TKG秘話 ~文豪は食べるのがお好き~
何でも省略するのはテレビの常。いつも時間とネタに追われているから?
近年、なぜか巷に省略語が蔓延してきた感があります。すると、業界のみならず、ニッポン中が時間とネタに追われているに違いない?!
さて、今日はそんな省略語の中から、近年市民権を得たTKG、卵かけご飯、の話です(古いか)。
このTKG、いつごろから食べられていたのか?
調べていないので知りませんが、少なくとも明治の人は食べておりました。なぜ知っているかというと、TKGを壮絶に食べて名を残した著名人がいるからです。
知らぬ人なき明治の文豪、夏目漱石、その人でありました。
漱石は、……とにかく食べることが大好きであったようです。
こんな話まであるのです。胃をおかしくて入院していた病院で、腹を温めるために載せられたこんにゃくを、……我慢できずに、一ちぎり、また一ちぎり、むしゃむしゃと食べてしまい、看護婦に怒られたというから、切ない。
そして一向によくならない病状を改善するため、療養に訪れた伊豆で、胃が痛いの、気持ち悪いのと言い、刺身は胃腸に悪いなどとグダグダつぶやいて(多分)、食べたのは、TKG!TKGだけ!玉子2つにご飯3膳、という。
さあ、その挙句に1升近くの血を吐いてひっくり返った。危篤でアリマス。
幸いにも一命を取り留めたのですが、約30分の間、死んでいたと言ってもいい状態にあったようです。この体験、後世に貴重な臨死体験(一番下に注を書きました)記録となって残っています。
まず、漱石は幽体離脱といわれる体験をします。横たわる自分の姿を見ながら、どんどんと空高く上っていく。そしてトンネルのような闇を通り抜けた後、光に包まれる、という。
『ふと気がついてみると見知らぬ川原に立っていた。向こう側の岸は白くて小さい花が一面に咲き誇り、ぼおっと淡い光を放っている』
日本では、これを三途の川、と称したのではないかという説があります。
そして、今までの人生の全ての場面を、一時に同時に見たとか。
『「そうだ。時間はいつも一方にばかり流れて、戻って来ないのではない。あるいは折り重なって一緒に進んでいるものであり、あるいは全部ばらばらにいろんな方向へ進むものなのだよ」』
と、漱石は『思ひ出す事など』に書いています。
さらに、寿命を示すろうそくを見せられ、後八年かそこら生きる、と言われるのです。早速、実際漱石が亡くなった年を調べてみました。この日から、約6年半後のことでありました。
さて、この体験の後5、6日して、漱石は『時々一種の精神状態に陥った』と言っています。それからは毎日のように同じ状態を繰り返したとも。何のことか分かりにくいのですが、それは恍惚とした気持ちであるらしく、楽しみであったようなのです。
若い時から精神疾患を抱えて苦しみ続け、それがために大学教授という職を捨てて、職業作家という道なき生き方を択び、今度は創作の悩みで胃がやられてのた打ち回る。そんな漱石にとって、それは最後の救いであったのかも……何しろ、以後の漱石の作品は大きく変わっていくのです。
なぜこんなことを書き出したのかというと、
ネタ詰まったから!
同じような内容ばっかりになってしまうので、たまにはこんなことも考えているということなど。いつか何かで使ってみようかな?
ちなみに、漱石の長男はヴァイオリニストだったという……
注;臨死体験について。
いくつかの説があるのですが、僕が一番納得できる説をご紹介。
どうやら、死を目前にした脳が、肉体からの一切の情報を遮断して自閉的に作動する特殊プログラムみたい。人が死ぬとき、必ず体験して死ぬ夢のようなもの。これが働くことによって、人は苦痛から開放され、平等に救われる……かもしれないわけです。
ちなみに、闇のトンネル、光に包まれる、といった内容は、人種等に拠らず多くの体験者に共通。ただ、三途の川、みたいなものは、文化的背景に関係する傾向があるのです。キリスト教圏なら、天使に会った、と思う人が多いとか。おそらく同じものを見てきて、それぞれに意味付けした結果ではないかと考えられています。
(8年ほど前に読んだ本がネタ元です。古いかも……)