこと、恐れること、怒ることなどがトレスになって(内因)そして風、暑さ、湿気、乾燥、寒さの季節の変動に耐え(外因)、生きるための食事や労働などの疲れ(不内外因・飲食労倦)が、年齢を重ねるごとに、後頚部から背中の脊柱起立筋の奥深くに沈み込んできます。


そして腕神経そうの神経根を締め付けます。


その神経の走行は肩から腕にかけてです。神経の走行に沿って血流が低下します。

そして肩に加重が加わったある日、突然肩の筋肉が炎症を起こします。血流が低下しているため、炎症が肩関節全体に広がり五十肩になってしまいます。


温古堂は肩こり、四十肩、五十肩は、得意分野の一つです。


温古堂では、脊柱起立筋の奥深くに長年の疲れが沈みこんでできたコリをのチカラで緩め神経根を開放することからはじめます。身体全体の血行がよくなり、自律神経も整えていきます。


そして痛んだ肩関節の筋肉の消炎も行います。


長年の疲れがたまった背中の深層のコリが解消すると「生まれ変わったうに身体が楽になる」人もおられます。


酸素カプセルと北京堂式鍼灸の滋賀県近江八幡の鍼灸院・温古堂鍼灸院


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