現れてくる現実は、もうずーーっと昔の

 

小さな子ども時代に思った思考の型が

現実化している、、、

 

 

なんて、考えられなかったけど

 

何度も同じようなことが起こると

 

さすがに、これは何かあるのでは・・

と思うようになりますね。

 

 

 

私、5歳ぐらいの記憶ですが

 

飴が欲しくて

家の金庫からお金を盗んだのです。

 

 

適当に

金庫からお金を取り出したのですが

 

それは、大人の人からみたら

大金であったようです。

 

 

ポケットに札束を押し込んで

飴を買いに行ったら

店の人が、ビックリして私の家に連絡しました。

 

 

大騒ぎになったのを見て、怖くなった私は

 

当時、農家の畑の隅にある肥溜めに

お金を捨てたのです。

 

 

事情を知った父は、私を叱らずに

 

農家の人が

肥溜めからお金を拾い上げて

 

丁寧に水で洗って持って来てくれたんだよ、と

教えてくれました。

 

 

父は一言も私を責めませんでした。

 

 

しかし

お金を盗んだ、という話が

小さな町中に知れ渡ったことで

 

私は“恥ずべきこと”をしたのだ、と

いつまでも心に残りました。

 

 

その時、人のお金を盗んではいけない

と思いましたが

 

同時に、

 

「お金は盗まれるものだ、、、」

という思考の型が出来たようです。

 

 

すっかり忘れていましたが

 

お金を盗まれることが

大人になってから、時々起こりました。

 

 

子どもたちのピアノの発表会の楽屋で

私の財布からお金が抜き取られていました。

 

嫌な気分でしたね・・・・

 

 

大勢の人たちが荷物を置いているのに

なぜ、私なの?と思いました。

 

 

そういったトラブルが時々起こったのです。

 

 

私がやった小さな子ども時代の過ちを

今度は、やられる側になっていたのです。

 

 

こんなことが続くようでは落ち着きません。

 

そこで

「お金は盗まれるものだ」

というのを、書き換えることにしたのです。

 

 

小さな5歳ぐらいの、みどりちゃんをイメージして

 

「みどりちゃん、人のお金を取ったら損だよ。

恥ずかしいね。自分の価値が下がってしまうよ。

 

ほしい物があれば、自分の力で手に入れなさい。

 

お手伝いをしたり

仕事でエネルギーを出しなさい。

 

そのほうが、誰かにお金を取られると

ビクビクしないですむから得だよ」

 

とやったのです。

 

 

潜在意識を書き換えたことを

すっかり忘れていましたが

 

そういえば、お金を取るような人が

周りから消えているのです。

 

 

太鼓祭りで

受付していた小学生の子に預けたお部屋見舞いが

 

きちんと届けられていました。

 

 

海外旅行に行った時

 

ナイトマーケットで落とした財布を

追いかけてきて渡してくれた人がいました。

 

 

 

私の周りに居る人たちは

信用できる人ばかりになってきました。

 

 

これが潜在意識を書き換えて

現実をつくっていく、、ということなのですね。

 

 

自分の人生は

自分が創ることができる、、、

 

今は、そういう時代になったようです。