みなさま
「おはよう!」と、何人ともなく子どもたちと挨拶を交わしていた日常。そんな日常が失われて早2ヶ月半。「心に穴が開く」とはこのことなのかもしれません。
その一方で、こんなに自分だけの時間を過ごすのも何十年かぶりです。
オンライン学習のシステムづくりなどで忙しい毎日とはいえ、それでも授業をしていない分、体力が余っているのか夜更かしする日が続いています。ブログを書く機会が増えているのはそのせいですね、きっと。…ん〜、授業って結構エネルギー使ってるんだなぁ。
ブログっていろんな方がご覧になってくれています。びっくりするくらい。つい先日、私の初任校時代の教え子、いや私が担任していた学年の一つ下の学年にいた方が、たまたまブログで私を見つけてくれ、懐かしいと連絡をくださいました。その方は音楽の道に進んでおられました。
いやぁ、こんなことがあるんですね。とっても嬉しかった! もう30年も前、しかもたった1年だけ一緒の学校にいた、その当時のことを鮮明に覚えていてくれました。
一緒に「おどるポンポコリン」の器楽合奏をしたと。すごい!
新卒だった私は、生意気にも「合奏の楽しみを子どもたちに味わわせたい」と、超張り切っていました。当然インターネットなんかない時代、しかも田舎町。合奏の楽譜なんてどこで買えるんだろう? なんて考える間もなく、自分でスコアを書いた方が早いし、目の前の子どもたち一人一人に合った合奏ができると、意気込んで楽譜を書き、意気込んで教えていました。いやぁ、楽しかった!
今考えれば、完全なる教え込み。「違う! そうじゃない! こうやってやるんだよ!(怒) はい、もう一回!」(ん〜〜、熱血!)
教えることの楽しみとか、それに応えてくれる子どもを心底可愛いと感じられることとか……自分の教師としての原点は、この初任地にあったのだと、ここ数日思い返しています。飽きっぽい私が、この仕事を続けていられるのは、「おどるポンポコリン」にルーツがあったのかもしれません(^^;;
初任地は、北海道の最北部にある幌延町(ほろのべちょう)という小さな町でした。人口3000人、牛が8000頭、という典型的な酪農の町です。
生まれてから23年間、旭川(最近は旭山動物園で有名?当時は人口35万くらい?)で育った私にとって、幌延はとても寂しいところに感じられました。
でも、そう感じたは初めの数日だけでした。5年生の担任となった私は、毎日目の前の子どもたちと、まさに取っ組み合って過ごしました。全教科を教えていたわけですが、それはそれはどの教科もひどい指導だったと思います。音楽もひどかった。器楽合奏で燃えたこと以外、ほとんど覚えていません^^;
それでも慕ってくれた子どもたちでした。日曜になると独身寮の私の部屋に遊びに来るんですよ。「先生、遊ぼう!」って。
一緒に笑って、一緒に怒って、一緒に泣いて、本当にそういう日々でした。
ある日曜の朝、子どもたちにせがまれて、釣りに行くことになりました。「いい場所を知っているんだ」という子の言うがままに車を走らせました。酪農に関して全くの無知な私は、牧草地の端っこに車を停め、その奥にある小川へ釣りに出かけました。
これが大変なことになるとはつゆ知らず。
牧草は飼料です。牛さんの食べ物。その上に車を停めた私。バカにもほどがありました。
釣り遊びを終えて子どもたちと車に戻ったら、さぁ大変! その牧草地の持ち主と思しき方が仁王立ちしているではありませんか!(ガタイのいいおじさん。見るからに怖そう)
「お前、どこのもんだ!」「は、はい、いやしくも小学校の教員です」「なにぃ? 先生だぁ?」「名前は?」…気づいたら、牧草の上で土下座してました。
これはえらいことになったと思い、その足で校長先生の家に走り報告。そして一緒に釣りに行った子の家に行って報告。その子のお父さんは「先生、酒一升買ってこい。一緒に謝りに行くぞ」と。本当に温かい人たちに囲まれていました……。
しかし運悪く、その土地の持ち主は、地元農協のお偉方。さらに運悪く、その日は町で葬式があり、そこで「牧草地に車で入った先生がいるんだってよ。高倉って名前らしい!」。インターネットもないのに、たった一夜にして町の有名人になってしまったのでした。
いやぁ、懐かしいです。弱冠24歳の頃の思い出。
初任として3年間お世話になった幌延には、印象深い思い出があります。
おっともうこんな時間。やめます。明日起きられない!
それにしても「おどるポンポコリン」を一緒にやったことが、30年経った今でも彼女の脳裏にある……この奇跡に心動かされます。覚えていてくれて本当にありがとうございます。
音楽はこうやって人と人とを繋げてくれるんですね。感謝です。
おやすみなさい。