何回かにわたってヌーソロジーの人間の内面と外面について見てきましたが、今回は特に人間の外面にスポットを当てて私なりにみていきたいと思います。
先ず人間の内面とは、私たちの目・耳・鼻・口・皮膚という五官、および意識を通じて認識できる空間のことでした。
目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、口で味わって、皮膚で感じる空間を、私たちは普通3次元空間、あるいは物質空間などと呼んでいますが、それに加え、意識を通じて認識できる思考や感情が励起する空間もまた、人間の内面に属すわけです。
ちなみに五官を通じて認識する3次元空間も、意識が介在しない限り対象を認識することはできません。声をかけられても熟睡している時は聞こえないようにです。つまり人間の内面とは、一言で、意識を通じて認識できる空間ともいえますね。
一方、人間の外面は、意識を通じて認識できる空間の外部に位置し、人間の内面を客観的に観察する存在です。
ところで、これまで繰り返し書いてきましたが、私たちの意識は大部分、人間の内面に陥っているため、外面の存在を知ることはできません。
しかし、意識が人間の外面に出てくると、内面との差異が明確となり、内面を客観的に認識する視野が生まれます。
この内面を客観的に認識する視野とは、言い換えると、自己を客観的に観る目と言えますが、即ち、他者の目の獲得です。
ただし他者の目の獲得といっても、決して他者の気持ちになって自己を見返すという意味ではありません。よく相手の立場に立って考えるなどと言いますが、そうではなく、何の思考も介在せずに、純粋に自己を観察する目です。
この純粋に自己を観察する目の獲得は、私の知る限り、鏡を通じた方法が一番良いような気がします。鏡についてはこれまで何度も書いてきましたね。
例えば、鏡の私に向かって「ありがとう」と声をかけてみます。「〇〇君、あるいは〇〇さん、ありがとうございます」でも良いかもしれません。
すると、最初は私が鏡の私に声をかけていたのが、ある時ふと気づくと、鏡の私に声をかけられているような感覚になることがあります。「ありがとう」と言う立場から「ありがとう」と言われる立場に変わるのです。
そして、まさにこの時、純粋に自己を観察している状態にあると言えます。これは「ありがとう」の主体が、私から鏡の私に移ることで、他者の目を獲得したとも言うことができます。
「ありがとう」と言う私を客観的に認識する位置の顕在化、即ち、人間の外面の発見でもありますね。
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